槇ヶ峯まきがみね古墳(槇ヶ峯1号墳)は奈良県吉野郡大淀町新野にの、標高200~210mの丘陵上にある6世紀後半の円墳。横穴式石室が開口する。2023年4月13日(木)訪問。
馬佐口ばさぐちバス停のすぐ北側から、西に上って行く。登り口には「槙ヶ峯古墳 これより340m」の道標がある。槙ヶ峯古墳迄は10分前後。
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新野区の共同墓地方面に上って行く。笹に隠れて分かりにくいが、この途中にも道標がある。
暫く行くと墓地に入る。
道なりに墓地の一番上まで上がって行く。
地道になった所から1~2分位行くと庵風の休憩所がある。その休憩所の西側に槙ヶ峯古墳がある。
径11m・高さ2.6m以上の6世紀後半の小さな円墳。
西望 北望
案内 南望
南西向きに開口する横穴式石室は、本来の全長約7.5m以内、羨道長3.3m以上だが、羨道部分は殆ど崩れている。そのため開口部分というのは、本来の羨道開口部ではなく、玄門部辺り?の天井が抜き取られた部分で横幅は1m弱・縦幅70㎝弱。入室するには、斜め下に滑り降りる感じ。玄室は現状長さ1.65m(復元推定2.2m以上)・幅1.4~1.7m・高さ現状1.3m(復元推定1.6m)で、付近で採れる結晶片岩を積み上げている。
奥壁下半左隅 中央 右隅
石室の奥壁中程やや上に(流入土砂を除いた本来の床面からの高さは1.25m)、幅110cm・奥行80cm・厚さ約10cmの板石による、棚状の構造物=石棚が架かる。石棚を持つ石室は、和歌山県の紀ノ川下流域に数多くみられ、「岩橋いわせ型石室」と呼ばれるが、奈良県内では他に岡峯古墳、平群へぐり町の三里古墳でしか見つかっていない。これらの古墳は、紀ノ川下流域を本拠とした古代豪族の紀氏と、当時の吉野地域の交流を知る手掛かりとして、歴史的な意義を有するとのこと。
上から見た石棚全景
玄室側壁と石棚の接合部を見ると、日本建築木組の「枘ほぞ」の様な精巧さに見える。
向かって左端 右端
なお、石棚は前面部が弧状に欠落しているが、通常の石棚は直線的である。床面に落ちている石材は、石棚の欠落部分ではなく、石棺側壁の一部とされる(長さ1.15m・幅0.4~0.45m・厚さ0.1m)。
石室側から開口部南西望。
開口部周辺の様子。
開口部上から南西望俯瞰 北西望
南東望 北東望(開口部方面)
当古墳は5基ある槇ヶ峯古墳群のひとつ。2~4号墳の実態は不明だが、新野地区共同墓地の入口にたつ六地蔵の裏手には、小規模な円墳とみられる槇ヶ峯5号墳(未調査)の高まりが残されているらしい。
【参考】