OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

滋賀県甲賀市の古墳群

滋賀県甲賀市には、10以上の古墳群がある。北から岩坂古墳群・岩坂南古墳群・百合野古墳群・奥百合野古墳群・高山古墳群・三大寺落し谷古墳群・城川古墳群・三大寺桜ノ馬場古墳群・波濤ケ平はとがひら古墳群・塚穴古墳群・杉谷古墳・勅旨古墳群。

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P5-図4「水口盆地南西山麓の古墳群の位置」を編集・加工

 ===================================

古墳群の分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されている。

「調査報告書」は、A4版-全173ページ。平成17(2005)・18年度(2006)調査結果をとりまとめたもの。甲賀市の岩坂古墳群・岩坂南古墳群・百合野古墳群・奥百合野古墳群・高山古墳群・三大寺落し谷古墳群・城川古墳群・三大寺桜ノ馬場古墳群・波濤ケ平はとがひら古墳群・塚穴古墳群・杉谷古墳・勅旨古墳群と併せ、甲賀市北西側に隣接する湖南市の園養山古墳群が掲載されている。

墳丘規模の「径○m」は円墳で長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは(調査当時の)土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この「調査報告書」については、下記甲賀市HPを参照下さい。

甲賀市史編纂叢書のごあんない/甲賀市

また、この「調査報告書」を所蔵する大学の図書館は下記で検索下さい。

CiNii 図書 - 甲賀の横穴式石室 : 後期古墳群調査報告

 ===================================

 

水口盆地南西麓の古墳群(北側)

*「調査報告書」P5-図4「水口盆地南西山麓の古墳群の位置」を編集・加工

岩坂古墳群

岩坂古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

岩坂南古墳群

岩坂南古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

百合野古墳群

百合野古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

高山古墳群

高山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

 

水口盆地南西麓の古墳群(南側)

訪問していない所は「調査報告書」掲載の情報のみです。

*「調査報告書」P5-図4「水口盆地南西山麓の古墳群の位置」を編集・加工

 

奥百合野古墳群

                *「調査報告書」P25-図19「奥百合野古墳群 位置図」を編集・加工

水口町宇川。高山古墳群西側の広域農道の進入口(上記左写真の赤矢印)から約1㎞。百合野古墳群の南端から百合野林道で900m程?。

進入口

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

2基確認されている。北側の1号墳は径11m墳丘は良好で、土砂に埋まっているが南向きの玄室が完存。羨道長2.3m・幅1.12m、右片袖の玄室長3.68m・幅1.67m・高1.5m。南西200m程にある2号墳は径18mで、墳丘は大きいが不明瞭で大型石材が露出する。

 

三大寺落し谷古墳群

三大寺落し谷古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

 

城川古墳群

*「調査報告書」P44-図32「城川古墳群 位置図」を編集・加工

水口盆地南西山麓で最も南。国道307号線(近江グリーンロード)牛飼西交差点から広域農道を北東に約450m(途中で信楽高原鉄道の高架下を通る)、農道西側沿いの山林内。6基確認されている。

2024年3月現在一帯はフェンスで囲われており基本立ち入れない。

北西望                       南東望(矢印部分から登れるかも?)

ただ、北西側で工事が行われており、訪問した2024年3月17日(日)は開いていた。

南西望                       南望

1号墳は径10.8m、墳頂陥没、側壁石材1石が残る。2号墳は径14.5m封土の流失が顕著。3号墳は径14mで墳丘は良好。4号墳は径12.8m、墳丘は良好で、石室側壁の一部と羨道天井石の1石目が遺存、無袖式で幅0.45mの小型石室。やや西側に離れた5号墳は径12.5mで長さ5m・幅2.6mの陥没が見られる。川を挟んだ西側尾根にある6号墳は径14m、墳丘上に天井石と思われる長さ1.85m・幅0.85mの大型石材が露出。

北東望(この上に1~4号墳があるが、登らなかった)

 

三大寺桜ノ馬場古墳群

*「調査報告書」P45-図33「三大寺桜ノ馬場古墳群 位置図」を編集・加工

城川古墳群南脇の林道を600m程進んだ谷奥に位置するが、城川古墳群南脇の進入口はフェンスがあり施錠されている。

城川沿い(砂防ダム)の東西100m・南北40mの緩斜面に8基が密集する。1号墳は径14.5mで側壁の一部が残る。2号墳は径10m、墳頂が削平されている。3号墳は径12.5m、封土の流失が顕著、墳頂に長さ5m・幅2.5mの陥没。4号墳は径13.5m、墳頂が削平されている。5号墳は径12m、封土の流失が顕著、墳頂陥没。6号墳は径7m、幅1m程の石室奥壁が遺存するが埋没しており詳細不明。7号墳は径10m、墳丘北側が林道で削られ、墳丘上に石材2石が露出。8号墳は径12.5m、墳丘中央部が陥没。

 

その他甲賀市の古墳群

以下は、訪問しておらず「調査報告書」の情報のみ掲載します。

*「調査報告書」P5-図4「水口盆地南西山麓の古墳群の位置」を編集・加工

 

波濤ケ平はとがひら古墳群

*「調査報告書」P47-図35「波涛ヶ平古墳群 位置図」を編集・加工

甲賀市水口町水口。西から東に伸びる丘陵北端部。野洲川に面した尾根北側縁辺に東西に沿って築かれている。1~4号墳が確認されている。

西端の1号墳は、径13.5mの円墳で、北東向きの横穴式石室の下半分が遺存。おそらく無袖式で玄室長3.95m・幅1.58・残存部高1m。直刀1、刀子2、槍身1、鉄鏃1、轡1、鍍金辻金具1、鉸具1、銀環2、鉄釘8、須恵器製品類12が出土している。2号墳は径10mで、北東向きの石室下部が遺存。羨道長3m程・幅1~1.4m、右片袖式の玄室長3.05m・幅1.4m・残存高1m。羨道と玄室に段差がある。銀環1、鉄釘20、須恵器製品類4が出土している。3号墳は径20m、北東向きの石室下部が遺存。右片袖式の玄室長4.28m・幅2m・残存高1.15m。比較的大きな石材が使われている。鉄鏃2、銀環2、管玉7他玉類5、鉄釘11、須恵器製品類15が出土している。1~3号墳は6世紀末~7世紀前葉と思われる。4号墳は径10mだが、封土の流出が顕著。

 

塚穴古墳群

*「調査報告書」P48-図36「塚穴古墳群 位置図」を編集・加工

甲賀市甲賀町岩室。県道538号線の東側にあり、古墳群北側は野洲川に面する崖。1号墳は径12m、南西向きの横穴式石室が遺存。羨道長3.2m・幅1.02m、両袖式の玄室長3.8m・幅2.15m・高2.7m、平天井。勾玉・棗玉・銀環等が出土している。2号墳は径7.5mだが封土の流失が顕著で、1号墳より一段低い。

 

杉谷古墳

                   *「調査報告書」P52-図40「杉谷古墳 位置図」を編集・加工

甲賀市甲南町杉谷の丘陵上にある単独墳。墳丘には稲荷神社が祭られている。径16mで、東向きの小型横穴式石室の石材(羨道天井石)が露出しているが、石室内部は埋まっており詳細不詳。

 

勅旨古墳群

*「調査報告書」P53-図41「勅旨古墳群 位置図」を編集・加工

甲賀市信楽しがらき町勅旨ちょくし。1号墳は径12.5m、ほぼ南向きの横穴式石室が確認されている。両袖式の玄室長2.9m・幅1.47m・高1.85mで、天井石1枚が玄室内に落下。7世紀初頭~前半代と思われる。2号墳は径11.5m、小型石室がある。