OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

桃山古墳周辺

桃山古墳周辺

2021年5月11日(火) (台ケ芝1号墳)春日宮山古墳→桃山古墳→鹿高神社境内古墳

→(番取山古墳)室生向坊1号墳

春日宮山古墳

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名張市赤目町一ノ井。全長34mの双円墳とされてきたが、北側尾根先端部を前方部とする前方後円墳らしい。横穴式石室は南西側に二基開口し、6世紀前半の築造。
台ケ芝1号墳から西の橋を越え、橋から567号線を北へ660mで、田んぼの中の農道から、南西の春日神社駐車場へ。ここから溜池の西側に出て、農道の獣除けフェンスの切れ目から、南の林道に入る。林道(獣道)入口に宮山古墳への道標がある。そのまま道なりに登れば、宮山古墳の標識がある。小さな色あせた黄色矢印の道標に沿って行くと辿り着く(何か頼りない道標なので、いつまで残っているか?なお、往路は白いパウチ板、復路は透明のパウチ板のようだ)。

台ケ芝1号墳から     溜池西側の農道                  宮山古墳への標識と道標 

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*画像をクリックすると拡大されます。

宮山古墳への道標                              往路と復路の分岐 

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先に見つかるのが通称東石室。両袖式で、全長6m、羨道長1.1m・幅1.4m、玄室長4.9m・幅2.6m・高さ2.5m。羨道長・全長はもっと長かったのだろう。西石室よりも、石材も大きく、こちらが主たる埋葬施設のようだ。

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天井部奥側        楣(まぐさ)石       楣石上部        開口部
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西石室の開口部は幅70cm・高さ40cm程。両袖式で、全長8.3m、羨道長3.9m・幅1.2m、玄室長4.4m・幅1.9m・高さ2.4m。

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前方後円墳では周辺で最古の琴平山古墳、次に鹿高神社古墳、そしてこの宮山古墳と続く。前2基は埴輪を伴うが、当古墳にはない。遺物は確認されていないが、名張周辺の首長の系譜を引く古墳と思われる。

桃山古墳

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赤目町丈六。6世紀末の丘陵頂部に立地する単独墳。位置的には宮山古墳とは、ため池をはさみ西隣尾根上になる。しかし、進入路は全く違い、北側の集落から南下する。

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登り口は整備されて間もないのか、笹は綺麗に刈られている。林道途中にも道標がある。5分程で、人工的に平坦に整地された所に着き、右手に石室上部が見える。

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墳丘は全くなく、石室も天井部を失っているがデカい。両袖式の横穴式石室。全長11.5m、羨道長6.3m・幅1.6m・高さ1.5m、玄室長4.8m・幅2.7m・高さ2.6m。名張では赤井塚に次ぐ大型の石室で、宮山古墳に匹敵する首長墓と思われる。出土遺物は伝わっていない。丘陵部は、もともと里山として利用され、桃山の名も桃を植樹していたことから付いた名前とのこと。

羨道           羨道上部                     楣石

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先に見た宮山古墳石室に比べ、石材は圧倒的に大きい印象。奥壁石材下端は2.4m、赤枠の側壁は横165cm・縦120cm程。

玄室           奥壁下部         側壁

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右の袖石は幅65cm・高さ120cm・奥行90cm程。羨門上部の楣石は横幅160cm・縦120cm程ある。  

玄門           左袖          右袖           楣石

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羨道前に、大きく深い穴があるが、自然崩落したものでなく、人工的に作った井戸の様な感じがするが、目的は分からない。

玄室俯瞰         羨道前の穴

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思うに元は前方後円墳で、何らかの施設を作ろうと削平した時、石室天井部の石材も抜いてしまったのだろう。しかし、結果石室下部は保存された。その規模からして当然、首長墓なのだろう。

登り口から5分程だし、初級者にはお勧めである。

鹿高神社境内古墳

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名張市安部田大殿。鹿高神社本殿すぐ裏にある。鹿高神社1号墳とも。

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前方部が東を向く全長約42mの前方後円墳で、段築や葺石などは見られなかったらしい。前方部幅約27m・高さ5m、後円部径23m、後円部がやや高い。後円部と前方部に各1ケ所ずつ横穴式石室がある。
後円部石室の開口部は高さ40cm程。全長9.8m、玄室長4.7m・幅2m・高さ1.3mの両袖式、一辺2m前後の大きな石材も使われている。棺は組合式石棺だった模様とのこと。

スマホのバッテリー残量が10%程度のため、フラッシュが使えなかった。直前に郷土資料館と市民センターで充電を依頼したが、あっさり断られた。

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前方部石室の開口部は高さ20~25cm。全長7.65m、玄室長4.5m・幅1.6mの両袖式で、一辺50cm前後の小さ目の石材が使われている。後円部石室が主たる埋葬施設なのだろう。箱形石棺だった模様とのこと。

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後円部石室からは須恵器の台付長頸壺、広口壺が出土、墳丘では埴輪円筒の破片が確認され、名張盆地を治めた首長層を葬ったと考えられるらしい。円筒埴輪片から築造時期は6世紀中頃とのこと。

(番取山古墳)

名張市安部田。鹿高神社から165号線を南へ700m、北側の細い道を上がってすぐ、民家西側に登り道があり、民家裏の崖の上。径11.6mの円墳で、横穴式石室の玄室部分に祠がある。復元すると全長6.5m、玄室長2.3m・幅2.1m程とのことらしい。165号線下側から眺めただけで、パスした。

*室生向坊1号墳

帰り道の165号線途中なので、寄ってみた。「室生口大野」駅北側。7世紀以降の径10m程度の円墳。1号墳の石室は露出してはいるが、開口部に笹が密集しており、中は見れなかった。碧玉製丸玉・鉄刀子・須恵器・土師器等が出土したらしい。すぐ近くに2号墳(6世紀末頃、径8m)の石材の一部がある。なお駅の北側の道は徒歩でしか通れない。

番取山古墳方面?            向坊1号墳方面             1号墳東望 

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名張市周辺の古墳散策は、一応これにて終了。

滝谷古墳周辺

滝谷古墳周辺

2021年5月11日(火) (横山1号墳)→(高善山古墳)→滝谷古墳→台ケ芝1号墳

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(高善山古墳)

名張市赤目町柏原。横山1号墳から道なりに180m程の台地南側。笹薮がひどく、断念。

急斜面の台地上は平坦で、その南側の山林内、すぐに墳丘があるそうだ。径20m程の円墳で南側に全長7mの横穴式石室が開口するが、内部は埋まっており入室困難とのこと。

登り口らしきものはあるが、その先が無理そう。東隣に空地があるが私有地らしく、南奥にフェンスがあり、廻り込めない。

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*画像をクリックすると拡大されます。

滝谷古墳

名張市赤目町梶川。高善山古墳登り口から460m。南東に上がる梶川林道がある。廃墟になったテニスコート施設辺りで駐車できる。

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梶川林道をテニスコート沿いに南東へ、テニスコート南端辺り、左手側に東に登る林道がある。進入口が草深いので、少し先から林道に上がり、100m程登った右手にある。

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開口部の高さは120cm程あり、羨道はもっと高く、楽に入室できる。

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径12.5m、高さ4.8mの円墳で、右片袖式の横穴式石室が南に開口。全長8.9m、玄室長3.7m・幅2.2m・高さ2.5mの大型石室。

羨道        玄室         奥壁上部     北側壁       南側壁

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             右袖部         玄門上部楣石

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台ケ芝1号墳

名張市赤目町柏原。梶川林道口から南の柏原橋を渡り、西へ70mで墓地への登り道がある。この道が右に大きく曲がる箇所のすぐ左上にある。

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横穴式石室の開口部は幅90cm・高さ60cm程。全長5.8m、玄室長3.6m・幅2m・高さ1.8mの右片袖式。周囲にもいくつか墳丘がある。

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ここから、春日宮山・桃山古墳へ向かう。

 

 

 

 

琴平山古墳周辺

琴平山古墳周辺

2021年5月11日(火) (尻矢古墳群)琴平山古墳→横山古墳群1号墳

琴平山古墳

名張市赤目町檀。高善山より派生した丘陵頂部。全長70mで名張で最大かつ最古(6世紀初頭頃)の前方後円墳。道はいたって分かり易く、道標もあった。

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*画像をクリックすると拡大されます。

3段築成で円筒埴輪が各段に巡っていた。後円部径36m、横穴式石室で、調査当時、既に玄室は左側壁が崩れ内部は埋まっていた。羨道長5m、玄室長4.5m・奥壁幅2.4m、右片袖(袖幅1.2m)、玄門幅1.2m。溶結凝灰岩の板石を積上げ、持送りが大きかったらしい。羨門は端石材で閉塞し、さらに大きな一枚石で二重に閉塞していたとのこと。羨道部から衝角付冑・直刀・剣等の武具を検出。くびれ部にも横穴式石室があり、右片袖式で、全長6.5m、羨道長2m・幅1.1m、玄室長4.5m・幅2mだが、崩壊しており内部調査は実施せず埋め戻された。

後円部墳頂        石室現状        くびれ部         くびれ部石室天井石材

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前方部にも石室があったが、完全に石材が抜かれ堀形のみ残る。前方部に金比羅社の祠があることが名の由来。

前方部          石室堀形                     金比羅社祠

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くびれ部南側に土器集積場があり、祭祀に用いられた大量の須恵器の蓋坏・器台や陶質土器等が出土したらしい。出土武具や須恵器から渡来系軍事氏族の首長墓と思われる。なお当古墳は名張盆地内最初の前方後円墳で、美旗古墳群最後の前方後円墳=貴人塚古墳と同時期かやや遡ると見られるとのこと。 

横山1号墳

赤目町檀字横山周辺。横山古墳群は琴平山古墳周辺に広く分布する。琴平山古墳から60m南の道路沿い西側に1号墳等への進入路がある。古いフェンスがあるが、横からいくらでも入れる。フェンスからすぐの墳丘で、西向きに小型の右片袖式石室が開口。その北側にもいくつか墳丘がある。木棺直葬墓から初期横穴式石室を持つ前方後円墳へと続く在地集団の古墳群で、5世紀~6世紀。

進入路フェンス                     1号墳         開口部

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開口部は幅50cm・高さ30㎝程しかない。玄室幅・高さとも1.8~1.9cm程か。

羨道           玄室           天井部         玄門部

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北側奥にもいくつかの墳丘がある。

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【豆知識その12】石室内の生き物

玄室壁に点の様に見えるのはカマドウマというバッタの仲間。どの石室にも居るが、ピョンピョン飛び回るでもなく、藪蚊よりよっぽど無害。羨道天井部にもビッシリ張り付いていることもあるので、念のため入室前に木の枝等で、羨道部天井や側壁をパンパン叩いておけば、結構居なくなる。なお、今まで何百という石室に入ったが、カマドウマやクモ以外見たことは無い。
それより、林の中で野生の鹿や野兎、雉を見た時の方がかなり驚いた。

 

続いて、すぐ近くの高善山古墳や滝谷古墳へ向かう。

中村古墳群周辺

中村古墳群周辺

2021年5月11日(火) (大屋戸古墳群周辺)芝出古墳群→中村古墳群→尻矢古墳群

芝出古墳群

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百合ケ丘団地への道が右に大きくカーブする所のすぐ左側に、フェンスで囲まれた小さな施設(グーグルマップでは報恩院流宗家)がある。その少し手前、道路から北側林内の尾根筋を下ったすぐ左の所に2基。上の2号墳は径11mの円墳で陥没壙のある墳丘。更にやや左下の3号墳は径15mの円墳で小型の横穴式石室が開口。土砂で埋没しているが、全長6.3m、玄室長2.8m・幅1.38m・高さ1.8mとのこと。

進入路                      2号墳          3号墳

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*画像をクリックすると拡大されます。

3号墳開口部       内部                       南望見上げ

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尾根は、3号墳から更に北に下って行くが、墳丘らしきものは見当たらなかった。

中村古墳群

6世紀頃の群集墳。保存区域は百合ヶ丘団地内の4ヶ所に分散している。

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市立病院東側の16号公園内には、高尾支群の5・6・7・8・13・14・15・16号墳が保存されており、木棺直葬で群中では初期の築造とのこと。案内が見つからず、どれがどれか分からないし、墳丘らしきものは6基位しか確認できなかった。公園半ばに人参峠遺跡の案内があり、この案内から西側は急な谷になっており、この公園が尾根筋であることがよく分かる。

進入路          墳丘例                     遺跡案内

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19号(ニレの木)公園北東近くに11号墳。墳丘下のフェンスで入れない。ニレの木公園には案内も設置されており、18号墳は石室が開口している。17号墳は笹で覆われ、19号墳・20号墳辺りは石材が散乱している。

11号墳          18号墳         案内           18号墳開口部

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17号墳          19号墳         20号墳          公園南望見上げ

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17号(シイの木)公園に2基。12号墳は群内最大の円墳だそうだが、墳丘は明瞭ではなく、公園最高所から見下ろせば、それとなく分かる程度。1号墳は石材が露出。なお、案内には「1号墳の西側に12号墳」とあるが、どう考えても東側。
案内           12号墳          1号墳見下ろし  

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百合ヶ丘団地の東端、名張青峰高校北側斜面一帯に15基の奥出古墳群もある(明確に墳丘が確認できるのは1基のみらしい)。

大阪府柏原市に8つの支群を擁する平尾山古墳群があり、確認できるだけでも1400基を超えるという巨大群集墳。この百合ヶ丘一帯は、釜石川・宇陀川流域に居住した集団の、数代にわたる家族墓と考えられるそうですが、芝出・中村・奥出古墳群を含む、大規模群集墳だったと思います。狭い日本で住宅開発は必要不可欠ですが、古墳マニアには、すこし残念なような・・・。

尻矢古墳群

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百合ヶ丘団地南側の立派な一般農道?で繋がる赤目町すみれが丘。S55年(1980)当宅地造成で、尾根筋全域調査を実施。木棺直葬墳や、大形横穴式石室を有する8基の古墳等を発見。そのうち2号墳は径14m、墳頂部に楕円形(長軸5.4m、短軸3m)の墓壙が掘られ、木棺2基が納められていたとのこと。西棺は長さ4.65m・幅70cm程の割竹型木棺で北頭位埋葬。棺内遺物は、剣・鏃以外に鏡面を下にした銅鏡(五獣鏡)とガラスの勾玉・小玉を連ねた首飾り。五獣鏡は径11.8cm・縁部厚さ約4mm・重量189g。頭部には鏡面を上にした銅鏡(四神四獣鏡)があり、径9.7cm・縁部厚さ約3mm・重量106gらしい。5世紀後半(~6世紀前半)築造とされるが、今はただの空き地で、その前に案内があるだけ。

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ここから横山古墳群琴平山古墳等へ向かう。

大屋戸古墳群周辺

大屋戸古墳群周辺

2021年5月11日(火) (平岩古墳)→塚穴山古墳群→(塚原古墳群・遺跡)→大屋戸古墳群→小谷古墳群→上山古墳群

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(平岩古墳)

奈良県山添村岩屋。ある古墳専門ブログの位置情報(緯度経度)辺り(上図①)を探したが、全く気配がなく断念。

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*画像をクリックすると拡大されます。

塚穴山古墳群 

名張市蔦生こもお(上図②)。1号・2号墳の2基があるとのこと。東洋ハトメ工業・クラウン工業敷地から782号線を西に140m程。道沿い北側にある小屋の東40mに尾根に上がる小道があり、上がると小さな椎茸栽培場がある。その上方に点在石材が見える(1号墳?)。最高所=獣除けフェンス手前に、陥没壙がある(2号墳石室跡?)。どれか区別はつかないが、この辺りが群集墳だったことは想像できる。

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石材           1号墳?         尾根最高所       2号墳?

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塚原古墳群・遺跡

名張市蔵持町里。武道交流館の北側一帯。古墳時代後期の横穴式石室の古墳群(30基)。H12年(2000)市道新設工事で発見。弥生時代後期を中心とする集落跡でもある。石室がわずかに残る程度だし、見つけられそうもないので、パスし名張川対岸から遠景東望。

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大屋戸古墳群

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名張市大屋戸、杉谷神社本殿(上図③)の裏。4基の古墳が残存。拝殿の右側に回り、塀沿いに登る。(左側は薮がひどかった)

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1号墳

本殿すぐ裏の1号墳は完存石室が開口。開口部は縦50cm・横90cm程。右片袖横穴式石室、全長5.4m、玄室長約3m・幅約1.5m・高さ約2m。

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玄室全景         奥壁上部         天井奥側        北側壁

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玄門               玄門上部             天井前側

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2号墳

大きな陥没壙を挟み、すぐ上隣に2号墳石室。天井部が一部開口し、穴の深さは70cm程なので入室できる。羨道は崩壊している。玄室長約3m・幅約1m・高約1.5m。

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奥壁中段              奥壁上段            羨道方面

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3号墳・4号墳

2号墳から尾根を北西へ登る。石室は埋没し、羨道部の石材1個と天井石1個が露出しているらしいが、石材が2ヶ所程あり、よく分からない。尾根はかなり高い所まで登っており、4号墳もよく分からない。

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小谷古墳群

名張市蔵持町芝出、稲荷大神のある小丘陵。古墳群は円墳7基と方墳1基で、S59年(1984)区画整理事業に伴い1~5号墳を発掘調査。いずれも横穴式石室で、最大規模で径約20mの小谷3号墳を中心に6世紀末頃築造。丘陵南西角から、階段を登った中腹に1号墳石室の基底部が、移築保存されている。右片袖式で全長約6m、羨道長約2.7m・幅約90cm。

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上山古墳群

名張市春日丘1番町、上図④。本来14基からなる群集墳だが団地建設でいくつか消滅。団地入口にあるファミリーマート東横の竹林内に1~4号墳があるらしい。小さなマウンドが並んでいる程度とのことでパス。団地内春日丘4号公園に13号墳が移築保存されている。公園西側斜面にも5・6・15・16号墳が保存されているらしいが、頑丈なフェンスで囲まれている。 13号墳丘背後にも石室石材が組まれている。

ファミマ横竹藪    4号公園     案内      公園西側斜面          墳丘背後石組

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13号墳は、東西径12mの楕円形墳で、馬蹄形周溝が巡っていたとのこと。右片袖式の石室は全長約6m。石室内には組合せ式箱型石棺も復元されている。須恵器・耳管・土師器・棒状かんざし・金銅製花形飾りが出土。

13号墳東望        玄室全景        箱型石棺         奥壁

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北側壁                       南側壁

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続いて、名張市百合ヶ丘の芝出古墳群・中村古墳群へ向かう。 

美旗古墳群

美旗古墳群

2021年4月22日(木)馬塚→毘沙門塚→女郎塚→殿塚→貴人塚→赤井塚 全行程10km

伊賀地方を代表する古墳群。1978年(S53)10月国史跡指定。古墳時代前期~後期にかけ、地域を支配した首長が築造し、伊賀地方で最大規模の古墳群。現存は、5基の前方後円墳と横穴式石室を持つ円墳1基、方墳1基。(カブト塚・矢羽塚・玉塚などの方墳と円墳の多くは消滅)。

食事のできるところは、貴人塚~赤井塚に向かう途中に2カ所ある。行程10km程なので、昼食をはさんで4時間位で回れる。

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馬塚

名張市美旗町中1番。5世紀後期の前方後円墳近鉄美旗駅のすぐ南側。県内第2位、美旗古墳群では最大の規模(県下最大の御墓山古墳190mに次ぐ)。全長142m。後円部径98m・高さ14m・3段築成。前方部幅100m・2段築成。両側に造出し・幅12mの完周周溝が有り。伊賀全域を支配した首長墓と思われる。

後円部南東望    前方部南望     石碑        後円部東望      くびれ部南東望

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後円部墳頂南西望  墳頂から前方部    墳頂から北東望   西望       南東望=小塚・貴人塚

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小塚

名張市美旗町中1番。馬塚の東60m。辺約15m・高さ3.5mの方墳。馬塚古墳の陪塚と考えられている。

意外と西側住宅街からは見えない。馬塚後円部墳頂からの方が良く見える(上の右端写真)

毘沙門塚

美波多神社を経由して毘沙門塚へ。美波多神社境内の案内には、当地の開墾状況が記されている。

毘沙門塚は5世紀中頃の帆立貝式前方後円墳。全長約65m、後円部径44m・高さ7m、前方部幅20m・高さ3m。両くびれ部に造出し(東部は削平)、葺石・埴輪を検出。幅6mの完周周濠を備える。後円部に板石が散乱していて竪穴式石室があったとみられるが、盗掘されているとのこと。周濠が綺麗に残り、帆立貝型の前方部と、造出しがよく分かる。

美波多神社    北東望          前方部東望    くびれ部南望    後円部西望

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女郎塚

毘沙門塚から東へ、狭い踏切を越えると、「こども園」の東にある。名張市新田。5世紀前半の帆立貝式前方後円墳。全長約100m、後円部径73m・高さ9m、前方部幅40m・高さ3m。葺石・埴輪が検出され、全周に幅10m程の周濠跡が今も残る。

殿塚古墳

名張市新田。4世紀末~5世紀初頭の前方後円墳。美旗古墳群で最初に築造された。全長約90m、後円部径56m・高さ7m・3段築成、前方部幅40m・高さ6m・2段築成。北の丘陵を整形して築造された。葺石・埴輪を備え、周囲は空堀状の平坦地だが、今は墓地として利用されている。後円部北西側に2基ワキ塚陪塚群があるが、木々で覆われている。ワキ塚1号墳は23mの方墳で、木櫃に銅鏡・衝角付兜・鋳造鉄斧等出土。2号墳は長径26mの楕円形で、粘土槨2つに、各々鉄刀や鉄鏃検出。

女郎塚西面北望  案内          東面北望       殿塚東面     後円部周囲の墓地

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途中の風景

初瀬街道奈良県桜井市初瀬と三重県松阪市六軒を結ぶ街道。壬申の乱に備え、大海人皇子(天武天皇)が東に逃れた道とも伝わる。以前は参宮表街道とも呼ばれ、大和と伊勢神宮とを結ぶ道のうち、比較的平地が多い街道としてよく利用された。貴人塚に向かう途中に、江戸時代の新田宿の様子を記した案内があり、旧旅籠には暖簾が掛かっている。また「新田用水の日時計」というのがあったが、大きさは20cm程でかなり小さい。さらに貴人塚への分岐には大きな常夜灯(陸の燈台)がある。

新田宿案内     旧旅籠         日時計案内と日時計           常夜灯

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貴人塚

名張市小波しもおばた。田んぼの中にポツンとある。6世紀初頭、元は全長約55mの前方後円墳(現存47m)。後円部径約35m・高さ4.5m、前方部幅35m・高さ4m。幅約5mの全周濠あり。墳頂に径3mの円形陥没があり、横穴式石室の可能性がある。後円部墳丘北東側面に隙間が開いているが、石室かどうか不明。

全景南西望      後円部墳頂陥没   前方部       後円部墳丘側面隙間  内部

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赤井塚古墳

名張市上小波田みおばた。6世紀後半の円墳。民家の東裏にある。現状径約20m(元は30m程)・高さ6.5m。両袖式の横穴式石室で南側に開口するが、フェンスガあり入室できない。花崗岩製の石室は全長約12.8m、羨道長6.8m・幅1.3m・高さ1.4m、玄室長約5.7m・幅約2.4m・高さ約3.6mで、奥壁と前壁の持ち送りが大きいとのこと。

赤井塚への分岐   遠景東望       近景東望       開口部

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辻堂古墳

辻堂古墳

2021年4月20日(火)。名阪国道=中瀬IC→前塚・桐ノ木古墳群→鳴塚古墳→鳳凰寺古墳群→辻堂古墳→(安部山・墓の谷・神林・下中島・向山・前山古墳群)→中切古墳→(阿弥陀寺山古墳)→猪田神社古墳→(吉田谷古墳群)→(石山古墳)→王塚古墳→(天童山古墳群)

*()内は明確に墳丘が確認しにくく、かなりストレスが溜まるため、初級者にはお勧めしません。

辻堂古墳

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横穴式石室の下部が残るだけで、古墳と言うより「古墳跡」と言うべきかも。公園の様に保存されていて、駐車場もある。元は6世紀前半の、径23mの円墳か前方後円墳。両袖式の石室は、全長11.5m以上、羨道幅1.5m、玄室長5.5m・幅2m・高さ1.9m以上。敷石と排水溝をもち、玄室には中央奧寄りと右袖部に二基の組合せ式箱式石棺が納められていたとのこと。

外観         案内石碑     南望         北望        石棺

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*画像をクリックすると拡大します。

(安部山・墓の谷・神林・下中島・向山・前山古墳群)

広い農免道路に沿っていくつかの群集墳が存在する。

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安部山古墳群 ⑬-1

元は3基からなるが、なんとか確認できるのは竹林の中の1基。進入路すぐに、朽ちた作業場と廃車になった軽トラがあった。

墓の谷古墳群 ⑬-2

狭い農道を挟む林の4基のうち、3基が確認できるとのこと。北側林の1基は石材が残るのみで、南側に2基。農道側の1基は墳丘のみ。南側のもう1基は横穴式石室(現存長約6m、幅・高さとも1.8m程の右片袖式)が開口するらしいが、見つけられず。おそらく、農道側から林に入るのでなく、田んぼ沿いにグルっと林を南側に回り込むと、見つかったのだろう。ただ、田んぼのアチコチに獣感知警報機があり、前を通ると「ワンワン・ガーオ・ウーー(サイレン音)・・・」と、かなりうるさい。

神林古墳群 ⑬-3

元は16基とのことだが、確認できるのは道路北側沿いの1基のみ。道路南側の獣除けフェンスからずっと奥に多くありそうだ。フェンスには可動扉があり、中には入れるが、時間の都合でパス。

-4下中島古墳群 道路南側林内に8基あるらしいが、農道から見渡しても、全く見つかる気配がしなかったのでパス。
⑭-1野台古墳群は消滅している。

安部山古墳群              墓の谷古墳群(農道側) 神林古墳群     可動扉

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向山古墳群 ⑭-2

20基程で、谷間奧の南支群と道路北側の北支群とに分かれる。南支群は、林道脇の中部電力送電塔を越え、奧へ2~3分程進んだ所辺り、谷川の両側に分布する。林道沿い西側に3基、東側に4基あるらしいが、どれも墳丘に見え、細かな位置地図でもないと、中級者には難しい。谷川を越える橋は途中の仮設橋と鉄板橋があったが東側には渡らず断念。北支群もパス。

南支群進入路   送電塔     林道西脇     東側への仮設橋  鉄板橋     林道東側

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前山古墳群 ⑭-3

農免道路沿いに西支群、さらに道路を200m程東に行くと、南に登る林道周辺が東支群。西支群は道路を挟み3基が近接するらしいが見分けがつかない。東支群では、林道を南に登るとすぐ、右(西)側崖上に横穴式石室の開口部が見える。林道東側の北向き斜面に円墳が1基等、周辺に墳丘らしきものが点在。なお、林道登り口に「高電圧 さわるな」と注記された頑丈な可動フェンスがある。電気は通ってなかったが、念のためご注意ください。

東支群進入路    可動フェンス     西側見上げ     開口部        石室内

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中切古墳

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伊賀市喰代ほおじろ。上図⑮。正光寺の北東、直線距離300mの段丘上。径15m程の円墳だが、墳丘はほぼ壊されている。横穴式石室の石材が露出。

北東望       東望         南東望       北西望       西望

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(阿弥陀寺山古墳)

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伊賀市中友生なかともの。上図⑯(実際にはもう少し北側?)。県道56号線北側、界外かいげ区公民館北側の二つの池の間の丘陵上にあるらしい。径12m程の円墳で、右片袖式の横穴式石室の一部が残り、玄室長3.3m・幅1.4m・高さ2.3m、床面は半分くらい埋まっているとのことだが、上図青点線から先は私有地で入れないし、そもそも墳丘など全く見えない。おそらく西光寺の少し北にある細い道を東に進むのだろうが、この日の時間対効果を考えればパスするしかなかった。

猪田神社古墳

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伊賀市には、猪田神社が二つある。お互い近くだが、丘陵を隔てており、ともに『延喜式神名帳の猪田神社の論社延喜式の神社と同一かその後裔と推定される神社)。元は同じ丘陵を聖地としていたが、集落ごとで祭祀が分化したとのこと。北側の猪田神社本殿は国の重要文化財で、裏側の古墳とその東方の井戸が県指定。古墳は、埋蔵文化財包蔵地としては3基からなる猪田神社古墳として登録されており、そのうちの1号墳に相当する。径約24m・高さ約4mの円墳で、横穴式石室を有する(埋め戻されている)。古墳時代後期だが、当期の円墳としては大きめの規模である。井戸は1.2m四方の方形石組があり、「天真名井」と呼ばれている。この井戸と伊勢神宮外宮の忍穂井とが通じているとの伝説もあるそうだ。

阿弥陀寺山古墳方面 猪田神社参道    本殿方面       猪田神社古墳    南側の猪田神社

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(吉田谷古墳群)

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伊賀市才良ざいりょう吉田谷。以下平成25年三重県埋蔵文化財センターの発掘調査報告を抜粋します。
「比自岐ひじき川流域には、古墳時代前期=4世紀後葉頃に後述の石山古墳、6世紀前半に流域低地に、王塚古墳が築造される。5世紀後半から7世紀代には才良東部の丘陵内に多くの群集墳が築造されたらしい。才良吉田谷古墳群は才良地区東部に広がる低丘陵中にあり、約25基で構成される。農免農道設置に伴い、平成21~23年度にかけて発掘調査が実施された。1号墳の調査時に、すぐ近くで2・3号墳が見つかった。

1号墳は径約12mの円墳で、出土遺物が示す時期は6世紀末。周溝は墳丘を全周せず、北側部分のみ馬蹄形に巡ると想定される。周溝埋土から、須恵器甕片・土師器長頸壺の破片がまとまって出土。左片袖式の花崗岩製の石室は、玄室長3.25m・奥壁高2.45m・幅約1.6~1.8m(「胴張り」形態)。基底部に基底石=腰石を立て、その上に小さ目の石を小口積し持ち送っている。馬具・鉄刀・刀子・鉄鏃・須恵器の高坏や坏なども出土。

2号墳は径約10mの円墳で、出土遺物が示す時期は7世紀中葉。花崗岩製の両袖式で、羨道長1.45m、玄室長約2.75m・奥壁残存高1.5m・幅約1.5m~1.6m。右玄門付近と奥壁前に意図的に破砕された須恵器片があり、木棺用の鉄釘も見つかった。

3号墳は墳形・墳丘規模ともに不明。出土遺物が示す時期は6世紀後葉、2号墳丘一部を利用して石室だけが築かれていた。花崗岩製の左片袖式石室は、全長2.2m以上、羨道長約1.5m。(奥壁を含む玄室掘形基底面からして)玄室奥行き0.8m以上・最大幅約1.1m・高さは最もよく残っているところで1.3m程でかなり低い。崩壊が激しいが、右側壁の一部はよく残っていた。玄門部右側壁寄りに須恵器高坏2・平瓶1・土師器坏1・壺1が乱雑に置かれ、鉄刀がその上にあった。鉄刀は元々は左側壁に切先を上に向けた状態で立てかけられていたのが倒れたと考えられる。」*詳しく知りたい方は以下を参照ください。

才良吉田谷古墳群・才良山ノ谷古墳群ほか発掘調査報告 - 全国遺跡報告総覧

 

周辺山林の尾根筋には、未調査の墳丘が多数残存するらしいが、何せ山の中なのでよくわかりません。ただ、農免道路の途中に、西側に降りる林道があったので、行ってみましたがよく分かりませんでした。この道は西側の平坦部=田んぼまで続くようです。

降り口       林道                   両脇には墳丘らしきものが点在

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(石山古墳)→王塚古墳

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石山古墳

伊賀市才良。上図⑲。丘陵の一端を利用した前方後円墳で、古墳時代前期に伊賀の中心的存在となる。4世紀後葉頃と考えられるこの古墳は、多種多量の副葬品で知られ、当地のみならず、広く伊賀盆地南部の王墓と考えられている。

葺石の多さが石山の由来らしい。S23-26年に学術発掘調査された。全長120m、後円部径70m・高さ9mの2段築成、前方部幅40m・高さ5mの3段築成(平野部に臨む東南側下に整形された1段含む)。前方部は南西を向く。円筒埴輪列は3段だが周回でなく、さらに後円部墳頂の内側に長方形の円筒埴輪列があり、さらにその内側に、家・盾・蓋・靫等の形象埴輪が置かれていたとのこと。くびれ部の墳丘外側にも長方形の円筒埴輪列があり、多数の家型埴輪が置かれていたとのこと。

後円部の埋葬施設は、同じ墓坑内に3つの粘土槨があり、各々に木棺を納めていた。中央槨は長さ8.1mの割竹形木棺で、盗掘されていたが、小札革綴冑・農工具・鉄鏃・石製模造品巴形銅器や幾枚もの盾が検出された。東槨は長さ7.7mの割竹形木棺で、棺内外から、巴形銅器を付けた盾、銅鏃・鉄鏃を収めた靫、玉類・石製模造品・内行花文鏡・櫛・鉄鏃・剣・長方板革綴短甲・草摺・弓・多数の石製模造品・臼玉・農工具類が出土。

西槨は長さ3.7mの箱式木棺で、内外に鍬形石13点・車輪石44点・石釧13点の他、琴柱形石製品・臼玉・紡錘車形石製品・勾玉・素環頭大刀と剣各1本・槍2本を検出。中央槨と東槨では石製腕飾類は1点も見られず、大量の武器・武具類が見つかったのに対し、西槨は武器類は僅かで、大量の石製腕飾類があった。つまり中央と東の被葬者は政治・軍事的役割をもつ首長で、西側の被葬者は呪術・宗教的役割をもつ首長と推定されるらしい。

王塚古墳

伊賀市比自岐。上図⑳。石山古墳の数代後=6世紀前半、比自岐川流域の低地に造られた前方後円墳。全長48mの前方後円墳。石山古墳の南東近くの水田の中にポツンとあるが、首長墓と推定されるとのこと。

石山古墳方面    王塚古墳北東望    南西望       東望        南面北東望

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(天童山古墳群)

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伊賀市上郡かみごおり。上図㉑。無量寿福寺の西側。横穴式石室を主体とした径10~15mの円墳十数基があったらしい。県道建設で2003年度に調査されたが、今は石室は壊され、石室跡・墳丘等に石仏が祀られている。進入路から北へ時計回りに行くと墓地。進入路から南へ反時計回りに行くと寺の南側に出る。30体の石仏が確認できたが、古墳巡りではなく石仏三十カ所巡りである。

県道686号から 駐車場所 進入路    石仏           墓地          無量寿福寺 

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前塚・桐ノ木古墳群~天童山古墳群まで、かなり足早に巡ったので、パスした所も多い。これではなかなか上級者にはなれないだろう。