OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

西芳寺川古墳群

西芳寺川古墳群は京都市西京区の西芳寺(通称=苔寺)の西側、「京都一周トレイル西山コース」の南側終点から、西芳寺川という渓流に沿った「西芳寺谷林道」に点在し、A~Fの6支群18基が確認されている。2024年4月11日(木)訪問。

最寄駅=「阪急嵐山線上桂駅」から

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【番外】上ノ山古墳 京都市西京区山田葉室町

上桂駅から西芳寺に向かう途中にある(上図 )。

西望(白矢印は西芳寺方面) 南西望          南望           南東望

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

北東望                       北望

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西芳寺川古墳群 A~F支群位置

*下記HP掲載の「ルート詳細」図を編集・加工

登山ルート : 京都一周トレイル 西山コース-ヤマレコ

 

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なお、本古墳群は「松尾学区古墳群」に属するとのこと。

松尾学区の松尾山・西芳寺川・衣笠・唐櫃越周辺には約120基の古墳がある。

桂川(旧葛野川・大堰川)右岸、現松尾中学建設時の発掘調査で、「松室遺跡」=弥生時代竪穴住居跡~古墳時代後期の掘立柱建物跡・遺構=が600年以上に亘る集落遺跡と判明。この「松室遺跡」の住人は、松尾山の南端、特に西芳寺山を楞伽りょうが窟と呼んだ。楞伽とは宝とか一種の秘境のことと言われており、西芳寺川の1号橋付近の渓谷で当時の様子をうかがい知れる。西芳寺古墳群には43基あり京都盆地とその周辺部の群集墳中、最も密度が高く、現在この西芳寺古墳群西側から西芳寺川上流にかけて、近年新たに発見されたものを含め一括で「西芳寺川古墳群」と名称変更された。築造は古墳時代後期とのこと。

松尾学区古墳群|【京都市公式】京都観光Navi

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以下、西芳寺川下流から上流に向かう順に掲載します。

 

西芳寺から西芳寺川に沿って進むと、北側に渡る橋がある。その2分程先に、「松尾学区古墳・史跡地図」と松尾学区古墳群案内の高札がある。

すぐ先に「山の神さん(大きな岩)」が祀られている(昔は「山の神神社」があったとのこと)

更に2~3分先、林道入口に車止がある。ここが京都一周トレイル西山コースの終点ともなっている。

西望

 

西芳寺川古墳群ー西芳寺川D号墳(神ヶ谷古墳)

*「京都市遺跡地図提供システム 」を編集・加工。

京都市遺跡地図提供システム

車止め(=西芳寺谷林道入口)=西山トレイル終点からトレイルを上がっていった竹林の中にある。

トレイルへ                             「西山トレイル標識51」

続きは下記記事の最下段を参照下さい。

松尾山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

 

西芳寺谷林道

古墳に興味がなくても、夏でも涼しそうで、ウォーキング等に最適。

またこの林道以外に、車止め手前から渓流を対岸に渡り桂坂方面に至る道もある。

林道沿いの随所に、谷の名前等の標識が設置されている。橋には番号が付けられており位置の参考になる。

1号橋               樫の谷              あかしやの谷

 

西芳寺川E1~4号墳

位置的には後記C号墳の方がずっと下流(南東)側だが、ルート的にはこちらを先に行った方が効率がいい。

*「京都市遺跡地図提供システム 」を編集・加工。赤い太線が橋(〇内は橋番号)

2号橋手前の、渓流上の小さな橋(松園橋)を対岸(北西)に渡り、細い坂道を上って行く。

道はE号墳手前で左に曲がって続いていくが、曲がらずまっすぐ上る。

                          左折部分(ピンク〇がE1号墳)

 

E1号墳 墳頂に石材が散在する。

E3号墳から北東望見下ろし             墳頂

 

E2号墳 1号墳の西南西側、3基並んでいる右(北西)端。墳頂に大きな石室天井部の崩落孔がある。

墳丘南西望                     墳頂南東望

崩落孔はかなり大きく、落ちるとそのまま下まで行ってしまいそう・・・。

*降りれないこともないが、脱出時の用意もないので自撮棒で撮影。

内部はかなり土砂で埋まっているが、何とか奥壁は残っている。

 

E3号墳 3基の中央。

墳丘南東望                     墳頂南東望

墳頂に大きな天井石が露出。

隙間から少し内部が見えるが、殆ど埋まっている。

 

E4号墳 墳丘のみ。

南東望                       北西望(後ろが3号墳、左奥が2号墳、黄〇が1号墳)

 

西芳寺川C1・2号墳(上園尾古墳群) 

*「京都市遺跡地図提供システム 」を編集・加工。赤い太線が橋(〇内は橋番号)。

2号橋の北東斜面にC1・2号墳が隣接。2号橋を渡ってすぐ右手の斜面を上がる。

2号橋                   ピンク〇が1号墳(白線はルートを表示)

結構急な坂。しかも地面はむき出しの土なので滑りやすい。雨天は当然ながら、雨の翌日も避けるべき。また掴めるような細い木も無いので、四つん這いで上がるか、丈夫な木の枝等をストック替わりに使って上がった方が良いです。

登り口                       黄〇は「猪捕獲罠がある」という標識

 

C1号墳 径10mほどの円墳で、小さな石材が散在。

北東望見上げ                    北西望(後ろに猪罠=黄〇)

 

C2号墳 1号墳のすぐ上側(北東)、径10m程の円墳で、小さな横穴式石室が開口。

遠景見上げ                     近景(赤〇が開口部)

開口部は幅70㎝・高さ30㎝程。

内部は埋没。

開口部上から南西望見下ろし (赤〇=2号橋、ピンク〇=1号墳、黄〇=猪罠)

 

西芳寺川F・G号墳

*「京都市遺跡地図提供システム 」を編集・加工。赤い太線が橋(〇内は橋番号)。

 

西芳寺川F号墳 3号橋を渡ってすぐ右手の尾根突端。封土の流出が顕著で、石室が露出する。

3号橋                        右上の黄〇辺りが石室

3号橋近辺の墳丘面は殆ど崖で、少し先の傾斜が比較的緩い所から上る方がマシ。

ここも丈夫な木の枝2本をストック替わりに使って上がった方が良いです。

北西望見上げ                    開口部

開口部は幅1m・高さ75㎝程。

玄室は長さ2m弱。結構持ち送りがキツい穹窿式。

奥壁上部                      天井部は平天井

南東望見下ろし(赤〇が3号橋)

 

西芳寺川G号墳 「ペロペロの谷」という標識が有り、その対岸(南西側)にある。

この日は水量が多く対岸には渡れなかったので、林道側から撮影。

「京都市遺跡地図提供システム 」の古墳位置図では、谷筋の細い水路に接し、西芳寺川から標高10m上。おそらく右の写真の奥の方・・・?。



西芳寺川B1~5号墳(坊城ぼうじょう1~5号墳) 

*「京都市遺跡地図提供システム 」を編集・加工。赤い太線が橋(〇内は橋番号)。

5号橋に「西芳寺川古墳群」の案内板がある。「標高125m、南面丘陵斜面に径10~17mの円墳5基が所在。両袖式の2基含め、石室形状をよく残すものが3基」とある。道標板の通り右手の林道枝道の先にある。

5号橋の進入口

進入口              見返り               B1号墳

以下巡った順に掲載。


B1号墳
 径17m、大型の横穴式石室が開口。

全長11.2m、羨道幅1.2m・高さ1.8~2.2m。幅の割にかなり高さがある。

羨道天井                      玄門前の羨道床

両袖式の玄室長3.4m・幅2.3m・高3.8m。持ち送りが急で玄室平面の割に天井が異様に高い穹窿式で、持参の低性能カメラでは1枚に収まらない。

奥壁下半部                     上半部

天井部奥壁側                    天井部中段

左袖部              右袖部               羨道途中に段差がある

墳丘西望

 

B3号墳 B1号墳の北西すぐ後ろ(1号墳と5号墳の間少し奥)。径14m。(案内標識はない。)

南東向きの中型の横穴式石室が開口。

北西望

墳頂南東望                     南東望見下ろし

開口部

羨道幅1.2m。1号墳と比べ小規模。

両袖式の玄室長2.6m・幅1.5m・高2m。側壁はやや持ち送る。奥壁上部が欠落。

両袖部                       前壁の楣石

 

B5号墳 径15mの円墳で、中型の横穴式石室が南東向きに開口。

北西望(左のピンク〇が3号墳)              赤〇が開口部

開口部                       大きさ比較

羨道幅1.1mだが、開口部付近はかなり土砂で埋まっている。両袖式の玄室長3.4m・幅1.8mらしい。

 

B4号墳 3号墳と5号墳の間の北側先(案内板は無い)。5号墳開口部の反対側から回り込む。

5号墳開口部反対面(白矢印は3号墳方向)        北望

径14mで、墳頂が陥没している=石室痕跡。

南東望                       北西望

 

B2号墳 4号墳の西側斜面にあるはずだが、ハッキリ分からない。

4号墳裾から西望見上げ

 

西芳寺川A1~4号墳(北松尾1~4号墳)

*「京都市遺跡地図提供システム 」を編集・加工。

 

A1号墳 径10m。5号橋(B号墳進入口)から林道を西方面に200m程、道沿いにある。案内板が有るはずなのだが、訪問日当日は案内板が崩落していて、すこし戸惑った。

黄〇が開口部(赤〇が案内板 *最初は全く見えなかったが、少しは見えるように置きなおした。)

*写真は2024年4月。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

開口部も倒木で覆われていた。開口部は幅50㎝・高さ70㎝程。

無袖式の玄室長3.7m・幅1.4m。

 

A2号墳 1号墳のすぐ先。ここは案内板健在。径10m。開口部幅50㎝・高さ70㎝程。

無袖式の玄室幅1.3m。

 

A3号墳 更に100m程、右手少し上の方にあるはずだが、倒木が散乱しており、林道からはそれらしい所は見つけられなかった(案内板は無い)。

情報では径10mで、横穴式石室は4.5m×1.2mの無袖式らしい。

A4号墳 A3号墳同様、見つけられなかった。情報では径10m、横穴式石室は、4.6m×1.3mの無袖式無袖式とのこと。

西芳寺川にはオシドリ等の小鳥もおり、平日でも何組かのハイカーとすれ違った。

ただ、古墳を見学する方は全く居なかった・・・。

 

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西芳寺(通称苔寺)西芳寺古墳群

43基の(古墳時代後期の)小円墳が、西芳寺裏山(北側)から西芳寺境内にまで分布する。径10m前後が大半で、横穴式石室を有する。指東しとうの枯山水(特に上段の庭)は、石室石材を利用しているらしい。

なお、西芳寺拝観は完全予約制。拝観時間は「10時~」または「13時~」だが、指定はできない。冥加料=3000円( ネット予約の場合は4000円)。拝観所要目安は1時間半。  ということで、パス。

西芳寺|苔寺 Saihoji | Kokedera

華厳寺(通称鈴虫寺)

江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭ほうたん上人によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっている。拝観は30分毎らしい。

京都嵐山観光の寺 鈴虫寺

 

地蔵院

京都市西京区山田北ノ町。臨済宗系の寺院山号は衣笠(藤原)家良に由来する衣笠山えりゅうざん。 開山は夢窓国師本尊は最澄作とされる地蔵菩薩竹林で囲まれており通称竹の寺と呼ばれる

縁起               総門                本堂

方丈内                                参道と竹林

京都 | 竹寺 地蔵院 | 緑と仏様の慈悲と竹の精気に包まれる