OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

山畑古墳群

山畑古墳群

2020年8月4日。交野市→寝屋川市大東市東大阪市の各古墳巡りの一部。

石切神社→神並こうなみ古墳群→山畑古墳群→六万寺古墳群

石切神社

正式には石切劔箭神社いしきりつるぎやじんじゃ。

大阪府東大阪市にある神道石切教の神社。 平安時代中期の『延喜式神名帳』に記載されている河内郡の式内小社。祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)、その子可美真手命(うましまでのみこと)で、「石切大明神」と総称される。

石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として著名で、本殿前と三の鳥居前の百度石を行き来する「お百度参り」も有名。社殿・宝庫が焼失したため創建年代は不詳だが、代々の社家(神社の管理家)である「木積」家には、皇紀2年(神武天皇即位2年)に生駒山中の宮山の地(元宮=奥宮)に、可美真手命が、父の饒速日尊を奉祀したことを起源とし、崇神天皇の御代に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。最後の六国史である『日本三代実録』(巻11)に「貞観7年(865)9月22日に河内国正六位石切劔箭神社従五位下を授く」とあり、『延喜式神名帳』にも「石切劔箭命神社二座」とある。室町時代末期に兵火で、神宮寺(神社の守護寺)であった天台宗法通寺とともに社殿が焼失。その後復興するが、いつの頃か宮山の地から現上之社の地(上石切町2丁目)に遷され、1905年(M38)に饒速日尊が現本社本殿に合祀された。その後も、上之社の地は、奥の院として信仰を集め、1932年(S7)に解体保存されていた本社旧本殿を上之社に移した。近鉄石切駅から1km東の生駒山腹にある「元宮(奥宮)」は荒廃している。
*なお饒速日尊は『日本書紀』神武紀に、神武東征の前から生駒辺りに降り立っていた天神(あまつかみ)とある。妃の兄である(神武東征を阻んだ)長髄彦(ながすねひこ)を殺し、神武に帰順した。物部氏の祖先とも。

絵馬殿       絵馬殿東側随神    西側随神     三の鳥居      本殿

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*写真はクリックすると大きくなります。

神並古墳群

古墳時代後期(6世紀)の古墳群で、21基が確認されている(7基が現存)。石切神社の上之社と下之社の、中間地帯に位置する。

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神並6号墳

東大阪市東石切町3丁目。弁天塚古墳とも。石切大仏の南東70mほど、千手寺本堂の裏手にある。後述の5号墳よりやや新しく6世紀後葉とのこと。羨道は失われ玄室だけ残る。須恵器・土師器・耳環等が出土したらしい。本堂北側から墓地を抜けて裏手へ回る。進入禁止の立て札がありますので、見学できるかお寺に聞いてみてください。

千手寺駐車場から  本堂・護摩堂    本堂裏手へ     墓地を南へ抜けると 本堂裏

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開口部       玄室        西側壁       東側壁       本堂側からの全景

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神並5号墳

東大阪市東石切町2丁目。夫婦塚古墳とも。円形の墳丘を二つ合わせた双円墳で、道路沿いに二つの横穴式石室が開口。東側石室(施錠)は全長9.2m、(奥から見て)右片袖式で、二人が埋葬されていたことが確認され、周囲からは須恵器・土師器や鉄製品、玉類、馬に乗った人物や犬をかたどった壺の装飾部品が出土したとのこと。西側石室(無施錠)は全長9.6m、右片袖式で、三体を埋葬した痕跡が残り、鉄釘が出土したため木棺と推定される。須恵器・玉類・耳環・鉄製品が出土した。奥壁上部が崩れていて明るい。当古墳は6世紀中葉と見られるらしい。

北西望       解説板       東側石室      羨道(黄は袖部)   羨道天井部

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西側石室      羨道         玄門部(黄は袖部) 玄室     奥壁高さ比較(私は170㎝)

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楣石(まぐさいし)  楣石上部と天井部  羨道東壁      羨道西壁      羨道天井部

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山畑古墳群

東大阪市上四条町-瓢箪山町。6世紀後半~7世紀初頭の東大阪市内最大規模の古墳群。大半は径10~15m程の円墳だが、双円墳や上円下方墳も含まれる。かつては100基以上あったとされるが、住宅開発などで破壊されたものも含めて70基ほどが確認されており、大半は東大阪市立郷土博物館の近辺に密集している。基本的に横穴式石室で、副葬品として馬具類が多くの古墳から出土しているとのこと。この辺りは騎馬飼育の馬飼部を率いた渡来系氏族の勢力地(馬飼いの里)とされ、古墳群はその一族のものと推定されるらしい。博物館は通常9時30分~16時00分、毎週月曜日・祝日翌日は休館なので、ご注意を!

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近鉄奈良線瓢箪山駅から博物館まで1.4km程。ただし標高10m程から標高100mまで登るので、歩きならかなりキツいです。見学可能な古墳は、博物館周辺にかたまっています。下図のグレイの丸表示は見学できない古墳。

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最も標高の低い52・51号墳を確認し、博物館周辺では東端の12号墳から、上図の青矢印どおりに回ったので、その順に掲載します。

52・51号墳

東大阪市瓢箪山町8-1。古墳群中で一番標高が低い位置にある。6C前半頃(後半説も)の南北墳丘長が約50m・高さ4mの双円墳で、その形から通称「瓢箪山」と呼ばれる。北側は「大塚」、南側は「鬼塚」と呼ばれる。西側に隣接して瓢箪山稲荷神社(辻占の総本山)があり、古墳・石室が御神体の様になっている。北丘(大塚)の横穴式石室は、羨道

の長さ約5m・幅0.8m・高さ1.1m、玄室の長さ約2.5m・奥壁幅約2m・高さ?。石室内で狐が飼われていた(住んでいた)とも。その東側近くに51号墳があるが、住宅に囲まれており、知らなければ古墳と分からないだろう。

神社裏参道と北側の「大塚」       南側の「鬼塚」   奥に裏参道     黄〇は石室石材?

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52号墳西望     51号墳南望     南西望       西望        北望

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12号墳

道沿い北の判り易い20号(後述)から道を挟み南東側にある。径15mの円墳で墳丘は判り易い。両袖式で全長11.5mの石室は、墳丘を越えた南側に開口しているはず。本来は、車を置いてある処から降りると思うが、草深くて、とても降りれそうになかった。すぐ東側の造園業者さんの敷地から見ても、石室は全く見えなかった。この辺にある岩は、古墳群を巡るとよく見られる光景で、おそらく削平された古墳・石室の石材なのだろう。

赤〇20号、黄〇12号(写真上が東) 12号墳全景    東側の造園業者敷地   同左から北西望

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20号墳

博物館から登山道を東へ約130m(この距離でも標高差25mもある)。径10mの円墳。墳丘より石室の方が判り易い。長さ3mの片袖の横穴式石室らしい。崩壊危険があり、補強され物置代わりになっている。鉄製の鉾が出土したとのこと。

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21号墳

博物館から登山道を東へ約100m(=20号墳の30m手前)。道の少し北奥に開口部が見える。径15mの円墳。右片袖式の横穴式石室。羨道部は一部破壊されかなり短くなっている。石室全長は8.5m程、玄室の長さ約4m・幅約2m・高さ約3m、凝灰岩製石棺片、須恵器装飾壷、土師器、直刀、耳環、子持勾玉、鉄鏃等が出土したとのこと。

                    黄が片袖部

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玄室全景      西側壁       東側壁       天井部       片袖部

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37号墳

21号墳のすぐ北裏側に在るが、大きく崩れていて石材の一部が露出しているのみ。すぐ北東に38号墳(右下端の写真)がある。

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22号墳

博物館駐車場北側。元は東西に円丘をもつ双円墳。西丘のみ現存。西丘は径15m・高さ4.5m。その横穴石室(羨道長さ6.3m、玄室長さ3.2m・幅1.6m・高さ2m弱)が保存されている。須恵器・土師器・装身具・馬具・木棺釘等が出土し博物館で展示。 

博物館敷地の古墳案内 22号墳                 解説       羨道

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玄室全景      西側壁       東側壁       右袖部       墳頂に石材露出

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39号墳~41号墳

敷地内には、他に38・39・40・41号墳があるが、墳丘は無く石室石材が露出(または全損)。台風被害で38号墳は立入禁止。41号墳は様相一変。

39号墳

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38号墳       40号墳                           多分41号墳

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6号墳

博物館から西へ下り、三差路を南へ下る。全長10.5mの無袖式の横穴式石室があるらしい。石室から須恵器・土師器、耳飾や玉類が出土。古墳周辺敷地は私有地で、現在はフェンスがあり立入できない。

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5号墳

6号墳南の三差路を東へ、白いフェンスに沿って進む。フェンス東端から南の山道に入ると、すぐ左手にある。

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5号墳                                    西望

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3号墳方面                                    4号墳?

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3号墳

封土が流失し石室が露出。しかも天井石が玄室に落ち込み、絶妙なバランスで立っている。もちろん入室はできない。土砂も流入していて石室規模は不明。玄室の奥壁部分は比較的残っている。幅約1.5m・高さ約1.5m、大きな石材が使われている。所々に隙間があり、そこから自撮り棒を突っ込んで撮影。

                    南側の隙間から             西側の隙間から

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東側壁                      奥壁(黄

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2号墳へ 白い○は猪捕獲罠

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2号墳

博物館からは南南東に直線距離で約200mの尾根上にある上円下方墳(下段一辺28m、上段径14m)。石室は全長16.6m、羨道の長さ約10m・高さ2m強、玄室の長さ約6.6m・幅約2m・高さ約4mの右片袖式の横穴式石室で、市内最大規模。明治時代にウィリアム・ゴーランドが調査した記録があるとのこと。水晶製の三輪玉と鞍金具が出土し、7C初頭と推定される。(北東に藪中を登ると1号墳があるらしい)。

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玄室全景      天井部       西側壁       東側壁       楣石と上部

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楣石        玄門部東側     西側袖部      羨道東壁      西壁

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羨道俯瞰                     墳丘東面         北東面 

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六万寺古墳群

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二本松古墳(六万寺2号墳)


現在小さな公園内に保存される、一辺20m・高さ4.5mの方墳。6世紀後半~7世紀初頭。全長15.8mの大型石室で、左側の段差は僅かだが両袖式。羨道長さ11.3m・幅1.9m、玄室長さ4.5m・幅2.2m・高さ3m。羨道の天井石に岩を割ったくさび跡がある。凝灰岩製石棺破片や土師器・須恵器等が出土したとのこと。当古墳南西の墓地に3基の古墳があり、現存を確認できるのが六万寺4号墳で径17mの円墳らしいが行かなかった。

登り口の解説板   開口部       羨道        羨道天井石     玄門部 

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奥壁       玄室天井部   玄室西側壁   東側壁      左袖      右袖

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楣石        楣石上部       開口部      墳丘

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高塚古墳(六万寺1号墳)

二本松古墳北東の老人ホーム敷地にあり、6世紀後半の円墳で径22m。高さは北側で約2.5m、形をよく残し北側道路から見られる。

東望遠景                                  西望

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以上で、2020年8月4日、交野市→寝屋川市大東市東大阪市の各古墳巡りは終了。

今回一挙に巡るのと、市街地近辺だったので、私は車で行きましたが、各々を個別に回る分には、電車で十分いけそうですね。

一挙に巡ったとは言っても、南北直線距離で14km程。続く八尾市には高安古墳群、柏原市には平尾山古墳群・玉手山古墳群、太子町には一須賀古墳群等が南北に並びます。俯瞰すると、古代の河内湾(湖)沿岸=生駒西麓の様子が見えてきそうですね。

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なお、古墳巡りは、生い茂った草叢、虫=蚊、蛇、暑さ等々を考えると、夏場は避けるべきかも・・・?