OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

平群町 古墳巡り

平群町の古墳 

大谷古墳、三里東古墳、三里古墳、長屋王墓、吉備内親王墓、ツボリ山古墳、上山1・2号墳、玄翁塚古墳、剣上塚古墳、西宮古墳、西宮2号墳、栗塚古墳、柿塚古墳、烏土塚古墳、宮裏山古墳、宮山塚古墳

 

阪急生駒線元山上口駅→大谷古墳→三里東古墳→三里古墳→長屋王墓→吉備内親王墓→中央公民館→ツボリ山古墳→上山1・2号墳→玄翁塚古墳→剣上塚古墳→西宮古墳・2号墳→栗塚古墳→柿塚古墳→烏土塚古墳→宮裏山古墳→宮山塚古墳→公民館→近鉄平群駅

17カ所散策 2019.10.9(水)

 

大谷古墳

  平群町椣原字大谷。7C前半。直径15m程の円墳、玄室長2.7m、玄室幅1.6m、玄室高さ2.3m、羨道長3.2m、羨道幅1.3m。 主体部は両袖式の横穴式石室とのこと。ネットで2011年とか2013年のブログ等を参考にしたが、今は猪防護柵がグルッと設置されており、古墳への獣道も笹薮で不明。尋ねる人もおらず石室にはたどり着けず。

三里東古墳

  平群町三里。遺跡地図で位置を確認して行ったが、耕地化され跡形もなかった。横穴式石室で、全長18mの円墳だったらしい。

三里古墳

  平群町三里958。6C後半~末頃。南西向き横穴式石室、奥壁と側壁下部のみ残す。両袖式で、玄室は長さ4.9m、幅2.4m、高さ約3.2m。羨道は長さ7m、幅1.3m程。奥壁床40cm上に奥行き1.5mの板石棚がある。玄室西寄りに凝灰岩製組合家形石棺がまず安置され、その後羨道奥の組合石棺、さらに棚の上下、玄室の東側、羨道前部に木棺が追葬されたらしい。豪華飾り馬具セット2組等出土、そこそこ有力な被葬者が偲ばれる。

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三里古墳 玄室 奥壁下部に石棚
長屋王墓 吉備内親王

  平群町梨本前。天武天皇(と 胸形徳善女)の第一皇子高市皇子の息子の長屋王、天武(と持統天皇)の第二皇子草壁皇子の娘の吉備内親王のゴールデンカップル。一時権勢を極めたが、藤原仲麻呂の策謀?で729年一族が悲運の最期を遂げたことを思うと、何か物悲しくも見える。

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ツボリ山古墳

  平群町福貴1049-108。7C前半。石室前鉄柵は施錠されていない。一辺20m程の方(円)墳。 南に開口する横穴式石室で、玄室長4.3m、幅2.2~2.6m、高さ2.5m。羨道長さ4.7m、幅1.8m、高さ1.7m。玄室は二段積み、2石目が大きく内傾する。玄室中央と羨道に各一基の二上山白色凝灰岩製刳抜式家形石棺安置。

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石室入口  玄室内二上山白色凝灰岩製刳抜式家形石棺
上山1号墳

  平群町光ヶ丘1丁目、前方後円墳 / 2号墳 光ヶ丘1丁目、方墳

遺跡地図で確認して行ったが、1号墳は住宅地、2号墳は雑木林。

玄翁塚古墳

  初香台5丁目。一辺14m方墳。遺跡地図で確認して行ったが、単なる竹林?

剣上塚古墳

  平群町初香台4丁目。6C前半頃の円墳。径約28m、高さ3.6m。墳裾で円筒埴輪列が確認され、形象埴輪破片、須恵器片も出土。横穴式石室でなく、長さ約3.6m、幅1mの玄室に、幅50cm程の横口部がつくともいわれる。住宅地の中に窮屈そうに佇む。

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西宮古

  平群町西宮(にしのみや)543=平群中央公園。7C中頃~後半。一辺約36mの三段築成の方形で、墳丘高は正面で約7m以上(本来の高さは約8m)。横穴式石室は二段目南に開口し、玄室は墳丘中央部に位置。石室は平群町越木塚産出の切石で築かれ、床面は墳丘二段目のテラス面に合わせている。石室全長は約14m、玄室長さ約3.6m、幅・高さが約1.8m。玄室奥壁、側壁、天井石は全て一枚石で圧巻の姿。羨道は長さ9.1m、幅1.5m。玄室と羨道に跨った形で刳抜き式家形石棺が存置。棺蓋が失われ棺身のみだが、竜山石製。石棺の長さは2.3m、幅1.2m、高さ約80cm。平群谷を代表する終末期古墳。

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西宮2号墳

  西宮1丁目。一辺20mの方墳、横穴式石室で組合式家形石棺があったらしい。

平群中央公園内のはずだが見つけられなかった。

栗塚古墳 

  平群町若井字谷。6C中頃の円墳。径22m、高さ約4m。墳丘南側が削平され、削平面に露出する2つの石材から、南に開口する横穴式石室と思われる。

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柿塚古墳

  平群町椹原字柿塚。「径約20mの円墳で、左片袖式の横穴式石室で、玄室長さ5.3m、幅3.1m、高さ約4m、羨道は長さ3.3m、幅1.3m。羨道入口は土砂が積もり狭いが、玄室天井は高く、四壁の上部は持ち送って積み上がっている」と、かなり以前のブログにあったが、整備されておらず、墳頂まで上がったが、深い笹で石室は見つけられなかった。

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烏土塚古墳

  「うどづか」と読む。春日丘1丁目。6C中葉~後半、前方部を北方に向ける1段築成の前方後円墳。墳丘さ総長約60m、後円部径約35m、高さ6m、前方部幅31m高さ約6m。墳丘は版築手法の盛土。平群谷最大規模。円筒埴輪列が認められ、周溝(幅約2m)が巡っていた。後円部に巨石を用いた両袖式の横穴式石室が南方に開口。石室全長14.2m、玄室長さ6m、奥幅2.8m、高さ4.3m、羨道長さ8.2m、入口幅1.6m、高さ2m。石室は県内でも屈指の規模で、幅に比べ天井が非常に高く圧巻の石室。石材は石床神社(平群町越木塚)付近のものとされる。奥壁・前壁は垂直に、側壁はやや持ち送っており、羨道下には暗渠の排水溝が設けられているらしい。石室内には玄室奥壁寄りに組合式家形石棺1基、羨道部にも組合式石棺(家形石棺か)1基が据えられていた。石室内から鏡、ガラス製小玉、耳環、鉄刀、鉄鉾、鉄鏃、木製弓、片刀子、鉄鋸鉇、金銅製馬具、鉄製馬具、須恵器としては蓋、高坏、𤭯(はそう=口が広く胴部に小さい孔のある小形の壺。孔に竹管を差し込み、中の液体を注ぐ)、台付長頸壺、坩(る=中に物を入れて加熱、溶解・焙焼 ・高温処理などを行う耐熱製容器)。土師器 としては台付壺、高坏、坩が出土。また羨道部から前庭部にかけて形象埴輪(人物形・家形埴輪等)も。玄室棺は二上山白色凝灰岩製で、蓋石は欠失。羨道棺も二上山白色凝灰岩製で、棺底石の石材3枚が残る。石室入口は施錠されており、近鉄平群駅近くの中央公民館で鍵を貸し出している。施錠管理するだけあって、石室への参道もきれいに整備されていた。

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釣り堀池隣接      墳丘登り口          石室への参道

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   羨道                 玄門部        玄室内

宮裏山古墳

  平群町椿井字寺山。径15mの円墳。 6C後半。

遺跡地図では分かりにくいが、春日神社南隣の常年寺南側の椿井井戸登城口から50m程狭い道を上ると標識がある。2002年のブログでは「開口部から羡道部にかけて土で殆ど埋まり、這って入らないといけない」とあったが、這ってでも、とても入れそうになかった。径約15m、高さ約4mの円墳で、玄室長3.9m、幅2m,高さ3.2m。幅に比べ天井が高いのは烏土塚古墳石室に通じる。羨道長4.4m、幅1.1m。両袖式横穴式石室で、玄室前壁は袖石の上に2石積まれており、上の石は大きく内傾し、奥壁も少し内傾しているらしい。

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椿井宮山塚古墳

 平群町椿井1505。5C後半~末頃。石室前鉄柵は施錠されている。

春日神社鳥居の北側。径約26m、高さ約7mの円墳。墳丘は椿井城の土塁施設の一部として、墳頂部が平坦に削られいる。南に開口する横穴式石室、玄室は長さ約4m、幅約3m、高さ約3mと正方形に近く、(奥から見て)右片袖式。四壁は下半が垂直に積まれるが、上半部分は内傾し、角の無い穹窿状きゅうりゅう(ドーム状)で天井石はない。羨道も幅1m、高さ0.5mと小さい。特異な石室構造により5C後半~末頃と考えられている。また、奥壁中央の上下2ヶ所に、石材を窪ませた場所があり、(仏像・仏具を納めるために設けたくぼみ=)龕がん状施設の可能性も指摘されている。近畿地方の導入段階の完存する横穴式石室として貴重な存在。鉄柵から自撮棒を差し込んで撮影。

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当日は25°でだいぶ涼しくなったが、10月初旬でも藪蚊は元気。虫除け必携。

笹薮もまだ青々している。軍手も必携。

石室内は暗いので懐中電灯、開口部が狭いとか施錠鉄柵もあるので自撮棒必携。

結構以前のブログ等と状況が変わっている場合も多いので、メゲずに。