OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

文殊院西古墳

JR桜井線・近鉄大阪線桜井駅の南東1.5km程にある鳥見山(とみやま=標高約245m)一帯を囲むように点在する古墳の一つが文殊院西古墳と東古墳

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奈良県桜井市阿部。安倍文殊院境内。7世紀後半の円墳。単独古墳としては全国に7基しかない「国の特別史跡の一つ。

建築物・仏像等有形文化財の国宝に当たる。単独古墳としては、文殊院西古墳以外に石舞台・高松塚・キトラ・巣山古墳(奈良県)、王塚古墳(福岡県嘉穂郡桂川町) ・山上碑及び古墳(群馬県高崎市)。

群集墳としては埼玉(さきたま)古墳群(埼玉県行田市=愛宕山・稲荷山・奥の山・瓦塚・将軍山・鉄砲山・中の山・二子山・丸墓山古墳)、岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群(和歌山県和歌山市=将軍塚古墳(前山B53号墳)・知事塚古墳(前山B67号墳)・郡長塚古墳(前山B112号墳)・大日山35号墳)、西都原(さいとばる)古墳群(宮崎県西都市=鬼の窟古墳(西都原206号墳))

 

2018年4月9日(月)一度訪問しているが、一部見落としたので、2022年6月17日(金)再訪。

阿倍文殊院

   *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

安倍山丘陵から北西に派生する尾根を利用していたとのこと。規模は30m前後だが墳形は不明。

文殊院西古墳西望  南望         東望        本堂         本堂案内

埋葬施設は、花崗岩を丁寧に仕上げた切石積みの両袖式横穴式石室で全長12.5m。

開口部北望     (2018年4月当時の開口部と案内)       案内      (2018年4月当時の案内)

羨道は長さ8m・幅2.3m・高さ1.8mで、羨道両側壁は1段で各4石ずつ、羨道天井は3石で、開口部側の一枚が一段高い。

羨道側壁

羨道天井                                   玄門部

玄室は長さ5.1m・幅3m・高さ2.6m。玄室奥壁は、方形に切り揃えた切石が使われ、5段積みで上から4石・3石・4石・3石と基底石4石。

玄室全景                      玄室奥壁上部       奥壁下部

玄室両側壁も5段だが、上から7石・6石・7石・6石と基底石7石の5段で、上段石の目地が下段石中央にくるように互積みされている。ただし一部に倍の横幅の石が使われている箇所が(奥から見て)右側=西側壁に2ヶ所?(最上段と上から2段目)、左側=東側壁に3ヶ所?あり、目地を揃えるため、その石の真ん中に浅く彫り込んだ目地の模擬線があり、石の大きさと配置が綿密に計算されている。

玄室西側壁        下部玄門側        下部奥側         目地模擬線 

玄室東側壁        下部玄門側        下部奥側         目地模擬線  

玄室天井は1枚の巨大石で、中央部分を薄く削り上げ、蒼穹(アーチ)状に仕上げている。玄室中央に安置されていたであろう棺への水滴落下を防ぐためともされる。出土遺物はないが、石室の完成度から7世紀後半と推定されている。

玄室天井         楣石と天井前側

周辺には7世紀代にも大型の横穴式石室が築かれたが、当古墳は最も新しい時期。各所に高度な加工技術が見られ、最も完成した石室であり、被葬者の権力が窺い知れる。近くに阿倍氏の氏寺とされる阿倍寺跡があり、周辺は当時阿倍氏の支配地域とされる。当古墳も阿倍氏一族の墓の可能性が高く、大化の改新後、左大臣に任じられ権勢をふるった阿倍内麻呂(倉梯麻呂)等が有力候補である。

平安時代以後は「安倍」と称する。

 

文殊院東古墳

西古墳の東約100mにある。墳形・規模は不明。

東古墳方面                     白山堂          東古墳

南面に開口する両袖式の横穴式石室だが、立入禁止。全長13m、羨道長8.3m・幅1.8~2m・高1.5m、玄室長4.7m・幅2.3~2.7m・高2.6mとのこと。羨道は花崗岩の切石(手前2段・奥1段)、玄室は自然石(奥壁・側壁とも基本2段)、全て切石の西古墳に先行する7世紀前半築造らしい。羨道中程に枯れない泉があったことで「閼伽井あかいの窟」とも呼ばれる。

東古墳開口部               羨道

詳しくは以下を参照下さい。

文殊院東古墳(桜井市 阿部) - 一般社団法人 桜井市観光協会公式ホームページ