OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

牽牛子塚古墳

2023年2月21日(火)訪問。奈良県高市郡明日香村越。7世紀後半、3段築成の八角墳。

2015年11月整備工事前、2018年11月整備工事開始時、2020年3月整備工事中に訪れている。整備工事が完了し、2021年3月から公開されており、隣接する越塚御門古墳(埋め戻しされていた)残存石槨も見ることができるようになっているので、改めて訪問。

 

2015年11月整備工事前は墳丘がビニールシートに覆われているだけ。墳丘東側は、昔ながらの里山風景。

2015年11月訪問当時の墳丘              墳丘東側の眺望

案内も、以下の様な簡素なものだった。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

 

2018年11月整備工事開始時に訪問した時は、まだ墳丘もそのままで、石槨も自由に見ることができた。工事は駐車場を造っているのだろうくらいに思っていた。

2018年11月訪問当時の墳丘             整備工事の様子

 

2020年3月整備工事中に訪れた時は墳域全体の大掛かりなものと知り驚いたが、元の墳丘はまだ残っており、このまま墳丘を補強保存すると思っていた。

2020年3月当時の模様と牽牛子塚古墳詳細は当時作成した以下のブログを参照下さい。

牽牛子塚古墳・真弓鑵子塚古墳 - OSAKA-TOM’s diary

*当時、同時に訪れた岩屋山古墳・真弓鑵子塚塚も同一ページ内に掲載していましたが、本記事作成に際し、各々別個に再作成し直しています。

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今回整備工事が完了し訪れてみると、決して大きくない牽牛子塚古墳・越塚御門古墳のためにここまで広大な整備をするとは・・・「すごい!」の一言。

園内マップ(パンフレットから引用)             復元概念図(パンフレットから引用)

全景北西望                     西望

模型広場から西望         二つの古墳の模型          模型広場の案内

保存施設への登り口                 登り口脇の案内

賛否はあろうが、コンクリートの様に見える凝灰岩切石で被覆された姿を見ると、古墳ではなく何かのモニュメントの様で、若干寂しい思いがした。また石槨は事前申し込みしないと見ることが出来なくなっていた。

復元墳丘南東望

墳丘脇の案内(左上)    (左下)           (右上)          (右下)

墳丘見下ろし 南東望                案内

 

越塚御門古墳

2010年に発見された。牽牛子塚古墳の南東に隣接する7世紀後半の辺10m程の方墳で、日本書紀の記述から、天智天皇の子(=斉明天皇の孫である)大田皇女の墓である可能性が高いとの説もある。調査後埋め戻されていたが、ガラス越しではあるが石槨残存部や、約3分間の無料スライド映像が見られる。

2018年11月訪問当時

ガラス越しの残存石槨とスライド映像

現在の案内