OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

真弓鑵子塚古墳

2020.3.21(土)訪問。奈良県高市郡明日香村大字真弓。

 

2015年11月に一度訪問している。「鑵子カンス」とは、青銅・真鍮等で作った湯釜や茶釜。約1㎞西に与楽鑵子塚古墳、御所市に掖上わきがみ鑵子塚古墳があり、釜をうつ伏せた見た目が名前の由来かも・・・。農民連産直センターから北西へ70m地点の分岐を右へ行くと牽牛子塚古墳、左へ80m下ると真弓鑵子塚古墳がある。

2015年11月訪問時の墳丘北東側            墳丘南西望

2015年11月訪問時の分岐道標             2015年11月訪問時の墳丘進入口にあった案内

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

 

径40m、高さ8m以上の6世紀中頃~後半、2段築成の円墳。昭和37年に石室内の土砂が搬出され、花崗岩の巨石を使用した全長17.8mの横穴式石室と判明。玄室の長さ約6.3m・幅約4.2m、高さ4.8mで、北側の羨道(奥室?)は長さ3.9m・幅約1.9m・高さ約2.3m、南側の羨道は現長で約5m・幅約2.2m・高さ約2.3mと判明した。石室の平面プランは石室東壁が直線的に伸び、西側に約2m分張り出しており、各羨道に対して片袖式の構造となっている。石室の壁面は巨石を7段積み上げ、3段目以降は急激な持ち送り(穹窿きゅうりゅう式=ドーム状)となっており、天井部分は3石架構されている。

*前掲案内写真の石室寸法とかなり違うが、案内写真にある「・・・奥室・・幅22.2m・・・」は明らかに誤植と思われるので、下記「明日香村公式ホームページ」を引用しています。

真弓鑵子塚古墳 | 明日香村 公式ホームページ

 

石室への登り口は、フェンスで施錠されている。たまたまフェンス横が開いていたので進入させていただいた(良い子はマネしないでください)

防護フェンス       登り階段                      南側開口部へ

当然?石室開口部は施錠されていたので、自撮棒外撮りで撮影。

奥に見える開口部が北側奥室=羨道。

北側奥室の入口は割石を小口積みにした閉塞石が遺存していたことから、羨道の役割を果していたと考えられる。石室内からは金銅製装飾金具や金銅装馬具(尾錠)、須恵器や凝灰岩片も多数出土。貝吹山南側斜面近在には乾城古墳や与楽鑵子塚古墳など穹窿式で巨石を用いた古墳が点在する。与楽古墳群からはミニチュア炊飯具や簪子かんざし等渡来系要素をもつ遺物が出土し、渡来系氏族東漢やまとのあや氏の墓域と考えらる。東漢氏は現明日香村、高松塚古墳の南方にあった檜隈ひのくま寺を中心に活躍した渡来系の技術者集団で飛鳥文化の担い手として蘇我氏と共に活躍したとのこと。