龍王山古墳群
【散策経緯】
JR桜井線の柳本駅から龍王山(標高約600m)への登山道周辺にある古墳群。
6C前半~7C代=後期~終末期の小さな古墳が300以上あるらしい(他に横穴300程)。
夏なら薮蚊や蛇が大敵なので、寒くなる迄待っていた。気温は13°、さすがに薮蚊もいない。
柳本駅9時着。当駅での降車は今回で2回目。2015年8月真夏、柳本駅から黒塚古墳、崇神陵、櫛山古墳、景行陵、珠城山古墳群、巻野内石塚古墳、ホケノ山古墳、箸墓古墳、纏向古墳群を巡った。4年経っても駅周辺は全く変化がない。
崇神陵北西隣の陪塚アンド山と陵西隣の南アンド山(飛地は号)、百塚(飛地ろ号)、柘榴ザクロ塚(飛地い号)を経由して、櫛山古墳辺りから南ルートへ。
左からルート、アンド山(陵拝所から見下ろし)、南アンド山(陵前方部南端から)、百塚遠景、柘榴塚、分岐標識
*ルートはYahoo!地図を編集加工 *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。
参考【崇神陵陪塚】
・域内陪冢(通称「アンド山」)
陵拝所の北西側。前方後円墳、墳丘長120m。段築は認められず、葺石・埴輪不明、周濠は存在しないらしい。埋葬施設は竪穴式石室で築造は陵と同時期と言われている。
・飛地は号(通称「南アンド山」)
拝所西側、前方後円墳、墳丘長65m
・飛地ろ号(通称「百塚」「白塚」「臼塚」)
前方部南側。
・飛地い号(通称「柘榴塚」)
後円部南側。
分岐標識から南ルートに入り、5~6分でルート右(南)沿いに不動の滝に降りる道がある。
不動の滝から、なだらかな登りを約10分行くと、標識がある。
不動の滝の門 不動の滝 なだらかな登り 標識
標識から6~7分山道を登ると、道の右手(南側)に最初の古墳発見。こんもりしているのですぐわかる。
山道 最初の古墳 石室は破壊されていた
すぐ右隣(東側)に石室開口部。玄室奥壁天井部が抜けている。
更に東側に石室開口部。石室は全て南側に開口しているので、戸建て住宅の玄関が並んでいる風情がある。
開口部が土砂で埋まって入れないところが多いので、自撮り棒は必携!!
更に東側の石室開口部は大きく、入れた。立派な両袖式石室。
ルート道に戻ると、右(南)沿いに六体地蔵(上部欠損)があり、その南側にさらに二基。
六体地蔵 1基目 同左玄室
2基目 同左開口部近景 同左石室内
少し先に、標識と、通行を遮るようなロープが張ってある分岐道がある。
危険はなさそうなので、ロープ脇から進入。少し行くと左(北)側に3基。
1基目 同左開口部 同左内部 2基目 同左玄室
3基目 同左開口部近景 同左石室内部
標識辺りに戻り、北側(ルートの左手)斜面を見ると横穴や開口部が散見される。
そこから4~5分進み、やや急な斜面にいくつか開口部を発見。ルート道北側(左手)に沿うように流れる渓流を超えた急斜面に6基が開口(うち1基は埋没)。
ルート道と渓流見返り 1基目 同左開口部近景 同左羨道 同左玄室床部 同左玄室全景
2基目 同左残存石室 同左奥壁 3基目 同左開口部近景 同左玄室
3基目 同左玄室 4基目 同左羨道部 5基目開口部 同左奥壁
ルート道に戻り、道の南側に4基。1基目は天井石が崩落し、内部石組が僅かに見える。
2基目開口部 同左 3基目 同左天井石 4基目崩落天井部 同左羨道部
またルート道に戻ってすぐ、渓流の北側(左手)に開口部の大きな石室が見える。
また狭い渓流を越える。ここは入室できた。
ルート道に戻り、5分ほどで標識。そこから10分ほどで、「山頂まで1.8km」の標識。この標識から3分ほど上ったところに、まさに道沿いに開口している石室があった。
一つ目の標識 二つ目の標識 スート道沿いの開口部 同左石室内部 同左玄室
結局、約1時間半、登山道の周辺だけで23基程確認。実際にはもっとあるのだろう。
これである程度目的は達した訳だが、まだ11時半。
で、頂上にある龍王山城跡まで行くことにしたのだが・・・。途中強烈な急坂、10歩行って止まり、また10歩という具合。
600mの山と侮っていた。12時過ぎやっと龍王山頂=南城跡に到着。本当に跡だけ。
北城跡にも行こうとしたが、舗装林道が途中から下り出した。つまり戻りは登りになる。意気消沈し、途中で引き返した。
目的は達成したのだから、まっいいか!帰りは北ルートを下ったが、これまた急な下りで、足がガクガク・・・。下りだから早いが それでも約1時間。14時半柳本駅発で帰宅。
歩数計が示す歩数以上に1歩が重い一日だった。