OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

船戸山古墳群

2022年4月19日(火)。船戸山古墳群は和歌山県岩出市船戸、JR和歌山線船戸駅の南=船戸山団地に隣接する丘陵上にあり、7基が確認されている。かなり以前の古墳関連ブログと比べると、現在は、かなり整備されている。

船戸駅からの経路                  黄矢印が遊歩道

  *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

 

団地内の古墳群進入口の標識から、すぐ左=北に登って行く(登り口は遊歩道の感じがない)

船戸山団地入口     団地案内         古墳群進入口       登り口

北へ登ると、右手に古墳群全体の案内板(案内板の赤・黄線は当方の加工で、実際はありません)       

古墳群全体の案内板から、竹で仕切られた遊歩道があり、そこを辿れば良い。

船戸山2号墳

径約15m(やや楕円形)・高さ3m、6世紀後半の円墳。両袖式岩橋型石室が南西に開口。現在、開口部はフェンスで施錠されており入室はできない。玉類・鉄刀・金環・桃の種子・須恵器・土師器出土とのこと。

案内には道長3.7m・幅1m、玄室長2.95m・幅1.8m・高さ2.9mとある。

ただ和歌山市岩橋いわせにある岩橋千塚古墳群に代表される岩橋型石室は、通常の横穴式石室の羨道=単純・平坦なトンネル様と違い、掘り込みが有ったり、広くなったり・狭くなったりする(平面・立面が凸凹)。また、通常の横穴式石室は、羨道からすぐ急に玄室が広がる(通常、その境目を玄門と呼ぶ)が、岩橋型は、いかにも玄室入口という感じの部分がある。羨道=まさに石室進入口(階段状等に掘り込まれていたりする)部分、前室=平坦なトンネル部分、前道=玄室入口があり、『羨道・前室・前道と玄室』という構造が多い。この2号墳の「道長3.7m」を分解すると、大体「羨道長1.2m・幅1.2m」+「前室長1.7m・幅1m・高さ1.8m」+「前道長0.8m・幅0.8m・高さ1.2m」で、奥へ行く程床面は低くなっている。また案内板にある2段の「石棚」も岩橋型石室の特徴である。

岩橋型横穴式石室の、その他特徴は、板状に剝離できる泥質片岩で、板状に割った石材を床面から持ち送りながら積み上げ、石棚や数本の石梁を架構し、天井部は大きな板石で覆う点です。

岩橋千塚古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

船戸山6号墳

2号墳から遊歩道を進むと6号墳の案内があり、その右奥。

右手の墳丘は7号墳

東西16m×南北13mの楕円形。6世紀後半とのこと。須恵器・土師器の他、銅釧(銅の腕輪)・金環・馬具・棺金具・玉類出土。土師器の中にはミニチュア炊飯具に伴う鍋もあったらしい(渡来系?)。墳頂は窪みがあっただけだが、落ち葉を掻き分けると、石室残存部があったのかも?

                     墳頂南西望        案内見下ろし

船戸山7号墳は、6号墳から遊歩道を挟んだ西側。案内等は無く、墳頂部に窪みがあったので、6号墳石室跡と同じ様な状況なのかも。

6号墳案内から南西望                 墳頂の窪み       6号西斜面から見下ろし

船戸山1号墳

遊歩道は7号墳まで。6号墳の西裾斜面を伝って行くと(落ち葉が溜まり滑りやすいので要注意)、最高所(標高70m程)にあり、10m程の円墳で、西向きに小型の石室が開口。

6号墳案内見返り   

開口部の前には2m~3mの窪みがあり、すぐ玄室が見えるので、前室の一部と前道(玄室入口)と思われる。開口部=前道は幅40cm強・高さ80cm程でかなり狭く、落ち葉を掻き分け無理すれば入れるかもしれないが、玄室も狭く、外からでも何とか撮影はできた。

玄室は奥行き2m程で、持送りは緩くやや曲線的で、石棚もない。石材もやや丸っこい。入り口部分は岩橋型っぽいが、玄室は通常の横穴式石室様である。

開口部          奥壁下部         奥壁上部         天井部