寛弘寺かんこうじ古墳群は大阪府南河内郡河南町かなんちょう寛弘寺785-3「寛弘寺古墳公園」に4・5・6・7号墳が整備保存されている。2023年4月18日(火)訪問。
この地域の遺跡の発掘調査は、1982~2000年(S57~H12)に行われた。発掘調査によって確認された古墳は総数92基。4世紀中頃~7世紀後半にかけて、このあたりの豪族が造ったと考えられている。どれも小型であったため、ほとんどが古い時代に消滅したが4・5・6・7号墳の4基が保存されている。
寛弘寺古墳公園登り口東望 黄〇が案内
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5世紀前半~後半に、5号墳→4号墳→6号墳の順に造られ、7号墳はそれらより新しいとのこと。
寛弘寺4号墳
5世紀代の径29mの円墳とされている。
北望 西望 南西望
寛弘寺5号墳
5世紀代の、径30m程の2段築成の円墳。北西向きに長さ3m・幅4.5mの造出しつくりだしがついている。
南望 登り口南西望 テラス部分西望
墳頂から南望 造出し見下ろし西望 北東側(休憩所)見下ろし
寛弘寺6号墳
5世紀代の辺21~22mの方墳。
東望 墳頂から西望(左5号墳・右4号墳遠景)
寛弘寺7号墳
案内図に7号墳は表示されていないが、径約12mの円墳で、6号墳の北北東に隣接している。横穴式石室とされる。
6号墳頂から北北東見下ろし 東北東望
公園中心部に休憩所と案内がある。
休憩所から6号墳遠景東望 5号墳南西望
公園全景南東望 遠景北望
【参考】
なお40・41・45号墳の石室や出土遺物が、ここから2.5㎞程北東の「近つ飛鳥風土記の丘」に移築保存されている。(大阪府南河内郡河南町 大阪府立近つ飛鳥風土記の丘)
寛弘寺古墳群 移築石室 - OSAKA-TOM’s diary (hatenablog.com)
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寛弘寺古墳公園の南250m程の所に寛弘寺西山城跡(現在は墓地)、更にその380m程南方向に寛弘寺上之山城跡(鴨習太かもならいた神社が鎮座)がある。尾根先にある墳丘はよく山城や陣所に利用されていたので、これらも古墳だったかも・・・?
寛弘寺西山城跡 寛弘寺上之山城跡