西野々にしのの古墳群は、大阪府富田林市とんだばやしし大字伏見堂ふしみどう、古墳時代後期=6世紀代の5基からなる古墳群。2023年4月10日(月)訪問。
古墳群の北東角に1号墳があるが、その少し西横に古墳群の案内がある。
1号墳南望 1号墳東望
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1号墳(明八めはち塚古墳)
古墳群の北東角。6世紀前半の円墳。墳丘は周囲が削られているが本来は推定径46m・高さ9m程。市道等建設に伴う発掘調査で、周濠(幅6.5m・深さ0.8m)が検出された。周濠底に敷石が施され、外堤部でも敷石状遺構が認められた。また葺石・円筒埴輪も検出された。明八塚の由来は、削平で墳裾が明八(正八角形)となったことによるらしい。なお上の塚とも呼ばれる。明治時代には、横穴式石室が南側に開口していたと伝わる。
南望 西望 遠景北望
2号墳(千代塚古墳)
1号墳の50m南。墳丘の損壊が著しい。推定径25m・高さ4mの円墳。横穴式石室があった可能性があるが、かつて盗掘の際に何も見つからなかったと伝えられる。名称由来は不明で、1号墳(北の明八塚)に対して南の明八塚、下の塚とも呼ばれる。
遠景南西望 近景南望
近景東望 北望
*なお2号墳北側に方墳っぽい盛土があるが(下記左端写真)、この周辺にいくつもあり、現在も造られている。業者の方に聞くと、「将来畑用にするための土を、こうした盛土の形で保管している」のだそうだ。
2号墳西望 古墳群周辺
3号墳(石塚)
南側中央。辺28m・高さ2.5mの方墳とされるが、墳丘は殆ど削平されている。
4号墳(牛上塚)
最も西側。6世紀代の方墳と考えられるが、墳丘の一部を残すのみで、残存部は辺15m・高さ4m。墳丘上に祠がある。
3号墳跡北東望 4号墳北東望 4号墳南望
5号墳
4号墳の近く「松の本」という小字に存在したと伝えられるが、痕跡は残っていない。
【参考】
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西野々古墳群の東側の嶽山だけやまでは、西麓斜面に嶽山古墳群(6世紀前半)と田中古墳群(6世紀半ば)、北部尾根上に奥ノ谷古墳群(7世紀代)といった古墳時代後期の古墳群が存在した。西野々・田中・嶽山等の各古墳群は、立地や規模、副葬品等に差異が認められ、築造母体集団は異なっていたと推測されるとのこと。なお、田中古墳群の田中4号墳では、石室が良好な状態で遺存し、入室できる。