OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

大阪府泉北の古墳

陶邑窯跡群、檜尾塚原8号墳、牛石古墳、二本木山古墳、陶器千塚古墳群

陶邑すえむら窯跡群

古墳の出土遺物として、大抵土師器はじき・須恵器すえきがある。埴輪は原則土師器で、小さな坑を地面に掘って焼成(野焼き)するので、密閉性はなく酸素の供給が多い酸化焔焼成によって焼き上げる。そのため、焼成温度は800~900度で、橙色ないし赤褐色で軟質(もろい)。また、焼きムラの黒斑が良くみられる。

一方、須恵器は、古墳時代中期の4世紀後半から平安時代までの陶質土器(陶器と混同を避けるため、考古学用語では須恵器という)。起源は朝鮮半島(特に南部の伽耶)。須恵器はろくろ技術を用い、登窯のぼりがまと呼ばれる地下・半地下式の窖窯あながまを用い、1100度以上の高温で還元焔焼成する(密閉窖窯の中で酸素供給が不足するが、高熱により燃焼が進む)。野焼きの様に酸素が十分なら、燃料はすぐ二酸化炭素と水になる。しかし密閉状態では、一酸化炭素と水素が発生し、それが粘土成分の酸化物から酸素を奪う(還元する)ことで二酸化炭素と水になる。須恵器の灰色は、粘土中の赤い酸化第二鉄が還元されて酸化第一鉄に変質するために現れる。

須恵器を焼くには登窯が必要で、斜面を掘りくぼめ、細かく切った藁を混ぜた粘土で天井を覆い、細長いトンネルを造る。下から薪を入れる焚口たきぐち、薪を燃やす燃焼部、土器を焼く焼成部と煙を出す煙道に分かれ、燃焼部で燃やされた炎が斜面を上り、効率良く熱が焼成部に伝わる。窯の長さは約10m、幅は約2mで、内部の高さは1.5mぐらい。焚口の前には、燃焼部から掻き出された灰や薪の燃えカス・焼いている時に割れたり変形して捨てられた須恵器が積もった灰原はいばらが広がる。

大阪府高槻市上土室はむろの新池遺跡(ハニワ工場公園)に典型的な登窯跡があり、参考までに・・・・・・。

          復元登窯

その須恵器が、泉北ニュータウンを中心に西は和泉市岸和田市、東は大阪狭山市。東西15㎞、南北9㎞におよぶ泉北丘陵一帯で大規模に焼かれ、各地に運び出されていたことは意外と知られていない。須恵器生産が始まったのは、今から約1600年前の古墳時代にさかのぼる。この焼きものの技術は、朝鮮半島からの渡来人により伝えられ、泉北の地にも根付き、平安時代までの約500年間で600基とも1000基とも言われる窯が築かれた。昭和30年代泉北ニュータウンの建設工事に伴い、窯跡の分布が調べられ、『日本書紀』に見える地名の「茅渟県陶邑ちぬのあがたすえむら」にあたるとされ、陶邑窯跡群と名付けられた。

泉北丘陵の周辺では、須恵器生産に関係する遺跡がいくつか発見されている。泉北の陶器川・前田川流域では陶器南・辻之・小角田こかんだ・田園遺跡等がある。倉庫建物跡や不良品の須恵器が多数出土する。出来上がった須恵器を、不良品を選別した後、倉庫で保管され河川などを利用して出荷する集積・出荷センターの役割があったと考えられている。近くには須恵器生産に関係した首長や集団長クラスが葬られたと思われる湯山古墳・陶器千塚・牛石古墳群・檜尾塚原古墳群等がある。窯や集積・出荷センターは、10~100年の期間でその働きを終えている*。

*須恵器を焼くには大量の薪を必要とし、森林がなくなった時点で新しい場所に移動する。貞観元年(859)河内と和泉の国の間で、薪を切り出す山をめぐって起こった「陶山の薪争い」が『日本三代実録』に見える。長年の須恵器生産が丘陵から森林を奪い、須恵器を焼くことができなくなったことも陶邑の須恵器生産が終わりを向かえた理由の一つと考えられる。

陶邑窯跡群 堺市

 

檜尾ひのお塚原8号墳

2022年5月19日(木)訪問。巻頭地図①。6世紀の8号墳の木芯粘土室が移築保存されている。また光明池駅の北側には、古墳群が新檜尾公園として整備されている(ただ、案内板等は設置されておらず、詳細不明)。

下図紫の枠線が8号墳の所在地。緑の枠線が新檜尾公園(●は大阪府遺跡地図掲載の古墳)

8号墳進入口       遠景北東望         移築石室         案内

開口部は施錠されていないか、閂が全く動かず、金網越しに撮影。木芯部分が復元されている。

開口部          石室内

牛石うしいし古墳

2020年2月6日(木)訪問。巻頭地図②。大阪府堺市南区桃山台1丁。6世紀後半の円墳。

             遠景西望                       案内   

牛石                        南東望

二本木山古墳

2020年2月6日(木)訪問。巻頭地図③。大阪府堺市南区赤坂台2丁。5世紀前半の円墳。

             墳丘へ(白矢印)      墳頂へ(赤矢印)

          案内           北東見下ろし        南西見上げ

陶器千塚古墳群

2015年9月23日(水)訪問。大阪府堺市中区辻之つじの。6世紀後半の古墳群。周辺には、辻之・小角田こかんだ遺跡等がある。精華高校の校庭内に御坊山古墳がある。御坊山古墳の石碑のすぐ西に陶器千塚29号墳跡がある。

          御坊山遠景      碑          案内  

詳細は以下を参照下さい。

御坊山古墳 堺市

陶器千塚29号墳 堺市

辻之遺跡 堺市

小角田遺跡 堺市