OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

藤ノ木古墳

2017年9月25日(月)藤ノ木古墳斑鳩大塚古墳を訪問。2022年3月11日(金)戸垣山古墳・甲塚古墳・春日古墳・仏塚古墳・瓦塚古墳群・駒塚古墳・調子丸古墳を訪問。

2017年9月当時の散策ルート

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斑鳩大塚古墳

2017年9月25日(月)訪問、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南1丁目14周辺。5世紀前半頃の築造で斑鳩町では最古級。忠霊塔の建設関連で、1953年(S28)発掘調査し、銅鏡・石釧(いしくしろ=石製腕輪)・筒形銅器(通説では、杖や槍・⽭等の柄尻に取付けられた)・甲冑片・武器等多数の副葬品が出土した。当初、径35m程度の円墳と考えられてきたが、2015年前方後円墳または帆立貝型古墳だった可能性を示す前方部が見つかり、従来の想定より規模も大きかったらしい。

遠景北望              忠霊塔西望

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*写真は2017年。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意ください。

藤ノ木古墳

2017年9月25日(月)訪問。斑鳩町法隆寺西2丁目1。法隆寺西院伽藍の西350mに位置。6世紀後半築造の円墳。

遠景北西望     案内         南側南西望     石室開口部     2022年

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

径約50m・高さ9m。従前、大和での埴輪設置は6世紀前半が最後とされていたが、墳裾に円筒埴輪が並べられており従来説を訂正する契機となった。稀に見る未盗掘の両袖型横穴式石室で、全長14m弱、羨道長約8.3m・幅約1.8〜2.1m。玄室長は西壁側約6m・東壁側約5.7m、幅約2.4〜2.7m・高さ約4.2〜4.4m、玄室床に礫が敷かれ、その下を排水溝が玄室中央から羨道を通って墳裾へ敷かれていた。玄室奥に二上山白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺が安置され、成人男性2体が合葬されていた(北側は17~25才、やや横向き)。石棺内外は、水銀朱(赤色顔料)が塗られていた。約2.35×1.3×0.97m、蓋は約2.3×1.3m×厚さ0.52~0.55mで縄掛突起が付く。棺は幅・高さ共に西側より東側の方がやや大きく台形状。副葬品は金銅製馬具や装身具類・刀剣類等で、被葬者は当時の支配階級と考えられるが、円墳であるため、大王級ではない皇族と推測されている。『紀』にある587年6月蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子(あなほべ=31代用明天皇皇子)と宅部皇子(やかべ=28代宣化天皇皇子)説や、「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟崇峻天皇が合葬された」との説等がある。また、南側被葬者は女性説(磐隈皇女)や茨城うまらぎ皇子説もある。
(石棺外出土)金銅鞍金具1、鉄地金銅張鞍金具残欠、金属製品(馬具類・挂甲小札・刀身・鉄鏃・鉄製模造品等)・土師器3・須恵器46。
(石棺内出土)獣帯鏡1・画文帯神獣鏡2・神獣鏡1・金属製品(金銅冠・金銅飾履2足分)、金銅製・銀製装飾品類・刀剣類・ガラス製品。

古墳の南側200m程に斑鳩町文化財活用センター(斑鳩町法隆寺西1-11-14)がある。副葬品レプリカ展示や、発掘当時のスライドが見学できる。

レプリカ石棺屋外展示       案内

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展示例                                    スライド一例

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2022年3月11日(金)戸垣山古墳・甲塚古墳・春日古墳・仏塚古墳・瓦塚古墳群・駒塚古墳・調子丸古墳。

戸垣山古墳

下図①。生駒郡斑鳩町龍田南2丁目。奈良県遺跡地図の07D-0044。数基あったらしいが他は消滅。住宅に隣接し、道路側の墳裾はブロック擁護壁があり、うっかりすると通り過ぎそう。墳丘には登れるが、当日は墳頂の埋葬施設発掘調査のため立入禁止。東西約20m・南北約21m・東側高さ3.6m・西側3.1mの方墳とのこと。2011年調査で埴輪片が出土。周辺田畑でも土師器片・須恵器片等も検出され、他地域の方墳との比較で、5世紀代とされている。

           西望        南望        南東望       東望

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甲塚古墳

下図②。斑鳩町龍田北1丁目11。奈良県遺跡地図の07D-0141、藤ノ木古墳の西南西175m。2016年調査で、最大径約30mの円墳の可能性があるとのこと。竪穴式の施設(南北3m以上・東西0.7m以上)で、5世紀代の銅鏡(径6cm)が出土し、水銀朱の付着や、鏡周辺で赤色顔料が確認されたとのこと。5世紀~6世紀中頃築造とも推測され、斑鳩周辺の藤ノ木古墳築造前段階の状況を示すとも・・・。

           遠景西望      近景西望      南東望      藤ノ木古墳遠景東望

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春日古墳

下図③。斑鳩町法隆寺西1丁目6。奈良県遺跡地図の07D-0029、藤ノ木古墳の北東150m。墳丘の南裾に春日明神の小さな祠があり、古墳名由来と思われる。現状径約22m・高さ約6mだが、元々30m程の円墳とも。葺石・埴輪は認められず、埋葬施設は不明だが横穴式石室で、古墳時代後期~終末期築造の可能性があるとのこと。古墳としては殆ど知られていないだろう。

          進入路の案内     遠景東望      祠         藤ノ木古墳南西望

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仏塚古墳

下図④。斑鳩町大字法隆寺奈良県遺跡地図の07D-0089。田圃の中にポツンとある。現状は南北16m・東西18m・高さ4mだが、元は辺23mの方墳らしい。やや南西方向に両袖型横穴式石室が開口する。現状石室長9.4m、羨道長5.5m・幅1.4~1.8m、玄室長3.9m・幅1.9~2.2m・高さ2.7mとのこと。大半は小型石材を積んでいる。亀甲型の陶棺片が2~3棺分検出され、馬具・金環・刀子・土師器・須恵器(坏蓋・高坏・壷・器台)等が出土。中世には仏堂として再利用されていたようで、6世紀末頃築造と推定される。

          遠景北望      北東望        近景北西望      開口部

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*↑経路写真はGoogleマップーストリートビューの画像を編集加工しています。

玄室        玄門部と側壁               西面南望       墳頂から南望

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瓦塚古墳群

下図⑤。斑鳩町大字三井。3基の古墳群。瓦塚2号墳後円部の西側斜面に「三井瓦窯跡」があり瓦塚と呼ばれていた。

1号墳 奈良県遺跡地図の07D-0053。1975年調査の結果、復元全長97m、後円部径60m・高さ8m、前方部幅47m・高さ2mと判明したらしい。墳丘西側は道路で削られている。2段築成で上下2段に円筒・壷形・朝顔形埴輪列が巡っていたそうで、遺物の魚形土製品片等から、5世紀前半築造と推定され、埋葬施設は竪穴式石室か粘土槨と考えられるとのこと。一応墳丘に登っては見たが、墳形は殆ど確認できない。

2号墳 奈良県遺跡地図の07D-0054。1976年の測量調査で、復元全長95m、後円部径60m、前方部幅45mで1号墳と同じ規格らしい。出土した円筒埴輪は1号墳と酷似し、同時期築造と思われる。三井瓦窯跡が後円部の西側斜面に遺存する。後円部を除き墳形は殆ど確認できない。
3号墳 奈良県遺跡地図の07D-0094。径40mの円墳。現在墳形は殆ど確認できず、場所も特定できない。

          遠景東望       窯跡案内      窯跡 

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2号墳後円部西側   見下ろし       3号墳辺り?              1号墳西側北望

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駒塚古墳

下図⑥。斑鳩町東福寺1丁目4。奈良県遺跡地図の07D-0074。現状全長49m以上、後円部径34m・高さ5.5m、 前方部幅18m以上・高さ約2m、前方部を南に向ける。各2段築成。葺石と埴輪はあったが周濠は確認されていない。埴輪の出土量が少ないため、墳頂の一部のみ等と考えられるらしい。聖徳太子の愛馬「黒駒」を葬ったとする伝承が名称由来かも。ただ、出土土器等から4世紀後半頃と推定される。

          遠景東望      前方部北望      後円部方面北望   前方部南端西望

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調子丸古墳

下図⑦。斑鳩町東福寺1丁目5。奈良県遺跡地図の07D-0075。駒塚古墳の南約100m、田圃の畦道を通って行ける。太子の馬丁であった調子丸の墓との伝承が名称由来。聖徳太子のいた6世紀初頭と、築造年代にはかなり差がある。

          遠景南東望      東望         北東望       駒塚遠景北望

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