OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

牧野古墳

2022年5月4日(水)。奈良県北葛城郡牧野古墳・京戸古墳・佐味田宝塚古墳・貝吹山2号墳・金フリ山塚・石ヶ谷古墳・勘平山古墳・御坊中古墳・土山古墳・坊主山古墳。

馬見古墳群に属する牧野古墳・佐味田宝塚古墳は2017年11月に訪れているが、普段施錠されている牧野古墳の石室が公開されたので、周辺を含め訪問。

①牧野ばくや古墳

奈良県北葛城郡広陵町馬見うまみ北8丁目4、牧野史跡公園。古墳時代後期の6世紀末、径約50~60m・高13mの円墳、3段築成。両袖型の横穴式石室が2段目に南方に開口する。

遠景北東望        公園入口東望        案内

   *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

当日、石室への登り口に置かれていた解説板。ちょっとくたびれていましたが・・。

案内           開口部          前庭

全長17.1mの横穴式石室。羨道長約10m・幅約1.8m・高約2m、玄室長約6.7m・幅約3.3m・高4.5m。 巨石で構築され、石舞台古墳に次ぐ規模。玄室側壁は古墳時代後期~終末期特有の持ち送りがみられ、桜井市の赤坂天王山1・3号墳石室と類似する。玄室内には凝灰岩製家形石棺2基が納められていた。奥壁手前に安置された石棺は長さ2.1mの刳抜式(石室内に現存)、その手前に置かれていた石棺は、破壊されていたが破片や痕跡から長さ2.6m程の組合式だったと推定される。床面には礫が敷かれ、玄室壁に沿って排水溝が巡り、玄門部で合流し羨道を通り外面に続いていた(今は埋まっている)。玄室内を中心に金銅装の馬具・約400の鉄鏃・銀装大刀・金銅製山梔くちなし玉等の玉類・金環等の装飾品・木芯金銅椀・須恵器等が検出された。この時期では最大級で、被葬者は大王に近い支配者層と考えられ、30代敏達びたつ天皇(在位572~585年)の第一皇子押坂彦人おしさかのひこひと大兄皇子(生没年不祥)との説がある。
押坂彦人大兄皇子=乙巳いっしの変で著名な「35代皇極こうぎょく天皇」と大化の改新で著名な「36代孝徳天皇姉弟の祖父。

羨門部(開扉箇所)     羨道           玄室床面         刳抜式石棺

刳抜式石棺上部左端    中            右端           奥側から

奥壁は下から3石・2石・1石、最上段の1石は前傾している。母子連れの見学者がおられ、子供が懐中電灯を振り回していたので、玄室内の写真はあまり撮れませんでした。

奥壁中段        上段正面          上段東望         天井部(左が奥側)

西(奥から見て右)側壁   東(左)側壁         東(左)袖         西(右)袖

玄門側       玄門部        楣(まぐさ)石    上段         羨道と開口部

墳頂見上げ南東望  墳頂南望       開口部俯瞰南望   俯瞰西望      開口部

馬見古墳群は以下を参照下さい。

馬見古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

 

②京戸古墳 

広陵町馬見北4丁目19、2号児童公園(京戸」の読み方が分からない)。奈良県遺跡地図10D-0081。径15mの円墳、木棺直葬とのこと。フェンスで囲われているが、西側と東側のフェンス扉は施錠されておらず中に入れる。この時期でも草が相当生い茂っており断念。冬場なら良いかも?

        公園遠景   案内(赤〇は当方加工)      西側進入口        南望

③佐味田さみた宝塚古墳

北葛城郡河合町佐味田。4世紀末~5世紀初頭頃の前方後円墳。馬見地域で最初に築造された前方後円墳。2017年11月一度訪問しているが、牧野古墳周辺なので、再度訪問した。②の2号児童公園から直線距離で120m程だが、倒木とかで道が見つけられず、下図青破線のルートを辿るしかなかく、1.7kmあった(佐味田宝塚古墳の西側=葛城台団地から、ほのぼの公園経由でも1.3km)。墳丘到着時、古墳案内板左横に、つい最近除草された道があり、墳丘方面に上ると、道らしきものを発見、そこを辿ると、あっさり2号児童公園に出た(詳細ルート後述)。

古墳案内の後ろに、堤の様な段があるが、これは墳丘ではなく、この堤を上がった奥にある。1881年発見され、全長111m、後円部径60m、前方部幅50m。各2段築成で前方部を北東に向ける。埋葬施設は粘土槨で、その周囲に礫を埋めた排水溝を巡らせていたと推測されている。葺石と埴輪が確認されたが、濠は確認されていない。

案内           墳丘への登り口      くびれ部北西望      後円部西望 

前方部北西望    南望         案内        前方部南西望    北西望

1882年(M14)粘土槨から約36面の銅鏡が出土、中でも径23cmの大型家屋文鏡かおくもんきょうが著名(宮内庁書陵部蔵)。他に銅製品8点、石釧(いしくしろ=石製腕輪)、鍬形石(くわがたいし=腕輪の一種)、石製合子(ごうす=ふた付き小容器)、刀子(とうす=小刀)、剣、斧、鑿のみ等の滑石製模造品等47点、玉類25箇等、総数140点。東京・奈良国立博物館宮内庁書陵部に分けて保管されているらしい。埴輪は鰭付ひれつき円筒埴輪列が並び、くびれ部には形象埴輪が存在。形象埴輪は盾形・蓋きぬがさ形・短甲形(胴を保護する鎧)草摺(くさずり=下半身を防御する鎧で、裾が草をこすることが名称由来)・靭形(ゆぎ=背負矢立)・家形・壺形等。

家屋文鏡         一般的な石釧       一般的な鍬形石       一般的な合子

②の2号児童公園(北東口)からの近道=写真左→右、上→下と連続しています。 

写真は2022年5月。季節や経過年数により目印や状況が変わることが多いので注意ください。

④貝吹山2号墳

北葛城郡河合町佐味田。遺跡地図10D-0034。佐味田宝塚古墳後円部の少し南西上方。径約30mの円墳だが、半壊しており、上記の近道付近なのによく分からない。 

⑤金フリ山塚

広陵町馬見北6丁目8、横峯公園。遺跡地図10D-0079。径約10mの円墳。

          案内(赤〇は当方加工) 南東望                  墳頂

⑥石ケ谷古墳

広陵町馬見北7丁目1。遺跡地図10D-0083。横穴式石室を持つ方墳。須恵器・土師器・鉄鏃・鉄釘が出土したとのこと。googleマップ上では「石ヶ谷古墳公園」とあるが、施錠されており、横穴式石室どころか、墳丘もよく分からない。フェンスで施錠する程貴重とも思えないが、小学校に隣接するので児童の安全確保のためか?

登り口西望                           フェンス内 

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五位堂駅の北側に、何基かある。

⑦勘平山第1号墳

香芝市かしばし真美ケ丘まみがおか1丁目4、勘平山児童公園。遺跡地図10D-0014。5世紀後半、径約13mの円墳。鉄剣・鉄刀・須恵器出土とのこと。墳裾に真新しい案内板が設置されていた。2号墳辺りは木々が茂りよく分からない。

*遺跡地図での2号墳は、下記案内板の2号墳位置より20~30m南西に有り、旧東朋香芝病院の北側に隣接する所に表示されている。それなら既に更地になっているのだが・・・?まー案内板の測量図が正しいのだろう。

遠景南望      案内                   墳頂        遠景北東望  

⑧御坊中1・2・3号墳

フェンスで囲われてはいるが、南側の一部が開いており、切り通しの道がある。道は北東側まで続くが、木で覆われていて墳丘はハッキリ確認できなかった。

1号墳 香芝市瓦口、遺跡地図10D-0018。径10mの円墳。

2号墳 香芝市瓦口、遺跡地図10D-0020。辺15mの方墳?

3号墳 香芝市鎌田、遺跡地図10D-0019。径25mの円墳。

          遠景北東望      進入口 

切り通し      3号墳辺り       2号墳辺り     1号墳辺り     北東に抜けた地点

⑨土山古墳

香芝市瓦口~別所。遺跡地図10D-0022。全長約65mの前方後円墳

⑧御坊中古墳からのルート

池の南側の道へ              近道                  (近道見返り)

万福寺を左(北東)へ            池添いに右(南東)へ             遠景南望

住宅街から南西に入る林道がある。林道に沿って70~80m回り込んだ所の北上方に、少し開けた所が見える。ある程度墳形に沿って、木が伐採されており、切り株は割と新しい。写真は2022年5月。季節や経過年数により目印や状況が変わることが多いので注意ください。

林道入口付近から見上げ  北望見上げ(後円部)    前方部から西見下ろし   後円部方面

⑩坊主山古墳

香芝市別所。遺跡地図10D-0023。径約30mの円墳。⑨土山古墳林道入口から、住宅街の少し先の三差路を南に少し上がると分岐*がある。そこを左(北東)に登った所。*ここを真っすぐ下ると阿弥陀寺方面に抜ける。

木々で覆われており、墳丘もハッキリ確認できなかった。

坊主山への分岐      東望           南東望          裏側から北望