OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

桜井市 倉橋ため池周辺古墳群

カタハラ古墳群・梶山古墳群・エンドウ山古墳群

2021.6.8(火)。桜井市倉橋、倉橋ため池周辺。著名な赤坂天王山古墳群の近隣。

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   ●は駐車位置。青点線は徒歩               ↑「奈良県遺跡地図」引用

カタハラ古墳群

桜井市倉橋出屋敷(上図③)。赤坂天王山古墳群進入路北側の三差路を南東に登った丘陵上。カタハラ1号墳(奈良県遺跡地図15C-0049)はH11年に調査され、H13年市史跡に指定。径13~18mの円墳、右片袖式の穹窿状横穴式石室が南西方向に開口。玄室奥壁8段、側壁7段程で高さ約3mらしい。小さ目の石材を積上げており6世紀中頃の築造。奥壁と側壁の下半接続は直角だが、上半は隅角を消すよう=隅三角持ち送りが見られるとのこと。ただし、防護柵で入室不可どころか、開口部もよく確認できません。

分岐を南東に上がっていく      1号墳          開口部辺り

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

【古墳豆知識その13】穹窿状横穴式石室

穹窿きゅうりゅうは、「中央が高く弓形をしている」という意味で、建物ではアーチ形・ドーム形・丸天井といった形。方形で造るより高度な技術が要るはずだ。熊本県嘉島町の井寺古墳(5世紀末~6世紀初)、同県御船町の小坂おざか大塚古墳(5世紀後半)、同県西区池上町の二軒小屋古墳等がある。奈良では高市郡明日香村大字真弓の真弓鑵子かんす塚古墳(6世紀後半頃、径23mの円墳。玄室長6.3m・幅4.2m・高さ4.8m、石材は7段積上げ、3段目以降を急激に持ち送る穹窿式。渡来系の東ヤマトの漢アヤ氏墓説)や、平群町椿井の椿井宮山塚古墳(5世紀後半~末、径26mの円墳。玄室長4.1m・幅3m・高さ3.2m、下半は垂直で上半部を内側に持ち送る穹窿式)。穹窿状の横穴式石室は、韓国の旧百済(660年滅亡)の公州(現忠清南道)宋山里(송산리ソンサルリ)古墳群1~5号墳の横穴式石室に形状が共通しており、小さな石材をドーム状に積んで、石室空間を構築する技術は独特で、渡来人の石工集団の足跡をこれらの石室に見ることができる。

真弓鑵子塚古墳(2020年3月)     宮山塚古墳(2019年10月)

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*赤坂天王山古墳群からため池公園へ向かう道沿いに、奈良県遺跡地図42(15C-0042)古墳があり、墳丘は残るが、墳頂部には5~6基の墓石があるのみ。

42古墳登り口                   墳頂部

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梶山古墳群

桜井市倉橋ため池ふれあい公園の「まほろば広場」(上図④)。梶山1・2・3・4号墳は水没。2基の入室可能石室が残る。

15C-0032古墳

まほろば広場」は桜井市森林組合の北向かい。広場案内板から真北へ70m(照明塔から池畔へ)行くと、「ため池周辺の古墳」案内がある。この案内板から少し北に行った右手に15C-0032古墳の登り口がある。登ってすぐ開口部がある。

まほろば広場  古墳群方面    開口石室    案内       32古墳登り口

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6世紀末頃、径9.5mの円墳。開口部は幅115cm・高さ83cmで比較的入室し易い。両袖式の横穴式石室で、全長6~7m、羨道長約3m・幅約1.2m、玄室長約4m・幅約2.2m・高さ約2.5m。

開口部              羨道      両袖               玄室 

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奥壁          右側壁(奥から見て)     左側壁         天井部

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両袖部          楣石          左側壁          右側壁

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15C-0030古墳

15C-0032から、さらに池の方へ進み、柵の突き当り奥に15C-0030石室。柵は右横から抜けられる。

池畔へ                      開口部

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6世紀後半~7世紀初頭頃。径16mの円墳。両袖式の横穴式石室。開口部は幅85cm・高さ60cmと少し狭い。全長8.5m、羨道長約5m・幅1.35m、玄室長3.6m・幅1.6m。出土遺物は知られていないらしい。

羨道           玄室          奥壁           奥壁上部と天井

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玄門        楣石        左袖        右袖        楣石上部

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*左端写真の開口部ビニールは入室時に敷いたもので、もちろん退室時撤去しています。

エンドウ山古墳群

「トンボ池広場」北西の尾根上(上図⑤)。ため池の南西端にある「柴垣の宮広場」から北は、車は入れない。「柴垣の宮広場」南西端の駐車場から遊歩道を1kmちょっと。「トンボ池広場」をグルッと回る道の北西角辺りに進入路がある。笹の茂みの間に人の通ったような跡があり、下が少しぬかるんでいる。ただ、茂みを抜けると割と開けており、先達のテープ目印が誘導してくれる。進入路から約7~8分で到達。今回は6月で、結構笹も茂っており、やはり山中の古墳群は冬場が鉄則です。

*目印テープは経年劣化で、はがれてしまっている場合も多い。できるだけ最新の情報で確認してください。

トンボ池広場北西望  進入路から見た広場       進入路とテープ       最初の目印

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以下、ルート上の目印テープをできるだけ掲載します。

             最初の小丘陵の急斜面を少し迂回する形で尾根を登る↓   同左別角度

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笹で覆われた道を行く

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小丘陵を上がった所の2号墳石材      1号墳開口部  

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両袖式の横穴式石室。開口部は幅75cm・高さ80cm。切石加工の石材で、側壁・奥壁は2段。石材の目地隙間には漆喰の跡。天井石は2枚。玄室の高さは1.65mでかなり小ぶり。

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羨門        左袖        裏込め土か?↓    右袖

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帰宅して写真を整理している時に、妙な事に気付いた。それは先に2号墳の石材を見つけ、その後少し(南に)下った所に1号墳石室を見つけたという順番だ。2号墳は1号墳の北側のはず。私は南東の進入口から北西に向かって登ったはず。なら1号墳が先に見つからないといけない。それと1号墳石室からの帰路は、2号墳を越えて下って行ったが、来た道と違ったようで、トンボ池広場から直線距離で北へ100m程行った池畔に出た。つまり私がトンボ池広場から登ったルートは、まっすぐ北西のエンドウ山古墳群を目指したのではなく、古墳群に至る直前で、北から登るルートに合流していたことになる。
まー、結果的に7~8分で到達したことだし、山中の尾根に至るルートは四方八方にある訳で、あながち間違いとも言えないが・・・。