徳利塚古墳
2021.6.8(火)。下図(⑥こうぜ1号墳)→⑦八坂神社→⑧徳利塚古墳→⑨池ノ内古墳群
●は駐車位置。青点線は徒歩
⑥こうぜ1号墳 桜井市浅古。(6世紀後半~末)は東・西石室が入室可能なのだが、笹がひどく今回は断念。冬場に再度訪れたい。
2018年4月に桜井駅→艸墓古墳→文殊院西・東古墳→谷首古墳→コロコロ山古墳→メスリ山古墳→兜塚古墳→秋殿南古墳→(こうぜ1号墳)→舞谷2号墳→赤坂天王山古墳→塚越古墳→舒明陵→茶臼山古墳→桜井駅(約13km)と徒歩で巡ったが、当時こうぜ1号墳の石室場所がよく分からずパスしている。今回、場所をキッチリ下調べしリベンジに臨んだが・・・・・。
⑦八坂神社境内 桜井市浅古。奈良県遺跡地図の14D-0090の円墳。東半分は破壊され灯篭や碑が立つ。南に開口する自然石の横穴式石室(羨道長5m以上、玄室長4.3m・高2m)だったらしいが、西側壁一部石材を残すのみ。
こうぜ1号墳 東石室方面 八坂神社境内
*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。
⑧徳利塚古墳
桜井市高田。高田植松古墳群の徳利塚古墳(上図⑧、奈良県遺跡地図14D-0193)。
6世紀後半~7世紀初頭の円墳。著名なメスリ山古墳後円部南側墳裾から真南へ200m程の小さな池辺りが、登り口。車なら37号線から桜井下簡易郵便局の前を西へ400m。赤い火の見櫓が目印。ここから南に登って行く。
登り口西望 南望 そのまま道なりに上がっていく。
最初の分岐は、左に行くとすぐに高田山口神社。ここを右というか真っすぐ行く。分岐から50m程で、切り通しの坂道に入る。
最初の分岐 切り通しの坂道へ
切り通しを上がりきると、開けた感じで、すぐ左下にグラウンドがある。グラウンドを過ぎる辺りから、また林の中に入っていく。
グラウンド また林の中へ
しばらく道なりに行くと、目印テープの巻かれた木がある。登り口から14~15分の所。ここから、右下(南西)に下って行く。目印テープが経年劣化で、はがれてしまっている場合は、右手の変わった形の木が目印。
笹の茂みを抜けると、右手(西側)が開けた所に出る。道は全くなく、切り倒された笹の上を右手(西側)に下る。
ここはすごく気を付けてください。坂道に倒れた笹の茎は、すごく滑りやすく、切り倒された笹の茎残りは尖っていて、転ぶと体に刺さる危険も・・。立って進むのでなく、四つん這いで下ってもいい位です。
分岐から笹の茂みを下る 進入路 (逆から見た様子)
小丘陵の右手に回り込む 少し右下に大きな石室石材が見える
ここまでの写真は6月です。真夏・秋・真冬では様子がかなり違いますのでご注意を。
「植松西支群1号墳」が正式名称。標高195~240m付近、西側尾根上の西支群と東側の東支群があるらしい。巨石を使った両袖式の横穴式石室で、開口部を塞ぐ巨石(場所的に羨道天井石?)は高さ150cm以上・幅115cm程あり、その右横の隙間(25~30㎝)から入室できる。玄室内に近江産の黒雲母花崗岩製の刳抜式石棺が遺存する。全長2.1~2.5m・幅1.1~1.3m・高さ1.2m程。蓋は失われている。(奥から見て)左側壁の羨道寄りの石材も高さ130cm程あり、玄室は大中小の石材を組み合わせている。
《参考》最初の分岐を、左に行くと高田山口神社がある。
⑨池ノ内古墳群
桜井市池ノ内。(「なら食と農の魅力創造国際大学=旧奈良県立農業大学」構内、上図⑨)。
4世紀末~5世紀初頭の古墳群。前期古墳的な性格を持つ古墳群。1970年県立農業大学建設に先立ち橿原考古学研究所で調査された。小規模な古墳群であるが鏡・勾玉・管玉・石釧・琴形石製品・鏃形石製品・鉄製武器類など豊富な出土品があったとのこと。これらの出土品からして、当時前方後円墳を作るまでには至らなかったものの、中央政権に君臨した豪族層の墳墓群の可能性が考えられるらしい。この古墳群は全て粘土槨に木棺直葬したタイプ。
大学構内なので、許可を得ないと入れないと思っていたが、門には警備室もなく、フリーパス?状態。大学といっても、校舎でなくビニールハウスがズラーっと並んでいる。遺跡地図では、敷地内の北西端に南北に1~7号墳が並ぶ。北端の6号墳と、南端の7号墳はよく分からない。また5・4・3号墳は一つながりになっている。
一桁の赤字が号数 6号墳辺り 5号墳? 4号墳? 3号墳? 5~3号墳
2号墳 案内 1号墳 7号墳辺り 8号墳方面
6号墳(丸山古墳)・・・古墳群中最北端にある円墳状の古墳で 主体部は組合式木棺と推定されるが中央部は盗掘が激しく両端だけが遺存していた。出土品は鉄剣・鉄鏃・鉄斧・鎌・鋸形鉄製品・手鎌形鉄製品・刀子など。
5号墳・・・円墳(径15~16m)で4基の木棺直葬墓を持つ。この古墳群の中では一番遺物が沢山出土しておりこの古墳群中最盛期の古墳とされる。
第1棺:変形獣形鏡(完形13cm)勾玉等玉類・櫛・刀子・鉄斧・刀・鉄鏃・短甲・石釧等出土。
第2棺:三角縁竜虎鏡(銘文なし、完形22cm)勾玉・管玉・臼玉・櫛・剣・刀・鉄鏃等出土。
第3棺:琴柱形石製品鏡・紡錘車・勾玉・管玉・垂飾品・筒形銅器片・櫛・直刀・鉄剣等出土。
第4棺:珠文鏡(銘文なし、欠損5.6cm)剣・刀等出土。
4号墳・・・円墳(径10m?)と思われるが埋葬主体部は確認されていない。遺物は壷形土器片が出土。この土器の特殊性から古墳ではなく祭祀の場所であった可能性が高い。
3号墳・・・円墳(径10m)。主体部は粘土槨で組合式の箱型木棺と推定されている。槨の中央部は盗掘されていたが直刀・鉄剣・鉄鏃・鉄斧・鉄器・車輪石片が確認された。
2号墳・・・円墳(径東西30m、南北22m)だが明確な墳丘は見られない。主体部は粘土槨(長さ約7m)で礫を用いた排水設備があるのが特徴。出土品は土師器・埴輪片等。
1号墳・・・円墳(径東西13m、南北10m)。自然丘陵の頂部に二つの墓壙を平行に堀り、割竹形木棺を直葬。棺は長さ約3.6m、幅0.4~0.5m。出土遺物は 東棺で内行花文鏡(銘文なし、完形11.7cm)、管玉・ガラス製小玉・鉄斧・石釧。西棺では変形重圏鋸歯文帯鏡(四区渦文鏡、銘文なし、完形12.6cm)、勾玉・管玉・琥珀製棗玉・ガラス製小玉・鉄鍬・刀子・ヤリガンナ・石釧・石杵・土師器等出土。
7号墳(ヒョウタン山古墳)・・・丘陵南端の円墳(径東西11m、南北13.5m、高さ2m)で2基の埋葬主体。東棺は全長2.8m、幅0.75mの組合せ式木棺、西棺は南半分が滅失していたが東棺と同様のものと推定。出土遺物は直刀・鉄剣・鉄鏃・鏃形石製品。
8号墳・・・円墳と思われるが不明。埋葬主体部は礫状施設状のものがあった以外は不明。
とのことです。