OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

桐畑古墳群(熊ケ谷古墳群)

2022.11.16(金)。桐畑古墳群(熊ケ谷古墳群) 大津市滋賀里しがさと1丁目。

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滋賀里駅から八幡神社を経由して桐畑古墳まで800m程。すぐ南西側には百穴古墳群がある。

百穴古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

千体地蔵堂脇から北へ向かい、200m程で崇福寺へ。

     *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

 

桐畑 1号墳

崇福寺の境内にある。

6世紀後半の径20m程の円墳で、石室は南東(案内では東)に開口する両袖式。羨道長さ6m・幅1.4m・高さ1.6m程、玄室の長さ5m・幅3.1m・高さ4m。玄室の天井石は滅失しているが、側壁を持ち送りドーム状を呈し、渡来人系と思われる。玄室内に不動尊が祀られている。

開口部          羨道                        玄門部

玄室           (奥から見て)右側壁    左側壁          天井部

玄室全景         玄門部           開口部方面  

開口部横の案内では「6基の円墳から構成され、このうち3基から横穴式石室が見つかっている」とあったが、下調べでは「桐畑古墳群は熊ケ谷古墳群の支群で、10基の円墳が確認され、うち3基で横穴式石室が確認されている」とあった。

しかし今回石室は6基確認できた。石室は基本的に南方向に開口しドーム状を呈する。

 

2号墳以降は、崇福寺西側の丘陵上にあるが、寺側からは電気柵があり行けない。寺の参道(寺標)手前へ戻り、北西方面へ50~60m上がって行くと墓地があり、そこに獣除けのフェンスがある。私有地なんだろうが、立入禁止の掲示はなく、可動式で無施錠だったので、ここから北西に上って行った。

  *写真は2022年11月。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

1号墳をⒶとし、以下巡った順にⒷ~Ⓘで掲載します(なお下図は大体のイメージです)。

可動式の獣除けフェンスから北西へ上って行く。

 

Ⓑ=7号墳

まず最初に見えたのが7号墳。

7号遠景北西望      近景西望          残存天井石南西望     西望  

7号墳は径10m程の円墳。ほぼ南に開口。玄室の天井部が崩れ石室内が見える。南側斜面にある本来の開口部から見ると羨道側は埋没している。長さ3.4m、玄室長2.5m・幅2m・高さ2.2m、ドーム状のの両袖式石室とのことらしい。

天井部の隙間       内部(奥壁)         本来の開口部       羨道 

   白い四角は大きさ比較のA5ファイル(約15×21cm)。以下同じです。

 

Ⓒ=おそらく10号墳

Ⓑ=7号墳から少し北西に上った所で、南側谷筋への崖っぷちに石材が見える。南側急斜面に開口部がある。羨道はやっと匍匐前進できる程度の幅しかない。長さは2mちょっと。玄室の高さも2m以上ありそうだ。

崖っぷちの石材      開口部北西望       北東望          A5ファイル=大きさ比較

羨道                                     奥壁

奥壁           (奥から見て)右側壁     左側壁          天井部(下が奥壁側)

すぐ左手(西側)に、もう一つ小さな石室が開口する。自撮り棒が差し込める程度の開口部だが、中はそこそこ広い。「京都橘大学 文化財調査報告 2012」(醍醐寺清瀧宮拝殿・橿原丸山古墳・鹿谷古墳群大市・茶ノ木山支群)の『表1-2湖西地域の石室 湖西南部地域』に熊ケ谷10号墳1号石室・2号石室のデータが掲載されている。2つの石室が並ぶこの地点が10号墳と思われる。
この辺りから更に北西に登ると、送電線の鉄塔が見える。

開口部          奥壁下部         更に北西に上る      鉄塔

*「京都」橘大学 文化財調査報告 2012」のダウンロードは以下から。

醍醐寺清瀧宮拝殿・橿原丸山古墳・鹿谷古墳群大市・茶ノ木山支群 - 全国遺跡報告総覧

 

Ⓓ=おそらく8号墳

Ⓒから北西に3~4分登ると墳丘がある。南側に回り込むと、石室石材が見える。

北西へ登る                     墳丘南西望        石材西望

隙間から石室らしき空間は見えるが、殆ど埋没している。

下の石材北西望      隙間から         上の石材北西望      隙間から  

 

Ⓔ辺り

Ⓓから更に北西の丘陵最高所へかけて墳丘らしき高まりがいくつかある。

 

Ⓕ=5号墳

ⒺからⒷ=7号墳まで戻り、北東の丘陵(鉄塔)方面に行くと、5号墳の開口部がある。

7号墳から北東へ(赤▢は何かの石標)                       5号墳開口部遠景

径10m程の円墳。南南東に開口し、羨道の長さ1.4m・幅0.8m、玄室の長さ2.4m・幅1.4m・高さ1.6mの右片袖式石室である。

開口部          羨道           玄門部          玄室

奥壁           (奥から見て)右側壁     左側壁          天井部(下が奥壁側)

 

Ⓖ=2号墳

5号墳の15~20m東側に行くと、先ず大きな天井石が目に入る。その南側下に開口部がある。開口部の南側はかなり開けており、ここを東方面に下ると崇福時なのだろう。

天井石東望        南西望           開口部遠景北望     同地点から南東望

石室は南南東に開口するが、開口部は高さ82cm・幅70cm程。羨道の長さ4.1m・幅1.2m、玄室の長さ3.1m・幅約2m・高さ3.4m、ドーム状の両袖式石室。奥壁下部に石仏5体が置かれている。

玄室

楣石                                 天井部(下が玄門部側)

玄門部               左袖               右袖

 

Ⓗ=3号墳・Ⓘ=4号墳

2号墳のすぐ北側=丘陵最高所の東に3号墳、径21m・高さ2.2m以上、木棺直葬と考えられ築造は5世紀代。3号墳の西にある4号墳は、径24m・高さ3.6mの円墳。主体部の痕跡が確認されなかったため、主体部は木棺直葬であったと推定される。詳細な築造年代は不明ながら、立地や当古墳周溝の上に3号墳の盛土がされていることなどから、3号墳に先行し4世紀に遡る可能性も考えられるらしい。

3号墳北東見上げ                           墳頂から南西見下ろし

3号墳から4号墳西望        墳頂から西望           墳頂の石標

4号墳頂から3号墳東望       2号墳見下ろし           5号墳見下ろし

1時間ほどで終わるかと思っていたが、下調べ時、進入口や各古墳の位置情報が得られず、結局2時間かかった。分かっていれば1時間で十分だろう。

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桐畑古墳群と西大津バイパスを挟んだ東側の大津市埋蔵文化財調査センターにも寄ってみた。来館記念として縄文時代の貝塚出土の貝殻を戴いた。