OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

石塚古墳群

石塚古墳群は、大阪府南河内郡河南町かなんちょう中 スーパー・オークワ河南店辺りにあった6世紀後半頃築造の円墳群。2・3・4号墳が駐車場内に埋戻し保存されている。2023年4月18日(火)訪問。

 

  *車で訪問する際は、東行と西行でスーパー駐車場出入口が異なるので注意ください。

2012年スーパー建設に伴う調査で4基を発見。1号墳(径9〜13m)は墳丘・石室ともに削平が著しく原型不祥。2~4号墳は近接しており、周溝跡からいずれも12m前後の円墳と推測された。石室が遺存していて、調査後埋戻し保存された。築造された順番としては、須恵器の形状から「4号墳→2号墳→3号墳」と考えられるとのこと。

 

石塚2号墳

墳丘は滅失していたが径11.4m(周濠含め14m程)の円墳と推定され、隣接する3号墳と、周溝を一部共有していた。西北西に開口した両袖式の横穴式石室で、開口部から玄室前面が大きく削平され、壁体も1~2段目が残る程度であった。羨道復元長1~1.5m、玄室復元長3.8m・幅約1.8m。玄室床面は礫が敷きつめられていた。玄室から鉄釘が見つかり木棺が納められていた模様。他に鉄族や農具・金銅製耳環、(2号墳のものか不明だが)周辺から水晶切子玉も検出された。

 *画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

 

石塚3号墳

封土は滅失していたが径11〜12m(周濠含め14m程)の円墳と考えられる。南南西に開口した両袖式の横穴式石室。石室上部は残存していなかったが、壁体は3~ 4段の石積みが残っていた。羨道長1.5m程・幅0.8~1m、玄室長3.5m・幅約1.8m。袖部を一石で構成し、玄門両側で柱のように縦長の石材が立っていた。立柱様の石材は高さ0.9m・幅は最大で0.6m・奥行き0.4m程で、3 号墳の石室石材の中で最も大きかったとのこと。玄室床面には様々な大きさの礫が敷かれていた。鉄釘の検出から木棺と思われる。石室からは土師器・須恵器・鉄製農耕具・耳環・勾玉等約50点の副葬品が出土。

 

石塚4号墳

封土は滅失していたが径10m(周濠含め16.5m程)の円墳と考えられる。西南西に開口していた両袖式の横穴式石室で、削平を受け石室上部と開口部は消失していた。羨道長0.9m(~1.4m)・幅1.1~1.2m、玄室長3.4m・幅1.8~1.9m。玄室床面は奥壁から 2.4m 付近(=玄室の3分の2程度まで)は礫床だが、そこから南西(=玄門側)は礫が殆ど無くなり地山面を床面としていたとのこと。木材・鉄釘の検出から木棺と推定され、更に棺台と推定される石材が2つ検出されており、追葬があった形跡を確認したとのこと。石室から須恵器・鉄製の斧や鎌・玉類が出土。

 

各古墳案内と記事内の寸法等が一部異なりますが、「河南町文化財調査報告第4冊-芹生谷遺跡・石塚古墳群-第Ⅲ章調査成果-第2節石塚古墳群(17~67ページ)」の調査報告数値を優先しています。

芹生谷遺跡・石塚古墳群 - 全国遺跡報告総覧