OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

園養山古墳群C支群

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。

 

C支群

C支群は、B支群から林道と渓流を挟んだ南側の尾根斜面に連続する134~161号墳。石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)よりも、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩く平天井のもの(畿内型A類)が主体となっている。

2024年2月18日(日)訪問。

*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。

(上が北)

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書』(以下『調査報告書』と略記)では小グループ分けは行われていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

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c-1支群

B支群南沿いの林道から、渓流に架かるコンクリート橋を南に渡る。渡ってすぐの林道から南西に入った所から、北向き斜面の東西130mに連続する134~141号墳。傾斜は比較的緩く、墳丘もかなり明瞭なので分かり易い。

 

134号墳 C-1支群の最西端。径14mで墳丘は良好。石材が散在。

西望                        墳頂

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

 

135号墳 径11.5m、封土の流失が顕著。石材が散在する。『調査報告書』ではーーー

天井石が抜き取られ、内部に土砂が堆積。側壁の一部が確認できるーーーとあるが、経年で更に埋まったのだろう。

北西望(左上が134号墳裾)

 

136号墳 径14m、墳丘良好。大きな石の下に隙間がある。

北西望                       羨道側の開口部

                          隙間から奥壁方面

墳頂に天井部が開口しており(縦横1mで高さは1.5m程?)、奥壁と側壁が覗ける。『調査報告書』にはーーー羨道長1.9m・幅1.1m、右片袖式で南東向きの玄室長2.83m・幅1.62m・高1.3m、側壁は割と大型石材でやや持ち送るが平天井。6世紀末葉とされるーーーと、ある。

*入室できそうな高さだが、71歳の身としては自重し、俯瞰のみ。

 

137号墳 径13m、墳丘良好。墳頂に天井部が開口(縦1m・幅1.5m程・床面から高さ2m弱)。

南西望                       北東望

*入室できそうな高さだが、ここも自重し自撮り棒で撮影。

『調査報告書』にはーーー羨道長1.8m・幅1.1m、南東向きで右片袖式の穹窿式玄室長2.8m・幅1.66m・高1.7m、天井石は4石で前側3石は階段状。6世紀後葉とされるーーーと、ある。

羨道(南東)側                    羨道方面

奥壁(北西)側                    奥壁

 

138号墳 径13m。天井部が滅失した石室が露出。

北西望

『調査報告書』にはーーー石室全長5.02m、羨道長1.6m・幅0.83m、南東向きの右片袖式玄室長3.42m・幅1.7m・高1.58m。玄室の奥壁・側壁はほぼ垂直で平天井、6世紀末葉ーーーと、ある。

 

139号墳 径12m、封土の流失が顕著。側壁らしき石材の一部が遺存。『調査報告書』にはーーー石室痕跡は、長2.6m・幅1.1mーーーと、ある。

西望

 

140号墳 径14m、墳丘良好。

南西望                       墳頂

南東側に石室完存。開口部は結構狭い。

南東向き、羨道長2.92m・幅0.82m、右片袖式の玄室長3.4m・幅1.34m・高1.1m、急な持ち送りだが平天井式で、天井石2石の内、奥壁側の天井は2.6mの大型石材。6世紀中葉~後葉とのこと。

 

141号墳 コンクリート橋を渡ってすぐ南西側。径10m、墳頂が削られている。東向きの石室石材の一部が遺存。『調査報告書』には長5m・幅1m程とある。

 

c-2支群

C-1支群の斜面上(南)側に、C-1支群とほぼ並行して連続する142~146号墳

 

142号墳 径15m、墳丘良好。墳丘に石材散在。

南望                        北東望

 

143号墳 径16m、緩やかな墳丘で良好。『調査報告書』にはーーー石室開口部は確認できるが土砂が埋没し内部詳細不明---とある。

陥没跡はあるが開口部らしき所は??

東望               墳頂北東望             陥没跡北東見下ろし

 

144号墳 径9.5m、西側が削平されているらしいが・・・よく分からない・・・?

東望

 

145号墳 径6m、封土の流失が顕著とだけの情報しかなく、よく分からない。

146号墳 径10m、封土の流失が顕著。墳頂が陥没し石室痕跡。

奥のピンク〇が146号墳なら手前側に145号墳があるはずだが・・・。 黄〇は146号墳墳頂の陥没

 

c-3支群

C-2支群の南東、比較的緩やかで幅広い尾根筋に立地する147~153号墳

 

147号墳 径11m。『調査報告書』にはーーー墳頂が削平され、天井石が抜き取られ内部に土砂が堆積。奥壁と側壁の一部が確認できるーーーと、あるが・・・?。

南東望 写真左下に側壁っぽい石材はある・・・・。

 

148号墳 径9m、墳頂は削られており、扁平な感じ。

東望               北望               墳頂南望

 

149号墳 径9.5m、墳頂が削られている。位置的には148号墳の南側。

西望                        扁平な墳頂



 

150号墳 径14m。園養山古墳群では、羨道・玄室が完存し、入室し易い、数少ない石室で、当古墳群で最大級。

東望                        北望

『調査報告書』にはーーー南東向きで、羨道長3.4m・幅1.24m、両袖式で、玄室長3.47m・幅1.63m・高2.1m、持ち送りは殆ど無い。奥壁は大型石材の2段、側壁3~4段、天井は平天井で3石構成(落下の1石を含むと4石構成)。天井以外の石材の表面は丁寧に加工されている。7世紀前葉とされているーーーとある。

両袖式は園養山古墳群では珍しい。

 

羨道

(奥から見て)右側壁                          左側壁

他の穹窿式石室と違い、平天井式で奥壁も巨石の2段積み。両袖式で石材の表面加工も丁寧。ヤマト王権の影響が強まり、横穴式石室の系統も畿内型A類に移行したようだ。

 

151号墳 径12m、墳丘良好。

西望

『調査報告書』にはーーー南東向き(調査報告書巻末の一覧表は「北東」と誤植?で、羨道長2.43m・幅1.05m・天井3石、両袖式で、玄室長3.02m・幅1.7m・現高1.85m。側壁3~4石構成の4段積み、奥壁石材は小ぶり。石材の表面は丁寧に加工されている。平天井で、天井石は割と大きな自然石が2石。7世紀前葉だろうーーーとのこと。

 

152号墳 径13m、封土の流失が顕著。

東望

天井が滅失するが、南東向きの玄室が露出(残存長3.6m・幅1.6m)。側壁はやや内傾するが、平天井と思われるとのこと。

北西望                       南西望

 

153号墳 径9.5m、東側は削平され、石室が露出。

南東望                       西望

ほぼ東向きの園養山古墳群では珍しい両袖式石室が遺存、羨道長1.2m・幅0.85m、玄室長2.36m・幅1.47m・高1.5m。持ち送りは急だが平天井。



c-4支群

東側の麓辺りにある154~158号墳。

 

154号墳 径9m、封土の流失が顕著。天井の滅失した南東向きの石室が露出。小型の無袖式で玄室長2.25m・幅0.86m・高0.7m。7世紀中葉とされる。

南東望                       北西望

 

155号墳 径8.5m、封土の流失が顕著。墳頂やや陥没。

南西望                       南望

*この南側に天井石らしき石材があるが・・・。

南望                        南西望

 

156号墳 径7m、155号と墳裾が接する。封土の流失が顕著で石材散在。

154号墳東側から東望(黄〇が156号墳)         南東望

 

157号墳 径8m、封土流失激しく墳形不明瞭。

南望                        南東望

 

158号墳 林道沿いの北東側にある。径9mだが林道で西半分が削平されている。

北西望                        南東望

 

c-5支群

C-1支群~C-4支群とは、かなり離れた南西側高所にある159・160号墳。体力の限界でパス。以下は『調査報告書』から引用していますが、経過年数を考えると・・・どんな様子か?

159号墳 径9m、封土流出顕著、墳頂陥没し、側壁の一部が確認できるらしい。

160号墳 142号墳から南西の尾根高所(標高差25m程・距離60m程?)。径9m、墳丘は不明瞭で、古墳状隆起の可能性もある。墳丘斜面に大型石材が露出するらしい。

c-6支群

C-1支群~C-5支群とは全く別の尾根(C-2支群から90~100m程南)にある。ここも体力の限界でパス。以下は『調査報告書』から引用。調査が及んでいないだけで、同じ尾根筋にもっとあるのかもしれない。

161号墳 径14m、封土流出顕著。天井石は滅失するが、南向きの石室で、右袖石は石材(幅0.2m・縦1m)縦積みとのこと。 

 

 

================C支群の探索経路===============

*あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

13時~14時半(上図黒矢印)
林道のコンクリート橋を南に渡ってすぐ南西側にある141号墳を起点として、連続する140号墳から134号墳まで=C-1支群を西進。C-2支群の142号墳に移り、146号墳まで下る。そこから、南東方向の(少し分かりにくい)147号墳に移り、148→149→150→151・152→153号墳。最後に154~158号墳(155~157号墳は分かりにくい)でC支群終了。

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全体および他支群は下記で。

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