OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

花山塚古墳

花山塚古墳

2021.6.8(火)。桜井市粟原。花山東塚古墳と花山西塚古墳があり、7世紀後半頃の磚槨式の横穴式石室で著名。

国道166号線、女寄みより信号から県道198号に入り約200m。左手の林道への進入口がある。車を止めるスペースはあるが、森林管理者が通ることがあるかもしれないので、お勧めできません。ここから約1分半で右手に黄色の防護柵、少し先の林道沿い左手に登り口がある。登り口からは、先達が残した目印のテープが導いてくれる。

地図       林道進入路            防護柵   防護柵から見た登り口 登り口 

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチアウトして下さい)。
登り口すぐの分岐を右上へ行く。左の方が道っぽいが、違います。

なお、目印のテープは経年劣化で、はがれてしまっている場合も多い。できるだけ最新の情報で確認してください。

 登り口             すぐの分岐を右上へ

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              ↓分岐から約5分で道なりに左(西)方向    花山東塚古墳 

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 花山東塚古墳

北斜面を馬蹄形に掘込んだ円墳。径約17m・高さ3.5m。磚槨式の横穴式石室で南方に開口、羨道は欠失。後述の西塚と異なり奥室はない。玄室現存長3.15m・幅1.72m・高さ1.9m。磚槨式石室は、レンガ状の榛原石を漆喰で塗り固めて造るが、宇陀、粟原谷、鳥見山南麓に集中し(例外的に帯解黄金塚古墳)、渡来系豪族の関係が注目される。西塚とは計画的に配置された双墓説もある。*磚=基本的には正方形や長方形の厚い平板のレンガ
開口部は幅165cm・高さ55cm程。下っているので、入室時はビニール袋を敷き仰向けで滑り込み、退室時は四つん這いで。
西塚へは、東塚から更に西方面に進む。

開口部                      玄室全景     奥壁       天井部

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右側壁(奥から見て) 左側壁     開口部     左側壁      右側壁      西塚方面

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花山西塚古墳

東塚から文字通り西へ進むが、正確には西上方=北西に登っていく感じ。何となく道っぽいルートを進むと、2~3分で石標が見える。頑丈なフェンスで囲まれているが、上部に開扉部分があり施錠されていない。入室は割と簡単だが、出る時がチョット難儀。高さ2m程あるので、体を引き上げるだけの腕力が無いと入室しない方が良い。周りには、踏み台になるようなものもないですし・・・。

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西塚古墳正面   防護柵     石標裏     柵外から石室        上部開扉部分

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北斜面を馬蹄形に掘り込んだ円形と推定される。東塚同様、磚槨式の横口式石槨だが、規模・精巧さ・複雑な室内構成等、明らかに東塚と比べ、手間の掛け方が違う。双墓にしても、東塚よりかなり上位者なのだろう。玄室(前室)の前後に羨道・奥室を付ける大阪府の石棺系横口式石槨に類似する。石室全長6.2m以上、羨道3m以上・幅約1.1m・両袖式形で、天井石全失のため高さ不明。
羨道       羨道西側壁   東側壁      玄門部    高さ比較(私は170cm) 両袖部 

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玄室(前室)長約2.2m・幅1.4m・高さ約1.7m、玄室側壁約1.2mまで垂直で、その上は曲線状に持ち送る。天井石は花崗岩で2枚が遺存。
玄室(前室)俯瞰    西側壁       東側壁       玄室南望      玄室天井部 

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奥室長約2m・幅0.7m・高さ約1m。奥室では底に板石が敷かれ、開口部には片開きの石扉が付されていたとのこと(奥に向かって左側上下に軸穴が残る)。「現在、奥室前の床面に扉石があるが、付近の小学校で靴脱石として使われていたのが戻された」という情報もあったが確認できなかった。玄室・奥室の壁面には全面に漆喰が塗られた跡が残る。副葬品は不詳。
 奥室扉軸穴     奥室                  西側壁       東側壁

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 道さえ間違えなければ、1時間弱で巡れます。