OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

園養山古墳群A支群

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。2024年1月28日(日)・29日(月)、2月17日(土)訪問。

 

A支群は「園養おんよう寺」を取り囲むように所在している。

*山中の古墳散策は冬場限定(草深く、蚊の多い時期は厳禁)。軍手・コンパス等必携です。

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園養寺

JR草津線の「三雲駅」と「貴生川きぶかわ駅」の間、線路沿い西側にある。「三雲駅」から線路沿いの道を徒歩25分程(1.7㎞)。踏切の無い線路を渡って行く。ここが園養山古墳群散策の起点になる。なお三雲駅近辺(1km以内)にはコンビニは無く、園養寺には自販機もありません

                          園養寺への途中にある石碑跡

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

天台宗で、開基は伝教大師最澄、創建は延暦年間(782~806年)と伝わる。本尊は大日如来坐像・十一面観音菩薩坐像。

参道西望                      山門西望見上げ   

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

本堂西望

本堂手前の右手(南東)に石の鳥居があり、ここを抜けて階段を上ると鐘楼がある。

鐘楼西望。黄〇が29号墳の開口部。A支群巡回の起点になる。

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A支群

A支群は1~59号墳。石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式(畿内型B類)で構成されている。この地域では6世紀中葉から造営されている。

A支群分布図 赤〇が園養寺本堂、青〇が鐘楼。右が北

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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古墳群の分布図等詳細は、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径〇m」は長軸方向の長さ、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『調査報告書』では小グループ分けはされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

なお、1~48号墳は2024年1月28日(日)・29日(月)、49~58号墳は2月17日(土)訪問。

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A支群北側

園養寺の北側(右が北) *等高線は2m間隔

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

A-1支群

1~3号墳。近接しているわけではないが同じ様な立地である。

 

1号墳 鐘楼から北へ250m程離れた所、40m程東下には線路が通る。A支群の最北端、径11mの円墳。南北方向に幅0.75m程の石室跡が残るらしいが(体力限界で)確認せず。

北東望

*(1~48号墳の)写真の日付表示が「2023/01/・・」となっていますが設定ミス、2024年が正当です

 また号数順に巡った訳ではないので、日付表示に連続性はありません。

 

2号墳 1号墳の30m程南南西で尾根筋の15m程高い所にある。径12mで墳頂は削平され平坦らしいが、(体力限界で)確認せず。

西望見上げ

 

3号墳 2号墳から70m程南南西。墳丘改変が著しく規模は不明。石材に隙間があるらしいが、土砂堆積で内部不明とのこと。(体力限界で)確認せず。

北西見上げ

 
A-2支群

4・5号墳。他から西上方向に離れた中腹に、2基が近接する。

 

4号墳 径8.5m。南東向きの玄室遺存、天井石の一部は抜き取られ、長さ3m・幅1.55m・(床面は埋没し)現在の高さ1.5m、狭いが入室可能。側壁石材は比較的大きい。

*周辺には同様の石材がゴロゴロしており、少し戸惑った。

北望                        北西望

開口部俯瞰                     玄室

 

5号墳 4号墳北東下の緩斜面にある。径8mだが墳丘は封土の流失が顕著で、不明瞭。古墳状隆起の可能性もあるとのこと。

北東望                       墳頂付近東望

 
A-3支群

6~12号墳。7基が密集する。

 

6号墳 径6.5mだが封土の流失が顕著、墳頂に陥没跡があり、石材が散在。

北西望                       墳頂南望

 

7号墳 径10m、墳丘良好。横穴式石室が南向きに開口、天井部はほぼ滅失、玄室部分は完存。現長3m程・幅1.58m・現高1.4m。持ち送りの急な穹窿式。

西望                        玄室北望

 

8号墳 径12.5m、南側が削平され南向きの玄室露出。天井石はほぼ滅失、玄室の現長2m程・奥幅2.35m・高さ2.15m。持ち送りの急な穹窿式。

南望                        北望

 

奥壁と(奥から見て)右側壁接合部           奥壁と左側壁接合部

 

9号墳 径13.3m。墳頂は削平され平坦。

北西望                       北望

 

10号墳 7号墳の崖下にある。径6.5mだが墳丘は封土の流失が顕著でよく分からない。

7号墳西横から南東見下ろし

 

11号墳 径7.8m。位置的にはこの辺りだが、墳丘封土の流失が顕著でよく分からない。

南東望見下ろし

 

12号墳 径9.5m。『調査報告書』にはーーー墳丘封土の流失が顕著とあるが・・?。

石材が散在。

西望見上げ

 

A-4支群

13・14号墳。 A-2支群の南側中腹に、2基が近接する。

 

13号墳 径10m。墳丘は良好。墳頂に苔むした石材や陥没孔。

北西望見上げ                    墳頂北望

 

14号墳 13号墳の東北東約20m下にあり、径8.5mで、小さな陥没孔がある。

東北東見下ろし                   東望

 

A-5支群

15~19号墳が尾根の急斜面に連続して並ぶ。

 

15号墳 径12.5mで墳丘は良好。石室天井部隙間から内部を覗ける。

東望                        墳頂東望

赤〇が天井部隙間

*自撮り棒用のカメラの不具合で内部撮影できなかった。『調査報告書』にはーーー

石室は完存し、南東に開口。羨道幅1.25m、右片袖式の玄室長3.4m・幅2.1m・高2mで、小型石材を10段程積上げた穹窿式。天井は3石構成。当古墳群では造営初期の6世紀中頃のものーーーとある。。

 

16号墳 径12m、墳丘は良好。石室完存、羨道は埋没するが、天井隙間から内部を覗ける。

東望

玄室長3.2m・幅2.13m・高さ1.55m、窮隆式。

 

17号墳 径11.5m、墳丘は良好。陥没孔有り。

東望

 

18号墳 径12m。墳丘は良好。3石構成の(奥壁側の)天井部が僅かに開口。

東望見下ろし                    墳頂西望

羨道幅1.05m、南向きの右片袖式で、玄室長3.2m・幅2m・高1.45m、持ち送りの急な穹窿式。6世紀後葉造営と思われるとのこと。

右側壁                       右側壁と奥壁の接合部

 

19号墳 径12mで墳丘は良好。A-7支群の24号墳から開口部が見える。

24号墳から北北西望(赤〇が開口部)

東望                        墳頂南望(天井部の隙間) 

石室完存、羨道長3.05m・幅0.98m、右片袖式で玄室長3.3m・幅1.8m・高2.1m、側壁の石材が大きく、奥壁最上段は大型石材1石。中高式天井で6世紀末築造と思われるとのこと。

 
A-6支群 

20~23号墳。園養寺鐘楼広場の北下~北東下の線路側斜面に近接する。

鐘楼広場から直接降りるなら広場の北西角=(宝篋印ほうきょいんっぽい)石碑の左奥(北西)からなら何とか行ける。

 

20号墳 園養寺鐘楼広場の北側斜面。墳丘は不明瞭で規模不明。大型石材が露出とあり、位置的にはこの辺りなのだが・・・そんなに大型ではないが・・・?。

南東望見上げ(写真右上が鐘楼広場)          東望見下ろし 

 

21号墳 径8m、東側が削られている。

遠景南望             近景               東望見下ろし(右赤〇が23号)

結構大きな石材なので、これが20号墳かもしれない。

また、『調査報告書』では石室完存とあるが開口部が見当たらないので、これではないかもしれない。ただ、下から見上げてもそれらしき所は見当たらないのだが・・・?

『調査報告書』ではーーー南東向きの石室で、前側の天井石が落下しているが、玄室の保存状態は良好。右片袖式の玄室長3.15m・幅1.65m・現高1.62m、持送りは殆ど無く、残存石材2石の平天井ーーーと、ある。

また後日再確認の際、周辺に石材はあったが、「調査報告書」の位置図とは違う。

鐘楼広場南西斜面中腹                鐘楼広場南西斜面下

 

22号墳 径5.5m。墳丘は封土の流失が顕著とある。位置的にはこの辺り・・・。何か自然石らしからね石材が・・・。

西望

 

23号墳 径5.5m。『調査報告書』ではーーー墳丘は封土の流失が顕著、石材等は見当たらないーーーとあるが・・・。崖っぷちに石材が。

南望                                北西望

なお、上の左端・右端写真に見えるように木の根元辺りにワイヤーが張られている。そして22~23号辺りは平らに整地されているので、この周辺は『調査報告書』当時の地形等がかなり改変されているのかもしれない。

 
A-7支群

24~29号墳。A-5支群の19号墳から谷を挟んだ南東尾根に連続する。一番下の29号墳は、すごく分かり易い。

 

24号墳 径10.3mで墳丘南側が削られている。

西望

*自撮り棒用のカメラの不具合で内部撮影できなかった。『調査報告者』には、次のように記載されている。

南東向きの石室の天井部が崩落、羨道方向は埋没するが、奥壁側は小型石材の多段積み(最上段は1石)、現長2m程、幅・高さとも1.3m程の穹窿式。

 

25号墳 径11.5m、封土流失が顕著で墳頂に大きな陥没跡。

西望見上げ                     墳頂東望見下ろし

 

26号墳 径7.8m、封土流失が顕著で、よく分からない。

27号墳 径9.5m。封土流失が顕著だが、墳丘っぽい高まりがある。

位置的には26号辺りだが・・・?。          27号西望

 

28号墳 径15m、東側は削平され園養寺敷地内の庭園として利用されている。

西望                        東望

 

29号墳 径11m、鐘楼の西側斜面にあり、東側は削平されている。開口部は鐘楼横の物置小屋脇にある。  

黄〇が開口部                    赤〇が墳丘

羨道幅1.18mだが崩壊、南に開口する玄室は長さ3.2m・幅1.97m・高さ2.5mで群中最大級。玄門部に天井石が落下している(無理すれば何とか入室可能)。側壁は持ち送りが少ない。天井石は、丁寧に磨かれた板石。

西望                        北望

 

A-8支群 

30~36号墳。園養寺本堂の裏(西)側斜面に連続する。

 

30号墳 径12m、墳丘は良好。

東望                        西望見上げ

 

31号墳 径9m、天井石滅失、南向きの石室一部が露出、羨道は埋没、玄室の現在長2.5m程・幅1.55m・高1.5m程。

東望                        南東望

北西望

 

32号墳 径9m、墳丘良好。

遠景西望見上げ                   近景西望

 

33号墳 径10.5m、墳丘良好

遠景西望見上げ                   墳頂東望

 

34号墳 径9.5m、墳丘良好。

遠景西望見上げ                   墳頂東望

 

35号墳 径11m墳丘良好。内部完存の様で、僅かに隙間があるらしいが確認し忘れた。

遠景西望                      墳頂東望

 

36号墳 園養寺本堂の西上斜面。径6.8m、墳丘は不明瞭、自然石散在。

南東望(向こうの下側が本堂。本堂からは直接登って来れない。)

 

A支群南側

園養寺の南側(右が北) *等高線は2m間隔

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

A-9支群

37・38号墳。園養寺本堂のすぐ左(南西)上の急斜面に2基。

 

37号墳 径8.7m、封土流出顕著、石室石材が一部露出するらしい(確認せず)

西望見上げ

 

38号墳 径7.3m、墳頂が削平され天井石露出するが内部は埋没。

東望                        西望

墳裾から園養寺境内俯瞰               園養寺境内から西望(黄〇辺りが38号)

 
A-10支群

39~42号墳。 A-9支群から西へ登った尾根筋高所。

 

39号墳 径10m。

東望見下ろし                    墳頂東望

 

40号墳 径12m。背後の尾根を切った墳丘が良好に残る。南東向きの小型石室は殆ど埋没するが上下2ヶ所に隙間がある。石室は小型石材の多段積み。

下段の隙間(石材は前壁の楣石?)

上段の隙間(天井石?)

 

41号墳 径10m。墳丘良好。墳頂に石室の天井石が露出。

東望                        墳頂

 

42号墳 径12.5m、墳丘良好。墳丘に小さな陥没孔(ほぼ埋まっている)。

墳丘東望

A-11支群 

43~48号墳。 A-10支群から尾根を下った所に連続する。

 

43号墳 径10.8m、墳丘良好、天井石が露出。中は土砂で埋まっている。

東望                        西望

 

44号墳 径11.5m、墳丘明瞭。僅かに開口している

『調査報告書』には、「羨道・玄門部が崩落するが僅かに南東向きに開口、玄室は幅2.1m・高1.2m、完存するもかなり埋没。石材は比較的大きく、奥壁最上段は大型の1石」とある。

 

45号墳 径9.5m、墳丘良好。天井石が一部滅失し、南東向きの玄室が覗ける。玄室の現在長2m程・幅1.5m・高1.1m以上。

 

46号墳 径13.8m、墳丘良好。石室完存、羨道長3.9m・幅1.15m、羨道は狭い。

『調査報告書』ではーーー南東向きに開口する右片袖式の玄室長3.4m・幅2.18m・高2.5m、天井は3石構成、持ち送りが急な穹窿式、6世紀後葉造営と思われるとのこと。

東望

                     奥は撮影できず。

 

47号墳 径9.2m。墳丘東側が削られ、石室石材が露出。

墳頂東望                      墳丘東斜面北望

西望見上げ

 

48号墳 A-11支群尾根筋から少し南にズレ、47号墳より少し南西上にある。径6.5m、封土流出が顕著。位置的にはこの辺りだが、よく分からない。

 

A-12支群

49~53号墳。50~53号墳は麓近くにあるが、49号墳だけ標高20m以上離れた尾根筋の高所にある。

 

49号墳 径8.5m、良好な墳丘のみ。

目立った特徴がないので確信はないが、(南側)谷筋の最高所北側にあるので多分・・?

西望見上げ            墳頂東望             東望見下ろし(50号は遥か下)

 

50号墳 径10m、良好な墳丘のみ。

西望見上げ                     墳頂東望

 

51号墳 径8.5m。墳丘は良好、天井石滅失、南東向きに開口する玄室後部が遺存。現長2.9m・幅1.7mで奥壁4石構成で5段、持ち送りが急。

北西望(赤〇が開口部)                現開口部

右側壁               奥壁               左側壁

現開口部の反対(南東)側=本来の開口部方面=おそらく玄門上部(前壁)の楣まぐさ石?

 

52号墳 径10m良好な墳丘のみ。

南西望                       墳頂南東望(若干窪んでいる)

 

53号墳 径8m、封土の流出が顕著、石室跡らしき石材が露出。

遠景南西望                     近景

石室跡石材南西望                  墳頂から東望(黄〇が石室跡石材)

 

A-13支群 

54~59号墳。 

 

54号墳 A-13支群尾根筋のかなり急坂高所にある。むしろA-12支群の49号墳に比較的近く、49号墳から谷筋を超えて南西方向にある。径12.5m、墳丘良好、『調査報告書』ではーーー墳頂に石室天井石露出ーーーとあるが体力的に確認せず。

49号から南西へ                   54号?西望見上げ

 

55号墳 径12.6m、墳丘は明瞭で、『調査報告書』ではーーー南側に開口部確認できるが、内部は埋没ーーーとあるが確認失念。

西望                        南西望

 

56号墳 径12m、南側が削平されている

東望見下ろし                    西望見上げ

 

57号墳 径11m、墳頂が陥没し周りに石材がある。

 

58号墳 麓近くにある。径6m、封土の流出が顕著、墳頂が陥没。

北西望                       陥没

 

59号墳 56号墳と57号墳の間で、尾根筋から南にズレた急斜面にある。『調査報告書』にはーーー径8.5m、墳丘・石室良好。玄室長2.9m・幅1.7m・高1.45m。持送りの急な穹窿式ーーーとあるが体力的にスルー。

56号と57号の間から南望

 

 

==============【A支群の探索経路】=============

 *あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

1日目 A-7・A-8・A-9・A-10・A-11支群(下図黒矢印)

2日目 A-1・A-2・A-3・A-4・A-5・A-6支群(下図赤矢印)

3日目 A-12・A-13支群(下図緑矢印)

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

1日目 9時~13時半(上図黒矢印)

まず本堂から鐘楼に向かう。起点は一番分かり易い29号墳。29から24号墳まで連続するA-7支群を登る。24号墳から南東側の36号墳(本堂の西上斜面)に移動し、最高所の30号墳まで連続するA-8支群を登る(本堂から36号へ直接は行けない)

そして30号からA-10支群39号に移った。
*実際には、最高所の30号墳から北進し15号墳に移る予定だったが、かなり離れている上に方向が少しズレたためか見つからず、30号墳に戻る時20~30m滑落。滑落地点辺りまで登り直したが自分の位置を見失い、気付けば墳丘が見えた。結果これがA-10支群の39号墳だった(本堂屋根が左下(南東)に見えた時点で気付いたのだが・・・)。
39号墳から42号墳まで連続するA-10支群を下り、43号墳からのA-11支群に移る。45号墳まで下りた所で、北西に墳丘が見え、37・38号墳=A-9支群に寄り道。本堂への降り口を確認した後、A-11支群に再び戻り、46~48号墳を経由して、園養寺参道南側の(酒人)林道に至った。
*滑落時デジカメの1台を紛失したため、そのカメラで撮影した29~24号墳=A-7支群と36~30号墳=A-8支群を再び訪れ、1日目を終了。

2日目 8時~13時(上図赤矢印)

1日目同様起点は29号墳。29号墳からA-7支群の最高所の24号墳まで登る。24号墳から深い谷の向こう(北側)に19号墳の開口部が見える。この深い谷を越えるのは無理そうなので、24号墳から谷沿いを(北側のA-5支群を見ながら)、谷の切れ目まで登る。今回は(A-5支群最高所の)15号墳がすぐ見つかった(墳頂の天井石崩落部分から石室内が覗けるので15号と確認できる)。15号墳北側にあるA-4支群の13号墳もすぐ分かる(墳頂に石材や陥没孔が確認できる)。北東下に14号墳が見える。14号墳から緩斜面を北に下っていくと石材がアチコチにあって少しややこしいが、A-2支群4号墳の、特徴的で入室可能な露出石室がある。4号墳から緩斜面の東北東下に5号墳。ここから4→14→13→15号墳に戻る。そして15号墳から連続するA-5支群を19号墳まで下る。19号墳からA-5支群南側の深い谷に降りる(強烈な急斜面なので降りるというより「滑り落ちる」という感じ)。谷筋を東に下っていくと緩斜面に出る(緩斜面の南側上には28号墳の丸い墳丘が見える)。北側の尾根斜面上に見える墳丘がA-3支群で、その東端が12号墳。11号墳はハッキリ分かりにくいが、平たく削平された9号墳の墳頂と、その南側の、露出石室が特徴的な8号墳は分かり易い。8・9号墳西側の7号墳も、露出石室が特徴的で分かり易い。7号墳のすぐ北西に6号墳(墳丘に石材散在)。7号墳と6号墳の間から北北東に下っていくと3号墳。更に下ると2号墳。A支群北端の1号墳東下にはJR草津線の架線?が見える。1→2→3→6~12号墳を経由して緩斜面に戻る。28号墳の丸い墳丘の東側の高台っぽい所が鐘楼のある広場。広場の北側~北東斜面下に20~23号墳=A-6支群がある。最後は緩斜面に戻り、28号墳北側下から28号墳に上がって、A支群北側を終了。

3日目 10時半~12時(上図緑矢印)

47・48号墳から浅い谷を越え53→52→51→50号墳と登る。50号墳から左(南)側の谷筋を見ながら、谷筋の切れ目辺りまでひたすら登った所が49号墳。49号墳から谷筋の切れ目を南西へ行くと54号墳辺り。そこから尾根筋をかなり下った所の墳丘が55号墳。すぐ下に56号墳。

尾根筋を57号墳に下る途中、南側に59号墳があるがスルー。57号墳を経て麓近くの58号墳まで至る。(58号墳から浅い谷の南西側に見える墳丘がB支群の74号墳で、午後はB支群を回った)

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全体および他支群は下記で。

園養山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary