貝那木古墳群
【今回のルート】2020.5.25(月)
名阪国道=針IC~(国道369号)~(農免農道)~[奈良市都祁南之庄町]~(県道781号)~三陵墓古墳群~市場古墳群~観音山古墳群~(国道369号)~貝那木古墳群~(国道369号)~(広域農道)~奈良県立野外活動センター=池ノ谷古墳群~(広域農道・農免農道)~名阪国道=針IC
【三陵墓古墳群~(国道369号)~貝那木古墳群 1.6km】
観音山古墳群を見るために、私は369号線の白石交差点の手前で右折し、田んぼ道を行きましたが、狭いので普通に、白石交差点から369号線を通る方が良いかも・・・。
*Yahoo!地図を編集・加工。
貝那木古墳群
城山丘陵に分布する7基の古墳群。
369号線の左側、カーブミラー脇に、登り道がある。道は車1台分の幅はある。しかし坂が急で、4WD車なら登れるかもしれないが、健康のためにも歩いた方が良い。
*車は登り口から369号沿い50m先の右側に停めるスペースがある。
*奈良県遺跡地図Webを編集加工
*YGoogleマップを編集・加工。
登り口から山道に入り、70mで左へ登る最初の分岐がある。そこから170mほど登る。貝那木山城址への分岐付近に、「12B-44、12B-45、12B-46」が有る。
登り口 城跡方面 右端の写真が城跡分岐北東望(赤が本線、黄は城跡方面)
12B-45
最初にあるのは「12B-45」。分岐のすぐ手前左(西)にある。よく見るとピンクテープが2カ所巻き付けてあった。径15mの円墳とのこと。石室は残っておらず、窪みのみ。
なお、ピンクテープは時期によっては無くなっているかもしれないので、ご注意を!
分岐手前 墳丘 石室跡?窪み 城跡側から分岐西望
12B-46
「12B-45」から、道を挟んだ反対側(東)に「12B-46」がある。径15mの円墳で、石室は残っておらず、窪みのみ。
12B-44
分岐から北西に20m程の左手(西)に「12B-44」があり、石室の一部が残っている。ここにもピンクテープが巻き付けてある。
「12B-46」から見た分岐 「12B-44」墳丘
北西望 天井裏にカマドウマ(竈馬)=バッタの仲間 南東望
12B-42・43
「12B-44」からぐるっと南西に曲がった20m程先の左手側(南)に2基(12B-42、43?)が並ぶ。遺跡地図には何の表示も無い。というか、遺跡地図の「42・43」表示の所には古墳らしきものは無かった。なので、これを「12B-42、12B-43」としておく。
「12B-43」は計15mの円墳で、比較的大きな横穴式石室が開口。
墳丘南西望 反対側から北東望 石室開口部
老骨にはキツいが、しゃがめば何とか入れた。
奥壁 西壁 東壁
「12B-43」のすぐ先(南西)に、「12B-42」が隣接する。径5mの円墳らしい。窪みがあるだけ。
北東側には12B-43が見える
12B-48=貝那木古墳
登ってきた道を戻り、最初の分岐を南東に。これから先は平たんな道。300m程先の緩い左カーブの先50~60mの右側に車1台分くらいのスペースがある。
そのスペースの手前が「12B-48」=貝那木古墳。今後来る方のために、落ちていたピンクテープを付けておいた。
「12B-48=貝那木古墳」は径15mの円墳とされるが、墳丘はほとんど無い。石室前方部の天井石は欠損している。玄室は幅1.5m・高さ1m、玄室長2.5m程。
石室開口部 玄室
玄室両側壁 開口部は腰の高さ しゃがんで入れる
12B-47
スペースのすぐ北東側に「12B-47」。径10mの円墳。道脇にはっきりと墳丘が有る。「48=貝那木古墳」とほぼ同規模の石室である。開口部南側に崩れた石材が散乱。
墳丘 開口部 玄室上から南望
ここも、何とかしゃがんで入れた。
開口部 足の大きさと比較 玄室奥壁 開口部見返り
ここにもカマドウマ 自撮り(大きさ比較) 脱出の様子
「12B-47」の北東側斜面には、多くの石材が転がっていた。おそらくいくつもの石室が崩れた跡だろう。
47南西望 南東側斜面 帰路(白〇が12B-47)
5月25日(月)現在では、まだ藪蚊は殆どいなかったが、念のため虫除けスプレー使用。
雨の日の翌日なら、泥だらけになりそうなので、行かれる際はご用心ください。
池ノ谷古墳群に続く・・・・・。