三陵墓古墳群周辺
2020.5.25(月) 新型コロナの非常事態宣言解除となり、久々に奈良市の旧都祁村地域にある三カ所の古墳群を巡った。 まー、車だし、全く人はいなかったので、コロナとは無縁だろうが・・・・・。
【今回のルート】
名阪国道=針IC~(国道369号)~(農免農道)~(友田東山古墳・大久保池ノ上古墳)~[奈良市都祁南之庄町]~(県道781号)~三陵墓古墳群~(市場古墳群~観音山古墳群)~(国道369号)~貝那木古墳群~(国道369号)~(広域農道)~奈良県立野外活動センター=池ノ谷古墳群~(広域農道・農免農道)~(国道369号)~名阪国道=針IC
【針IC~三陵墓古墳群史跡公園 3km】
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奈良県遺跡地図によると、農免農道沿いのライスセンター付近に友田東山古墳と大久保池ノ上古墳がある。
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友田東山古墳 09D-0023 奈良市都祁友田町字ヒガイ山
径13.5mの円墳。1990年に発掘調査。横穴式石室らしいが埋まっているのか、痕跡は見当たらない。須恵器、土師器、玉類、鉄鏃、刀子、鉄刀、馬具等検出したらしい。
大久保池ノ上古墳 09D-0024 奈良市都祁白石町字ヤクシ山
ライスセンター側からは、行けないのでスルー。南側か東側の道から行けるのだろう?
径18mの円墳。墳丘は残っているらしい。南に開口する横穴式石室と思われるが、石室は破壊され、窪みと少し石材が残るだけ。遺物の報告はないそうだ。
ライスセンターから下る農道の両側に、川向古墳群がある(14基の小さな円墳と1基の前方後円墳。半数は半壊状態)
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川向古墳群 道路東側 道路西側
ここから、三陵墓古墳群はすぐそこ。下の地図の点線で囲った部分は川向古墳群。
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三陵墓古墳群
奈良市都祁南之庄町 5世紀中頃~6世紀の古墳群
かつてこの地域は有力豪族=闘鶏つげ氏の支配のもと「都祁王国」と呼ばれるほどに栄えたと言われている。「三陵」という名の通り東・西・南の3か所の古墳のうち、史跡公園の敷地内では東西2つの古墳の墳丘が復元され一般に公開されている。
三陵墓南古墳
公園から781号線を挟んだ南側、参道を登る。径約16mの円墳。発掘調査は未実施。古墳時代後期6世紀頃築造と推定されるらしい。
781号線から南古墳 参道 忠霊塔 忠霊塔奥に鳥居 南古墳
墳頂に祠 祠裏に窪み=石室跡?
南古墳北側の史跡公園には、専用無料駐車場2カ所・手洗あり。
西・東古墳の間の駐車場(手洗あり) (参考)西古墳側の駐車場
三陵墓西古墳
公園の西に位置する5世紀前半の円墳。1951年(S26)・1995年(H7)に墳丘・主体部の発掘調査を実施したとのこと。直径約40m、高さ約5m、墳頂部直径約16m。1段築成。墳丘表面で葺石、円筒埴輪列(朝顔形含む)が認められた。主体部の埋葬施設は2基が検出されている。
西古墳西望 右は南望 モニュメントは都祁高原マラソン実行委員会のマスコットキャラクター「つげまろくん」
墳裾の周辺案内
墳頂南望(後ろに都介野岳631m) 埋葬施設跡 (A4ファイルは大きさ比較)
墳頂北望 埋葬施設等案内
第1主体部(初葬)
墳頂中央部。割竹形木棺粘土槨。主軸は南北方向。木棺を埋納する墓壙は隅丸長方形で長さ13m・幅5.6m・深さ約1.5m、木棺は長さ8.35m・南小口幅1.20m・北小口幅0.95m。埋葬は南頭位と推定される。棺床には赤色顔料(ベンガラ)を散布してあった。 出土遺物のうち、棺内遺物としては鉄剣5・鉇ヤリガンナ2・鉄鑿タガネ1・鉄斧4・鉄鎌7・滑石製臼玉・琴柱形石製品8・碧玉製管玉・竪櫛多数。棺外遺物としては鉄鏃群・鉄剣6・直刀9・鉄鉾1とのこと。
第2主体部(追葬)
第1主体の東側。組合式木棺直葬。主軸は南北方向。木棺を埋納する墓壙は隅丸長方形で長さ5.5m・幅2m、木棺は長さ4.17m・南小口幅0.67m・北小口幅0.61m。埋葬は南頭位。棺内面には全面に赤色顔料(ベンガラ)が塗られていた。出土遺物のうち、棺内遺物としては臼玉108・竪櫛89・鉄鏃8・漆塗り靫1が、棺外遺物としては漆塗り盾1・鉄槍1・円礫1・鉄刀子2・鉇2・鉄鑿1があるとのこと。
副葬品の中では、竪櫛が多量に認められる点が特筆される。築造時期は墳丘・第1主体部が古墳時代中期の5C前半頃、第2主体部が5C中葉頃と推定され、東古墳に先行する首長墓に位置づけられるらしい。
なお、墳丘の東側には次のようなモニュメントがあり、真ん中を覗くと「つげまろくん」が見える。
三陵墓東古墳
公園の東に位置。これまでに明治末年に発掘されているほか、墳丘の発掘調査が実施されたらしい。
墳形は前方後円形(帆立貝式)で前方部を西北西に向ける。墳丘長110m、後円部 3段築成,径70-72m、高さ11m。前方部 3段築成、長さ約39m、幅約50m、高さ5.7m。墳丘第1段目は地山整形により、2・3段目は盛土により構築。墳丘表面では葺石のほか、円筒埴輪列(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(家形埴輪)が認められる。主体部の埋葬施設は未発掘のため不明(箱式木棺粘土槨と伝承)。副葬品として、銅鏡2面・玉類・鉄製武器・工具類の多数出土が伝えられる。築造時期は古墳時代中期5C後半頃と推定され、西古墳に続く首長墓に位置づけられるとのこと。
東古墳案内 前方部東望
後円部3段築成 後円部墳頂 前方部見下ろし
市場古墳群・観音山古墳群
三陵墓古墳群の東に隣接して、県道781号線の南側に両古墳群がある。
いずれも、アクセス道が見つからず、外からボンヤリ眺めるだけ。
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市場古墳群 奈良市都祁南之庄町
観音山古墳群 奈良市都祁白石町
12B-27方面 12B-29方面 12B-31方面 12B-34方面
貝那木古墳群に続く・・・・・。