OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

一須賀古墳群K支群・L支群・M支群

一須賀いちすか古墳群は大阪府南河内郡河南町かなんちょう一須賀~東山~太子町葉室はむろにわたる丘陵上にある古墳群(国の史跡)。6世紀(5世紀末とも)~7世紀前半に築造された府内でも有数の群集墳。23支群・総数262基からなると言われる。うちB支群~M支群は「近つ飛鳥風土記の丘」として整備保存されている。

2023年4月18日(火)・5月11日(木)・5月18日(木)訪問。

 *訪問各日の写真が混在するので草の生え方が若干違います。

 

博物館受付で貰える散策路マップを編集加工 緑〇=K10号 黄〇=K?号 赤〇=K11号 青〇=L3号

*マップ上の道は、濃いグレイは舗装された周回道。薄いグレイは階段、白っぽい所は地道。

*なお石室測定数値等は、2004年近つ飛鳥博物館発行の「一須賀古墳群の調査」に準拠。ただし、現状の羨道や玄室の高さは土砂堆積で掲載測量数値より低い場合が多いです。

 

一須賀古墳群K支群

J支群のJ13号脇から、散策路を奥(東方面)に進むと2分程で三差路があり、左(北西)に行くとK支群、右(東)に行くとL支群。
*ただし、K11号は三差路のすぐ南脇にあります。

J13号脇を奥へ(黄矢印) 

 *画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

三差路方面                     左(黄矢印)K支群 右(白矢印)L支群

号数がよく分からないので、巡った順に掲載します。

K11号

K支群とL支群への分岐=三差路の南脇にある。三差路からも回れるが、三差路手前からも上がれる。

三差路見返り                    三差路方面(緑矢印)手前から

径11mの円墳。南西に開口し、残存羨道長1.8m・幅1.1m。

北東望 

右片袖式の玄室長3.4m・幅1.8m・高さ2.1m。須恵器・土師器・金環・鉄釘等出土。木棺と思われる。

西側壁                       東側壁  

開口部方面                     俯瞰   

散策路マップではK11号の南東上に古墳表示がある。上がってみると、大きな岩が散見されるが、石室ではなさそう・・・?

K?号

三差路すぐから左(西)側に入った所。

三差路から                     進入口西望

石室の基底部が残る。現存長さ4m程、幅1.1m程。

南望                        奥壁側北望

K10号

上記のK?号から、すぐ北西。多分これがK10号。

K?号から北望                    北望

径14mの円墳。本来の羨道長3.1m・幅1.3m・高さ1m以上、右片袖式の玄室長2m・幅1.6m・高さ1.5m以上らしいが、現在は基底部が残るのみ。須恵器・土師器・金環・鉄釘、鎹かすがい等出土し木棺と思われるとのこと。

西側壁                        南望

K9号

散策路の右(北東)下に、今にも崩れそうな大きな石室が見える。径17mと、墳丘規模も石室もK支群では一番大きい。

羨道長4.7m・幅1.5m・高さ2m。

羨道西側壁

玄門部から玄室

右片袖式の玄室長3m・幅2m・高さ2.5m。須恵器・土師器・金環・刀子。鉄釘が出土し、木棺と思われる。

玄室奥壁滅失部分から

散策路マップではK9号の北側に古墳表示があるが、木々が茂っており、特に何も確認できなかった。

 

一須賀古墳群L支群

K支群との分岐の三差路から東に2~3分入った所。

L3号

散策路が右にカーブする階段上、径14m・高さ2.4mの円墳。南西方向に開口するが、羨道前には羨道の天井?石材が崩落している。

羨道7.6m・幅1.7m・高さ1.7m。羨道から外部に向かう石造りの排水溝も道められたらしい。表面等が多少加工された大小様々な石材を使っている。

右片袖式の玄室長3.1m・幅2.2m・高さ2.1m、敷石が残る。奥壁上の天井石が崩落寸前。両側壁1段目の巨大な石材はかなり丁寧に加工されている。埋葬施設は石棺と木棺、出土品は須恵器・土師器・金環・鉄釘とのこと。

開口部方面。

右袖石は加工された立柱様の巨大石。

L3号の東横

L3号墳丘の東側に回り込むと、石材がある。

隙間はあるが、中は殆ど埋没している。

白いのはA4ファイル

L4号

L3号から散策路を挟んだ向い(南)側。径18m・高さ3.8mの円墳。開口部はL3号の反対側にあるが、墳頂には石室天井石が露出する。

L3号から墳丘南望                  墳頂南西望

玄室天井部分が一部滅失し、上から玄室の東側壁が見える。

西望=黄〇が滅失部分                玄室東側壁

開口部。

羨道長4.9m・幅1.5m・高さ1.7m。表面等が多少加工された大小様々な石材を使っている。

玄門部寄りの石材は結構大きい。

右片袖式の玄室長3.6m・幅2.3m・高さ2.5m。

玄室側壁は、L3号の丁寧に加工された大形石材と比べると、自然石に近い。

 

右袖石はL3号同様、加工された立柱様の巨大石。埋葬施設は石棺と木棺、ミニチュア炊飯具・須恵器・土師器・金環・鉄釘出土とのこと。

 

L4号のすぐ東上

詳細不詳。本来の羨道開口部ではなく、玄室側の天井部分が滅失しており、そこから内部が見える。羨道方面は殆ど埋まっている。

側壁は扁平な切石。

 

一須賀古墳群M支群

G支群から東に上がってくる散策路と、第1展望台から南東に向かう散策路が合流する辺り。風土記の丘の最高所。

号数が分からないので、色で区別します。

M赤〇

散策路南側沿いに墳丘がある。

一応墳丘に上がってみたが、墳頂辺りにも何も見つからない。

第1展望台方面から                          墳頂辺り

M青〇

周回道が地道から舗装に変わる辺り。木々のあまり生えていない所から、南に上がる。

散策路西望                     散策路から南上へ

墳頂辺りに石材があるが・・・。

M青〇号進入口から、少し南に行くとP支群方面への散策路の入口がある。

M緑〇

大きな墳丘があったが、よく分からないのでパス。周街道を歩くと同じ様な墳丘っぽいところは一杯ある。