OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

中村古墳群周辺

中村古墳群周辺

2021年5月11日(火)芝出古墳群→中村古墳群→尻矢古墳群

芝出古墳群

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百合ケ丘団地への道が右に大きくカーブする所のすぐ左側に、フェンスで囲まれた小さな施設(グーグルマップでは報恩院流宗家)がある。その少し手前、道路から北側林内の尾根筋を下ったすぐ左の所に2基。上の2号墳は径11mの円墳で陥没壙のある墳丘。更にやや左下の3号墳は径15mの円墳で小型の横穴式石室が開口。土砂で埋没しているが、全長6.3m、玄室長2.8m・幅1.38m・高さ1.8mとのこと。

進入路                      2号墳          3号墳

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*画像をクリックすると拡大されます。

3号墳開口部       内部                       南望見上げ

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尾根は、3号墳から更に北に下って行くが、墳丘らしきものは見当たらなかった。

中村古墳群

6世紀頃の群集墳。保存区域は百合ヶ丘団地内の4ヶ所に分散している。

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市立病院東側の16号公園内には、高尾支群の5・6・7・8・13・14・15・16号墳が保存されており、木棺直葬で群中では初期の築造とのこと。案内が見つからず、どれがどれか分からないし、墳丘らしきものは6基位しか確認できなかった。公園半ばに人参峠遺跡の案内があり、この案内から西側は急な谷になっており、この公園が尾根筋であることがよく分かる。

進入路          墳丘例                     遺跡案内

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19号(ニレの木)公園北東近くに11号墳。墳丘下のフェンスで入れない。ニレの木公園には案内も設置されており、18号墳は石室が開口している。17号墳は笹で覆われ、19号墳・20号墳辺りは石材が散乱している。

11号墳          18号墳         案内           18号墳開口部

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17号墳          19号墳         20号墳          公園南望見上げ

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17号(シイの木)公園に2基。12号墳は群内最大の円墳だそうだが、墳丘は明瞭ではなく、公園最高所から見下ろせば、それとなく分かる程度。1号墳は石材が露出。なお、案内には「1号墳の西側に12号墳」とあるが、どう考えても東側。
案内           12号墳          1号墳見下ろし  

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百合ヶ丘団地の東端、名張青峰高校北側斜面一帯に15基の奥出古墳群もある(明確に墳丘が確認できるのは1基のみらしい)。

大阪府柏原市に8つの支群を擁する平尾山古墳群があり、確認できるだけでも1400基を超えるという巨大群集墳。この百合ヶ丘一帯は、釜石川・宇陀川流域に居住した集団の、数代にわたる家族墓と考えられるそうですが、芝出・中村・奥出古墳群を含む、大規模群集墳だったと思います。狭い日本で住宅開発は必要不可欠ですが、古墳マニアには、すこし残念なような・・・。

尻矢古墳群

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百合ヶ丘団地南側の立派な一般農道?で繋がる赤目町すみれが丘。S55年(1980)当宅地造成で、尾根筋全域調査を実施。木棺直葬墳や、大形横穴式石室を有する8基の古墳等を発見。そのうち2号墳は径14m、墳頂部に楕円形(長軸5.4m、短軸3m)の墓壙が掘られ、木棺2基が納められていたとのこと。西棺は長さ4.65m・幅70cm程の割竹型木棺で北頭位埋葬。棺内遺物は、剣・鏃以外に鏡面を下にした銅鏡(五獣鏡)とガラスの勾玉・小玉を連ねた首飾り。五獣鏡は径11.8cm・縁部厚さ約4mm・重量189g。頭部には鏡面を上にした銅鏡(四神四獣鏡)があり、径9.7cm・縁部厚さ約3mm・重量106gらしい。5世紀後半(~6世紀前半)築造とされるが、今はただの空き地で、その前に案内があるだけ。

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ここから横山古墳群琴平山古墳等へ向かう。

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