OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

百合野古墳群

百合野古墳群は滋賀県甲賀市水口みなくち町岩坂。900m南西には奥百合野古墳群がある。また、400m程北側には岩坂南古墳、更に300m程北側のJR草津線の線路すぐ西横に岩坂古墳群がある。200m程南東側には高山古墳群もある。2024年3月17日(日)訪問

 

 

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P5-図4「水口盆地南西山麓の古墳群の位置」を編集・加工

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は未訪問分も含め、基本的にこの資料に準拠しています。

当古墳群は全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。
*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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この「調査報告書」については、下記甲賀市HPを参照下さい。

甲賀市史編纂叢書のごあんない/甲賀市

また、この「調査報告書」を所蔵する大学の図書館は下記で検索下さい。

CiNii 図書 - 甲賀の横穴式石室 : 後期古墳群調査報告

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百合野古墳群詳細

県道4号線を南北に横切る林道北側に1号墳。1号墳から県道を挟んだ南側の林道沿い約300m程の間に2~12号墳。また、1号墳東の丘陵上に13~20号墳がある。

*「調査報告書-」P20-図15「百合野古墳群 位置図」を編集・加工

 

1号墳 広域農道と県道4号線の三差路から4号線を北西に100m程行くと、県道を南北に横切る百合野林道がある。4号線から林道を北側に入って、25m程の右(東)側にある。

林道進入口北望          進入口左脇の道標          林道北望

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

 

群中では最も墳丘の保存状態が良く、径15m程の円墳。東裾の先は谷になっている。

林道から東望                    南望

墳丘南面に、ほぼ南向きの石室が開口する。

南西望                       北望

無袖式の玄室は現長3.9m・幅1.6m・高2m。奥壁・側壁の持ち送りが急で、断面は三角形に近い台形で、天井部が極端に狭くなる穹窿式。天井石は2石が残り、奥1石目は0.55mと小さく、2石目の巨大な1枚岩で殆ど覆われている。

                          墳頂から南望

 

1号墳から県道を挟んだ南側約300m程の間に2~12号墳があるが、いずれも径10m未満の小円墳。

進入口南望            南望(黄〇が道標)           道標

2号墳 径5m。封土の流出が顕著。林道脇で、「調査報告書」には、石材が抜き取られて陥没しているとあるが・・・?殆ど平ら。

南望                        北望(右側の段差下が林道)

3号墳=径9.3m。「調査報告書」ではーーー南向き石室の石材が抜き取られ、陥没(1×2m)しているーーー。 4号墳=径8m。「調査報告書」ではーーー封土の流出が顕著で石材等も確認できないーーーとあるが、いずれも石材どころか墳丘すら分からない。

 

5号墳 径8.5m。南東向き石室の石材が抜き取られ、陥没(1×3m)しているとあり、何とかそれらしき所が、林道西横にあった。

北西望                       南東望(林道方面)

 

6号墳 径7.5m。「調査報告書」には、封土の流出が顕著で石材等も確認できないーーーとある。5号墳と尾根裾との間のはずだが、それらしき所は見当たらない。

 

7号墳=径6.5m。「調査報告書」にはーーー南西向きの石室内は土砂が堆積。小型の横穴式石室の模様ーーーとあるが、分からない。 8号墳=径5.8m。封土の流出が顕著で石材等も確認できないーーーとあるが、ここには小さな石材がある・・違うのかも?

7号墳?林道から南望        8号墳?林道から南望        8号?墳頂北西望

 

9号墳 百合野林道南口から300m弱。林道右手上に結構高い斜面がある。その頂上辺りにある。径7.8m。南東向き石室の奥壁と側壁の石材がわずかに残る。

南西望                       北西望

 

10号墳 9号墳南西に隣接。径7.7m。石室石材が抜き取られ陥没(1×2m)している。

9号墳から南西望                  北西望

11号墳辺りから林道を挟んで9・10号墳北西望

 

11号墳・12号墳 いずれも径6m。「調査報告書」にーーー墳丘は判然とせず、石材等も確認できないーーーと、あるとおり判然としない。

11号墳辺り                     12号墳方面

 

1号墳から深い谷を挟んだ東の尾根上に13~20号墳がある。

13~20号墳が所在する尾根北望

向かって右手の斜面裾には獣除けの電気柵が張られているし、左手斜面裾は草木が繁茂。左手(北西)端から上がれるかもしれないが、とても大変そうなのでパス。

以下、調査報告書の情報のみ掲載します。

13号墳 丘陵頂上、径8mだが不明瞭。

ーー稜線上の14~16号墳は墳丘規模が大きく周濠が巡る。

14号墳 径15m、墳丘良好、石材散在。

15号墳 径16m、墳丘良好、石材散在。墳丘南側に周濠跡。

16号墳 径16.5m、群中最大で墳丘良好、周濠は幅2mで全周。

17号墳 径11m、墳丘良好、東側に周濠溝。

18号墳 径11m。墳丘良好。石材等は確認できない。

19号墳 径6.5m、墳丘は判然とせず、石材等も確認できない。

20号墳 径7m、墳丘は判然とせず、石材等も確認できない。

 

奥百合野古墳群

甲賀市水口町宇川。百合野古墳群南端の10号墳辺りから、(百合野林道を)800m程谷奥。

2基確認されている。

               *「調査報告書」P25-図19「奥百合野古墳群 位置図」を編集・加工

「調査報告書」の情報のみ掲載します。

1号墳 谷部斜面のなだらかな平坦部に立地し、径11mの墳丘は良好で、東側は急斜面となり谷底に至る。南東向きの玄室が完存する(土砂が結構堆積)。石室全長6.24m、羨道長2.3m・幅1.12m、右片袖式の玄室長3.68m・幅1.67m・現高1.5m、平天井。

2号墳 径18mと大規模な墳丘。大型石材が露出する。

三大寺落し谷古墳群

三大寺落し谷古墳群は滋賀県甲賀市水口町三大寺にある。2024年3月17日(日)訪問。

 

広域農道から西望

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

 

甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P43-図31「三大寺落し谷古墳群古墳群 位置図」を編集・加工

*なお墳丘規模等の実測値も、甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」に準拠しています。

 

広域農道から田んぼの間の道を200m程行った尾根先端から、南北200m程の範囲に分布。小屋がある所(上図赤〇)が進入口。獣除け防護柵に沿って尾根筋を上がる。

進入口 北西望                   上り口 南西望

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

 

現在8基の円墳が確認されている。

1号墳 最高所(標高280m程)にある。径8.5m(古墳状隆起かもということでパス)。

 

2・3・4号墳は一列に連続。

2号墳 径9.6m。封土の流失が顕著。南東向きの石室が抜き取られた跡が陥没。

北西望 見上げ                   墳頂南西望(陥没)

3号墳 径14.4mで最大。南東向きの石室が抜き取られた跡が深さ1m程陥没。

墳頂北東望                     北西望

4号墳 径9m。古墳群の北東端、上り口すぐの所。南東向きの石室が抜き取られた跡がやや陥没。

南西望                       東望

5号墳 径8.2m、唯一石室が遺存する。進入口の小屋から尾根裾沿いに南に少し行き、

斜め上に上がれそうな所から入る。奥(南)に進むと竹藪の中にある。

南望(竹にピンクテープ)               開口部西望

*季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

開口部は幅0.9m。南東向きの長さ1.7mの小型石室。

 

6号墳は径6m、7号墳は径9m、いずれも封土の流失が顕著。8号墳は径9.5m、石室石材が抜き取られ、3×4.5m・深さ1.3mの陥没=石室痕跡があるとのことだがパス。

6号墳~8号墳方面南望

 

園養山古墳群B支群(前半)

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。

 

B支群は、A支群の南側で、中腹からJR草津線側の麓まで、東西350m程の範囲に密集する60~133号墳

石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)と、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩い平天井のもの(畿内型A類)が混在する。

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B支群(前半)60~99号墳

2024年2月17日(土)・18日(日)訪問。

*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。

(上が北)

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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分布図等詳細は、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは(調査当時の)土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『調査報告書』では小グループ分けされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(「B支群後半」の巻末に記載)を辿っています

園養山古墳群B支群(後半) - OSAKA-TOM’s diary

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B-1支群 

B支群の一番北、300m弱の長い尾根に一直線に並ぶ60~75号墳

 

60号墳 B-1支群の尾根最高所。径13.5m、墳頂に開口部、天井石が落込む、南向きの玄室長3m程・幅2m・高1.5m程。

南望                        北望

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

小振り石材5~6段積み、持ち送りが急な穹窿式

(奥から見て)右側壁との接合部    奥壁               左側壁との接合部

 

61号墳 径8m、墳丘は不明瞭。羨道部はほぼ全壊(幅1.23m)、南向きの開口部高2m強。

西望                        北望

「調査報告書」ではーーー右片袖式の玄室長3.6m・幅2.1m・高2.6m。持ち送りの緩い穹窿式で平天井に近い(天井は3石で奥壁側が1段高い)。6世紀末と思われるーーーとのこと。

 

62号墳 径11m、墳丘は緩やか。墳頂に玄室が露出。

西望見上げ                     墳頂東望

南向きの右片袖式の玄室長3.1m・幅1.8m・高1.08m、穹窿式。幅1m程の羨道は大半埋没している

奥壁方面北望                    奥壁

羨道方面南望                    前壁

 

63号墳 径6.5m、墳丘は封土の流失が顕著でほぼ平坦、石材散在。

 

64号墳 径8m、墳丘の封土の流失が顕著、石室天井石が滅失し、土砂で埋没するが、隙間から側壁・奥壁の一部が確認できる。

南西望(黄〇が石室痕跡)               隙間北望

 

65号墳 径10.5m、埋没石室跡が僅かに遺存。『調査報告書』ではーーー墳丘封土の流失が顕著。石室天井石が抜き取られ、土砂が堆積する。奥壁と側壁の一部が確認できるーーーとあるが・・・?。

西望                        南西望      

 

66号墳 径10.5m。南向きの埋没石室が遺存。奥壁・側壁の一部が確認できる。長3m・幅1.5m。

西望                        墳頂南望

西望                        北望

 

67号墳 径12mで墳丘良好。墳頂に10㎝程の隙間があるが、内部はよく分からなかった。

南西望                       墳頂の隙間

『調査報告書』ではーーー南東向きの穹窿式・右片袖式の玄室が覗ける(長3.15m・幅1.98m・高1.7m)ーーーとあるので、南東側にもう一か所、覗ける隙間があるのだろう。

 

68号墳 径11m墳丘良好、石材散在。

南望                        墳頂東望

 

69号墳 径10m、墳丘の封土の流失が顕著。天井石が滅失した南東向きの石室が遺存し奥壁部分が見えるが、かなり埋没。

遠景西望                      墳頂西望

北西望(奥壁方面)                  奥壁俯瞰

 

70号墳 径9m。墳頂に陥没跡、石材一部露出。

北西望                       墳頂東望

 

71号墳 径10m。扁平墳丘、墳頂に陥没跡、石材散在。

西望                        墳頂南西望

 

72号墳 径13m、緩やかな墳丘。

南西望                       墳頂

 

73号墳 径11m、平坦な墳頂に石室痕跡が確認できる。

南西望                       北望

                          内部は殆ど埋まっている。

 

74号墳 径7m、墳丘の封土の流失が顕著。石材脇が陥没。

遠景南西望(58号辺りから)              墳頂南東望

 

75号墳 73・74号墳とは少し離れており、B-1支群の東端。径9m、墳丘の封土の流失が顕著らしいがよく分からなかった。

位置的には、JR草津線の踏切を西に渡ってすぐの、酒人さこうど林道分岐辺りから西方向に緩やかな斜面を上がった所なのだが・・・?。

JR草津線の酒入林道への踏切                     林道分岐(白矢印は園養寺参道へ)

 

B-2支群

B支群最高所辺りの緩斜面にある76~80号墳。明確な特徴のない支群なので、周辺との位置関係から類推するしかない。

(上が北)

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

 

76号墳 径9m、真北に61号墳の開口部が見える。

76号から見た61号(黄〇)      東望                南西望                

 

77号墳 径11m、『調査報告書』ではーーー墳頂が削平されているーーーとあるが、墳丘自体が削平されているような???位置的には西に76号墳が見えるのでこの辺りのはずだが・・・。

西望(右奥の高まりが76号墳)             南西望

 

78号墳 林道の終点(下記80号墳の先)。径10m。石室跡が陥没する。

【番外】

B-2支群78号墳から西に少し上がった緩斜面に墳丘っぽい高まりがあった。

西望

その北側に開口部らしき穴が見えた。近寄ってみるとまさに石室。墳丘は殆どない。

北望

「調査報告書」の古墳位置図には載っていない。「調査報告書」ではーーー

1971年(S46)滋賀県教育委員会の調査では121基が確認された。1986年(S61)、当時の甲西町教育委員会の調査では129基が確認され、それをもとに2005(H17)・2006年(H18)甲賀市教育委員会が調査の結果、新たにD支群等が発見され、190基確認されたーーとのこと。

今回も「これ古墳じゃないか?」と思われる所が数々あったが、このように明らかに石室と確認できる所は珍しい。おそらく周辺にも幾つかあるのだろう。

 

79号墳 径8m、墳丘は不明瞭(と、いうかほぼ平)で古墳状隆起の可能性もあるとのこと。

遠景西望                      近景西望

 

80号墳 径11m、林道沿い(林道のほぼ終点)。ただ「調査報告書」にはーーー墳丘の保存状態は良好ーーーとあるので違うかも・・?しかし林道脇にはここしかないが・・。

南望(黄線が林道)                  南西望

黄線の林道は下記B-3支群南側にずっと繋がっている。

80号から東方向のB-3支群81号墳に下る林道(黄線)

*81号墳に至る林道の中間辺りに、「調査報告書」の古墳位置図には無い分岐?があった。ただ特徴のある81号墳や100号墳との位置関係からしてB支群との関連性はなさそうだ。

西望                       北西望           上から北東望

B-3支群

81~99号墳。東西に通る林道の北側、緩やかな尾根筋に連続して密集する。

 

81号墳 径9.5m。墳丘封土の流失が顕著。墳頂に天井石の滅失した南東向きで右片袖式の石室下部が遺存(長3.16m・幅1.83m)。羨道は林道で削られている。

西望                        北東望

 

82号墳 径7m、81号墳に接するが墳丘はほぼ全壊、墳頂部にあたる部分がやや陥没。

西望=水色〇82号(黄〇81号)    陥没(西望)             北望(桃〇83号・赤〇84号)

 

83号墳 径9m。すぐ東に84号墳がある。

北東望

 

84号墳 径10.8m、墳丘は良好。石室の上下が開口。上段の開口部から石室内が覗ける(下段の隙間はかなり狭い)

東望                        北西望

上段の開口部

右片袖式の玄室長2.92m・幅1.7m・高2m程、側壁がかなり持ち送る穹窿式、奥壁の石材表面加工が丁寧。

 

85号墳 径14m、墳丘は良好。天井石の滅失した石室が露出。

東望                        北西望

羨道長3m・幅0.9m、右片袖式の玄室長3.56m・幅1.85m・高1.5m程で持ち送りが急。

 

86号墳 径9.2m。南側は削られているらしい。墳頂がやや陥没。

東望                        墳頂

 

87号墳 86号墳の南に接する。径6.5m、墳丘封土の流失が顕著で、東側は削られている。墳頂に僅かに石室石材が遺存。

南西望

 

88号墳 径17mの大型墳丘は良好。天井部分に僅かな隙間。『調査報告書』ではーーー持ち送りが急な穹窿式ーーーとのことだが、内部は撮影できなかった。

 

89号墳 径12mで墳丘封土の流失が顕著。南東向きの玄室跡(幅1.6m)が遺存。

墳丘東望             石室部東望            石室跡南西望

北西望                       玄室石材

 

90号墳 径15.5mと比較的大きいが、墳丘封土の流失が顕著。深く陥没した部分に玄室跡(幅1.5m)が露出。

東望                        北西望

西望

 

91号墳 径15mと比較的大きく、墳丘良好。墳頂が陥没し僅かに石材が残る。

東望                        西望

 

92号墳 径9.5m。89・90号墳の北斜面。墳丘封土の流失が顕著。石材散在。

90号墳から遠景望遠(北西望)             近景西望

 

93号墳 径8m、墳丘封土の流失が顕著。『調査報告書』の93号墳欄にはーーー天井石が露出、石室内に石材崩落ーーーとあるが、経年で埋まったのか?上記の92号墳の様子の方が、それっぽいが・・・。

北西望見下ろし

 

94号墳 88号墳の墳丘南面、元は径7mだったらしいが、墳丘は無く、南西向きの石室の後部のみ遺存。『調査報告書』ではーーー全長3.6mで無袖式の小型玄室は幅0.85m・高1.1m。確認できる天井石2石の内、前側は一段低い。7世紀に入ってからの築造と思われるーーーとのこと。

北望

 

95号墳 径8.2m、墳丘封土の流失が顕著。墳頂が陥没。

林道から北望(黄〇)                 陥没(赤〇) *後方に88号墳

 

96号墳 径11m、墳頂の木の根元に石室の隙間がある。内部は完存の模様。

東望               南望(下に林道)           北望

 

97号墳 径6mで墳丘は不明瞭、石材が散乱。

北東望

 

98号墳 径8m、墳丘封土の流失が顕著。やや陥没している。

北東望                       北望

 

99号墳 径8.8m、墳丘封土の流失が顕著。陥没部分に一部に石材が見える。

北東望 

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全体および他支群は下記で。

園養山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

園養山古墳群

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。

6世紀中頃、渡来系穹窿きゅうりゅう式の横穴式石室(=畿内型B類)造営に始まり、ヤマト王権の影響下で平天井式の横穴式石室(畿内型A類)も6世紀後葉から導入されるようになり、7世紀に入って漸減するが7世紀中葉頃まで造営は継続したらしい。

 

標高485mの鳥ヶ獄とりがだけから北東に伸びる斜面中腹から山裾に位置し、特にJR草津線の「三雲駅」と「貴生川きぶかわ駅」の間、線路沿いにある天台宗「園養寺おんようじ」周辺、南北700m・東西400mの範囲に所在する。(2008年現在)190基が確認されており、いずれも径十数mの円墳で横穴式石室を有する。完存石室23基・半壊石室58基・壁面一部のみ遺存34基・埋没石室17基・石室確認不能58基。削平されたものあるようで200~250基はあったと思われるとのこと。

 

大きくA~Dの4支群に分けられている。

A支群=1~59号、B支群=60~133号、C支群=134~161号、D支群=162~190号

下図が「園養寺」(右が北)

*「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P103-図68を編集・加工

 

古墳号数はA~C支群では原則、北→南、西(山頂側)→東(山麓側)の順に付番されている。

別斜面にあるD支群では東→西、南(山頂側)→北(山麓側)の順に付番されている。(右が北)

*「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P58-図44(園養山古墳群 古墳位置図)を編集・加工

 

=====【古墳群の詳細資料】=======================

園養山おんようざん古墳群の分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』に掲載されており、園養山古墳群各ブログの古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

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調査報告書はA4版全173ページ。

平成17(2005)・18年度(2006)調査結果をとりまとめたものです。

甲賀市の岩坂古墳群・岩坂南古墳群・百合野古墳群・奥百合野古墳群・高山古墳群・三大寺落し谷古墳群・城川古墳群・三大寺桜ノ馬場古墳群・波濤ケ平はとがひら古墳群・塚穴古墳群・杉谷古墳群・勅旨古墳群と併せ湖南市の園養山古墳群が掲載されています。

この調査報告書については、下記甲賀市HPを参照下さい。

甲賀市史編纂叢書のごあんない/甲賀市

また、この調査報告書を所蔵する大学の図書館は下記で検索下さい。

CiNii 図書 - 甲賀の横穴式石室 : 後期古墳群調査報告

 

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A支群

園養山古墳群A支群 - OSAKA-TOM’s diary (hatenablog.com)

B支群

園養山古墳群B支群(前半) - OSAKA-TOM’s diary

園養山古墳群B支群(後半) - OSAKA-TOM’s diary

C支群

園養山古墳群C支群 - OSAKA-TOM’s diary

D支群

園養山古墳群D支群 - OSAKA-TOM’s diary

=======【当古墳群訪問時の注意点】(2024年3月現在)===========

・最寄り駅のJR草津線「三雲駅」周辺にはコンビニはありません。

・自販機は「三雲駅」にはありますが、園養寺への道中や園養寺にはありません。

・冬場限定。雨天厳禁。雨天翌日も避けた方が良いです。

 なお、冬場は(すぐ暗くなるので)16時頃が限界です。

・古墳群には標識や道標はないので、分かり易い所を起点に連鎖的に巡りますが、 

 現在位置を常に確認し、戻る道順も記憶に残しながら進んで下さい。

 古墳位置図の等高線をシッカリ確認下さい(尾根・谷筋が一つの目印となります)

 方角を見誤るといけないのでコンパス必携(太陽の位置等での勘に頼る測位は厳禁)

・高低差が相当あり傾斜が想像以上に急です。立木の間を伝ったり、四つん這いで登り

 降りするので、軍手必携

 立木のない所は丈夫な枝2本を杖替わりにすると良いです(スキーのストックの感じ)

・落ち葉で滑りやすく、転んだり滑落することも多いので、ズボン等の着替え必携

・入室できる石室は少なく、石材の隙間から撮影することも多いので自撮り棒必携

・写真撮影の枚数がかなり多くなるので、カメラの予備電源の準備必要

・園養山古墳群のブログは他にもあるので是非参考にして下さい。

 ただ経年で様子が異なるケースも多いです。

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園養山古墳群D支群

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。

 

D支群

A支群の西側、北向きの斜面に所在する162~190号墳

D支群の石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)と、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩く平天井のもの(畿内型A類)が混在する。2024年3月10日(日)訪問。

*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。

 

(上が北) 右下の🔴が園養寺本堂。本堂周辺にはA支群が分布する。

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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JR草津線三雲駅から約1km(園養寺の北650m)、プラスチックリサイクル工場の西側に林道への踏切があり、この林道を340m行くとD支群の北端190号墳に到る。

林道入口の踏切 南西望               林道起点(かなり整備されている)

*写真の日付が「2025.03.10」となっていますが設定ミス、2024年です。

季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『調査報告書』では小グループ分けはされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

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D-1支群 

支群東側の尾根筋、162~164号墳

 

162号墳 径10m、墳丘は良好。墳頂に天井石が一つ露出。

東北東望                      西望

 

163号墳 径13m、封土の流失が顕著で石室が遺存。東向きの石室で、前壁部が開口。

西望

玄門~羨道は完全に埋まっている。玄室長3.05m・幅1.65m・高1.25m、持ち送りは急。『調査報告書』にーー羨道長3.4mーーとある。

 

164号墳 尾根筋の最下部(北端)。径12.5mで墳丘良好。「調査報告書」にはーーー

石室開口部が確認できるが、土砂が堆積し内部不明ーーーとあるが、それらしい痕跡がない。位置的には尾根筋最下部なのだが・・・?

南望見上げ                     北望

【番外】 163号墳~164号墳の間の尾根筋に、墳丘っぽい所が2ケ所あったが・・・?

163号墳のすぐ下                  その更に下(164号墳の上)

 

D-2支群

D-1支群から谷筋を挟んだ西側の幅広の尾根。ポツンと離れた最高所に位置する165号墳と中腹尾根筋に集まっている166~174号墳

 

165号墳 D-1支群の162号墳から谷筋を南西に越えた、崖のような急斜面にある。

径10.5m。東向きの石室が開口する。

*相当危険なのでパスしてもいいかも・・・。

開口部西望 見上げ                 開口部東側の急斜面

羨道長2.3m・幅0.96m、右片袖式の玄室長3m・幅1.85m・高1.85m。石材はかなり丁寧に表面加工されている。羨道から奥壁まで各側壁の横目地が整然と通る。それに比べ奥壁は小型~中型の石材の9~10段積みでやや雑然としている。

羨道

玄室                        開口部方面

 

166号墳 径8.5m、封土の流失が顕著。墳丘中央部が陥没。

南東望見上げ                    墳頂西望

 

167号墳 径9.5m、封土の流失が顕著。墳頂に石材散在。

南東望見上げ                    墳頂北東望

 

168号墳 径7.2m、封土の流失が顕著で石室が露出。天井部は滅失(内部に崩落)するが、羨道長2m・幅0.85m、右片袖式の玄室長2.35m・幅1.4m・高1.3m

北東望                       南西望

 

169号墳 径12.5m、墳丘は良好。北東向きの石室が開口。

東望                        南望

『調査報告書』ではーーー羨道長3.55m・幅1.13m。両袖式の玄室長3m・幅1.82m・高2m、天井は3石構成で水平に架構されている平天井、6世紀後葉築造と思われるーーーと、ある。両袖式園養山古墳群では珍しい。

 

170号墳 径8.5m、封土の流失が顕著。墳丘中央がやや陥没している。

東望                        北望

 

171号墳 径8.5m、封土流失が顕著で石室が露出。奥壁上部が崩壊し開口。

南西望見上げ                    現開口部

羨道長2.25m・幅1.1m、玄室長3.1m・幅1.6m・高2m程、唯一左片袖式で持送りが急。

羨道方面

奥壁                        羨道(羨道天井部が落ち込んでいる)

右側壁俯瞰                     左側壁俯瞰

 

172号墳 径8m、封土の流失が顕著。石室の側壁石材が遺存し露出している。

東望                        北望

 

173号墳 径10m、墳丘は良好。墳頂は陥没し、石材散在。

北望

 

174号墳 径8.5m、封土の流失が顕著で平らな感じ。

北西望見下ろし

 

D-3支群

南北に伸びる尾根に175~185号墳がほぼ一列に連続する。

175号墳 最高所。径7.2m、北側が削られている。墳頂陥没。

南望                        陥没部分



176号墳 径14m、墳丘は良好。天井石材が露出

南南西望。                     墳頂(石材隙間から内部が見えたかも?)

 

177号墳 径13m、封土流失が顕著で、南東向きの石室が露出。

北東望                       北西望(天井石が落ち込む)

羨道長1.2m・幅0.98m、右片袖式の玄室長3.07m・幅1.75m・高1.6m。奥壁は横長石材の2石構成で4段。大きな天井石が床面に落ち込んでいる。

奥壁                        開口部方向

右側壁(奥から見て)                 左側壁     



178号墳 177号墳のすぐ下。径7.2m、封土の流失が顕著。

墳頂北望

「調査報告書」にはーーー天井石が抜き取られ石室内に土砂が堆積するーーーとある。

【番外】この墳丘北東下斜面(下記179号墳の南西上方)に巨石があり、石室石材の様にも見えるが「調査報告書」にそれらしき情報はない。内部に扁平な石材が3個見えたが、楣石にしては大きすぎるし、位置と向きが・・・?

西南西望

 

179号墳 178号墳の北東下斜面にある。径10m、封土流失が顕著で高まりは僅か。天井石が露出する。

南東望

北西望

隙間から内部が見え、何とか石室が遺存しているようだ。

奥壁左半分            奥壁右半分             奥壁と左側壁接合部

 

180号墳 179号墳の南東すぐ。径5m、封土流失が顕著で僅かな高まりしかない。石材が散在する。

 

181号墳 径12.3m、墳丘は良好、天井石が滅失しているが東向きの石室が露出。

西望   東望

右側壁(奥から見て)                 左側壁

『調査報告書』ではーーー羨道3.8m・幅1.38m。右片袖式の玄室長3.2m・幅2.1m・高2.4m、穹窿式だが持ち送りは比較的緩く、平天井だった模様。6世紀末の築造と思われるーーーと、ある。

 

182号墳 径11.5m、墳頂部が削平されている。小さな石材が散在。

墳頂南望                      北望

 

183号墳 径10.5m、墳頂部が削平されている。石室石材が散在。

南望見上げ                     墳頂北望

 

184号墳 径10.8m、墳丘は良好。陥没跡があるが内部は埋没。

南西望見上げ                    墳頂

 

185号墳 D3支群の一番下、尾根の北端。径8.5m、墳丘は良好。

墳丘南望                      墳頂北望見下ろし(黄〇が露出天井石)

天井石が露出するが内部は埋没。

D-4支群

林道の南上斜面に散在する186~190号墳

 

186号墳 188号墳から185号墳に向かう浅い谷筋の中間地点から東上。周辺には墳丘っぽい高まりや石材がゴロゴロある。ポツンと離れた急斜面にあるようだが、墳丘のみで、墳丘状隆起の可能性もあるとのことなのでパス。「調査報告書」ではーーー径6.5m、墳丘は不明瞭、墳頂は陥没し石材散在ーーーとある。

 

187号墳 188号墳から浅い谷を西北西に渡った所。径9.3m、封土の流失が顕著。

188号から北西望                  北西望

南東向きの石室が露出する。玄室長2.85m・幅1.75m。

北西望                       現開口部南東望

 

188号墳 187号墳から30m程東南東。径8.5m、封土の流失が顕著で殆ど平らな感じ。墳頂に石材散在。

南東望                       南西望

 

189号墳 径5.5m、明確な特徴はなく、ここかどうかよく分からない。林道で東側が削平され、墳丘は不明瞭。

林道から南望。東側は大きな窪地。          墳頂東望

 

 

190号墳 林道の三叉路。径9.3m、林道で東側が削平されている。

右側が林道本線。左側は先で行き止まり。       開口部

北西向きの石室右側壁が崩落し僅かに開口している(上30㎝・下20㎝)

『調査報告書』ではーーー羨道幅0.8m、両袖式の玄室長3.4m・幅1.43m・高1.3mーーーと、ある。

 

===============D支群の探索経路================

*あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

林道(青矢印)→D-4支群→D-3支群→D-2支群→D-1支群

右が北

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

林道進入口の踏切から林道を340m行くと、林道脇にあるD支群の北端190号墳が、三叉路角にすぐ見つかる。更に少し林道を行くと大きな窪地の西側に隣接する(多分)189号墳がある。なんとかここを登り南に行くと、扁平ながら墳丘らしき188号墳がある。ここから浅い谷の西北西向こうに187号墳の石材が見える。ここで改めて先程の墳丘らしき所が188号墳と確信。(186号墳はパス) 続く尾根筋北端の185号墳はすぐ分かる。ここから連続するD-3支群。179・180号墳は少し分かりにくいが、D-3支群最高所の175号墳でUターンし、東側の幅広い谷筋を179号墳横まで下る。ここからD-2支群の171号墳に上がる。石室が露出するので正否が確認できる。

以下密集するので分かり易い=170号墳→172号墳(側壁石材露出)→173号墳→169号墳(石室完存)→174号墳→168号墳(天井滅失石室露出)→167・166号墳。次の165号墳は最難所。166号墳東側の分かり易い谷筋を登る(そこそこ急)。谷筋の最高所(東にD-1支群の尾根が見える)辺りで、西にあるはずの165号墳だが、尾根で見えない。その尾根を西に廻り込むと上方超急斜面に165号墳がある(危険なのでパスしてもいいかも)。谷筋の最高所から東にD-1支群の162号墳(天井石1個露出)がある。その下に163号墳(石室遺存)墳丘っぽい高まりを2つ越えてD-1支群最下所の164号墳で終了。なお、164号墳は最下所といっても、林道までは結構距離があり、目立った目印もない。とにかく北~北西方向を見失わず下って行くと林道のどこかに出るはず。私は幸いにも190号墳に出た。

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全体および他支群は下記で。

園養山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

園養山古墳群C支群

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。

 

C支群

C支群は、B支群から林道と渓流を挟んだ南側の尾根斜面に連続する134~161号墳。石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)よりも、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩く平天井のもの(畿内型A類)が主体となっている。

2024年2月18日(日)訪問。

*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。

(上が北)

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書』(以下『調査報告書』と略記)では小グループ分けは行われていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

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c-1支群

B支群南沿いの林道から、渓流に架かるコンクリート橋を南に渡る。渡ってすぐの林道から南西に入った所から、北向き斜面の東西130mに連続する134~141号墳。傾斜は比較的緩く、墳丘もかなり明瞭なので分かり易い。

 

134号墳 C-1支群の最西端。径14mで墳丘は良好。石材が散在。

西望                        墳頂

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

 

135号墳 径11.5m、封土の流失が顕著。石材が散在する。『調査報告書』ではーーー

天井石が抜き取られ、内部に土砂が堆積。側壁の一部が確認できるーーーとあるが、経年で更に埋まったのだろう。

北西望(左上が134号墳裾)

 

136号墳 径14m、墳丘良好。大きな石の下に隙間がある。

北西望                       羨道側の開口部

                          隙間から奥壁方面

墳頂に天井部が開口しており(縦横1mで高さは1.5m程?)、奥壁と側壁が覗ける。『調査報告書』にはーーー羨道長1.9m・幅1.1m、右片袖式で南東向きの玄室長2.83m・幅1.62m・高1.3m、側壁は割と大型石材でやや持ち送るが平天井。6世紀末葉とされるーーーと、ある。

*入室できそうな高さだが、71歳の身としては自重し、俯瞰のみ。

 

137号墳 径13m、墳丘良好。墳頂に天井部が開口(縦1m・幅1.5m程・床面から高さ2m弱)。

南西望                       北東望

*入室できそうな高さだが、ここも自重し自撮り棒で撮影。

『調査報告書』にはーーー羨道長1.8m・幅1.1m、南東向きで右片袖式の穹窿式玄室長2.8m・幅1.66m・高1.7m、天井石は4石で前側3石は階段状。6世紀後葉とされるーーーと、ある。

羨道(南東)側                    羨道方面

奥壁(北西)側                    奥壁

 

138号墳 径13m。天井部が滅失した石室が露出。

北西望

『調査報告書』にはーーー石室全長5.02m、羨道長1.6m・幅0.83m、南東向きの右片袖式玄室長3.42m・幅1.7m・高1.58m。玄室の奥壁・側壁はほぼ垂直で平天井、6世紀末葉ーーーと、ある。

 

139号墳 径12m、封土の流失が顕著。側壁らしき石材の一部が遺存。『調査報告書』にはーーー石室痕跡は、長2.6m・幅1.1mーーーと、ある。

西望

 

140号墳 径14m、墳丘良好。

南西望                       墳頂

南東側に石室完存。開口部は結構狭い。

南東向き、羨道長2.92m・幅0.82m、右片袖式の玄室長3.4m・幅1.34m・高1.1m、急な持ち送りだが平天井式で、天井石2石の内、奥壁側の天井は2.6mの大型石材。6世紀中葉~後葉とのこと。

 

141号墳 コンクリート橋を渡ってすぐ南西側。径10m、墳頂が削られている。東向きの石室石材の一部が遺存。『調査報告書』には長5m・幅1m程とある。

 

c-2支群

C-1支群の斜面上(南)側に、C-1支群とほぼ並行して連続する142~146号墳

 

142号墳 径15m、墳丘良好。墳丘に石材散在。

南望                        北東望

 

143号墳 径16m、緩やかな墳丘で良好。『調査報告書』にはーーー石室開口部は確認できるが土砂が埋没し内部詳細不明---とある。

陥没跡はあるが開口部らしき所は??

東望               墳頂北東望             陥没跡北東見下ろし

 

144号墳 径9.5m、西側が削平されているらしいが・・・よく分からない・・・?

東望

 

145号墳 径6m、封土の流失が顕著とだけの情報しかなく、よく分からない。

146号墳 径10m、封土の流失が顕著。墳頂が陥没し石室痕跡。

奥のピンク〇が146号墳なら手前側に145号墳があるはずだが・・・。 黄〇は146号墳墳頂の陥没

 

c-3支群

C-2支群の南東、比較的緩やかで幅広い尾根筋に立地する147~153号墳

 

147号墳 径11m。『調査報告書』にはーーー墳頂が削平され、天井石が抜き取られ内部に土砂が堆積。奥壁と側壁の一部が確認できるーーーと、あるが・・・?。

南東望 写真左下に側壁っぽい石材はある・・・・。

 

148号墳 径9m、墳頂は削られており、扁平な感じ。

東望               北望               墳頂南望

 

149号墳 径9.5m、墳頂が削られている。位置的には148号墳の南側。

西望                        扁平な墳頂



 

150号墳 径14m。園養山古墳群では、羨道・玄室が完存し、入室し易い、数少ない石室で、当古墳群で最大級。

東望                        北望

『調査報告書』にはーーー南東向きで、羨道長3.4m・幅1.24m、両袖式で、玄室長3.47m・幅1.63m・高2.1m、持ち送りは殆ど無い。奥壁は大型石材の2段、側壁3~4段、天井は平天井で3石構成(落下の1石を含むと4石構成)。天井以外の石材の表面は丁寧に加工されている。7世紀前葉とされているーーーとある。

両袖式は園養山古墳群では珍しい。

 

羨道

(奥から見て)右側壁                          左側壁

他の穹窿式石室と違い、平天井式で奥壁も巨石の2段積み。両袖式で石材の表面加工も丁寧。ヤマト王権の影響が強まり、横穴式石室の系統も畿内型A類に移行したようだ。

 

151号墳 径12m、墳丘良好。

西望

『調査報告書』にはーーー南東向き(調査報告書巻末の一覧表は「北東」と誤植?で、羨道長2.43m・幅1.05m・天井3石、両袖式で、玄室長3.02m・幅1.7m・現高1.85m。側壁3~4石構成の4段積み、奥壁石材は小ぶり。石材の表面は丁寧に加工されている。平天井で、天井石は割と大きな自然石が2石。7世紀前葉だろうーーーとのこと。

 

152号墳 径13m、封土の流失が顕著。

東望

天井が滅失するが、南東向きの玄室が露出(残存長3.6m・幅1.6m)。側壁はやや内傾するが、平天井と思われるとのこと。

北西望                       南西望

 

153号墳 径9.5m、東側は削平され、石室が露出。

南東望                       西望

ほぼ東向きの園養山古墳群では珍しい両袖式石室が遺存、羨道長1.2m・幅0.85m、玄室長2.36m・幅1.47m・高1.5m。持ち送りは急だが平天井。



c-4支群

東側の麓辺りにある154~158号墳。

 

154号墳 径9m、封土の流失が顕著。天井の滅失した南東向きの石室が露出。小型の無袖式で玄室長2.25m・幅0.86m・高0.7m。7世紀中葉とされる。

南東望                       北西望

 

155号墳 径8.5m、封土の流失が顕著。墳頂やや陥没。

南西望                       南望

*この南側に天井石らしき石材があるが・・・。

南望                        南西望

 

156号墳 径7m、155号と墳裾が接する。封土の流失が顕著で石材散在。

154号墳東側から東望(黄〇が156号墳)         南東望

 

157号墳 径8m、封土流失激しく墳形不明瞭。

南望                        南東望

 

158号墳 林道沿いの北東側にある。径9mだが林道で西半分が削平されている。

北西望                        南東望

 

c-5支群

C-1支群~C-4支群とは、かなり離れた南西側高所にある159・160号墳。体力の限界でパス。以下は『調査報告書』から引用していますが、経過年数を考えると・・・どんな様子か?

159号墳 径9m、封土流出顕著、墳頂陥没し、側壁の一部が確認できるらしい。

160号墳 142号墳から南西の尾根高所(標高差25m程・距離60m程?)。径9m、墳丘は不明瞭で、古墳状隆起の可能性もある。墳丘斜面に大型石材が露出するらしい。

c-6支群

C-1支群~C-5支群とは全く別の尾根(C-2支群から90~100m程南)にある。ここも体力の限界でパス。以下は『調査報告書』から引用。調査が及んでいないだけで、同じ尾根筋にもっとあるのかもしれない。

161号墳 径14m、封土流出顕著。天井石は滅失するが、南向きの石室で、右袖石は石材(幅0.2m・縦1m)縦積みとのこと。 

 

 

================C支群の探索経路===============

*あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

13時~14時半(上図黒矢印)
林道のコンクリート橋を南に渡ってすぐ南西側にある141号墳を起点として、連続する140号墳から134号墳まで=C-1支群を西進。C-2支群の142号墳に移り、146号墳まで下る。そこから、南東方向の(少し分かりにくい)147号墳に移り、148→149→150→151・152→153号墳。最後に154~158号墳(155~157号墳は分かりにくい)でC支群終了。

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全体および他支群は下記で。

園養山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

園養山古墳群B支群(後半)

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。

B支群は、A支群の南側で、中腹からJR草津線側の麓まで、東西350m程の範囲に密集し、60~133号墳

石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)と、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩く平天井のもの(畿内型A類)が混在する。

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B支群後半 100~133号墳

2024年2月18日(日)、3月11日(月)訪問。

*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。

(上が北)

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『調査報告書』では小グループ分けはされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

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B-4支群

西から東に100~109号墳。102号墳以降は酒人さこうど林道と渓流の間、崖の様な斜面に連続する。

 

100号墳 支群の最西端、二股に分かれた林道の中洲のような尾根に101号墳と並ぶ。径8mで墳丘は良好。墳頂付近に開口部がある。

墳頂西望                      北望見上げ

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

開口部北望

『調査報告書』ではーーー羨道長2.3m幅0.95m(9.5とあるが誤植だろう)、当古墳群では珍しい両袖式の玄室長2.7m・幅1.75m。平天井で石材はかなり大きいーーーとある。

*写真の日付表示が「2025.03.11」となっていますが誤設定、「2024.03.11」正当です。

 

101号墳 径10m、墳丘封土の流失が顕著。石材散在。

墳丘北東すぐの木に、注連しめ縄が張ってある(割とまだ新しい)。

西望               北東望

 

102号墳 林道分岐の東横(林道の南側)。径8.5m、墳丘封土の流失が顕著。浅い溝状の石室跡に側壁石材の一部が残る。 

西望                        南望(向こう側が渓流崖)

 

103号墳 径12.8m、墳丘封土の流失が顕著。天井石が滅失し、土砂が流入するが南向きの石室側壁の一部が遺存。羨道長0.9m・幅1.05m、右片袖式の玄室長2.9m・幅1.5m。

東望                        西望

 

104号墳 径6.7m、墳丘封土の流失が顕著。南東向きの石室は天井石が滅失し、土砂が流入、玄室長3.1m・幅1.52m。

墳頂西望                       西望俯瞰

(奥から見て)右側壁と奥壁接合部   奥壁               左側壁と奥壁の接合部

 

105号墳 径10.5m、墳丘封土の流失が顕著。天井部に隙間があり内部が覗ける。

林道から南望                    墳頂東望=墳頂の隙間 

隙間俯瞰

『調査報告書』ではーーー内部は完存しており、羨道長0.9m・幅0.76m、南向き玄室長2.55m・幅1.45mーーーとある。南側斜面にも開口部があるが内部は埋没している。

渓流対岸から北望(黄〇が開口部)

 

106号墳 径9.8m、墳丘封土の流失が顕著。墳頂付近南面に石材が露出。

林道から南望                    渓流対岸から北望

 

107号墳 径10m、北側は林道で削られている。墳頂が陥没。

林道から南望                    渓流対岸から北望

後で写真を見ると墳頂辺りに開口部?らしき穴が見える。林道側から108号墳との間を行けば確認できたかも?

 

108号墳 径10m、北側は林道で削られている。墳頂付近南面に石材が露出。

林道から南望                    墳頂東望

墳頂下の北面に、大きめの石材が見える。

渓流対岸から北望                  石材望遠

 

109号墳 林道から南に渡るコンクリート橋の西脇。径10m

林道から南望                    墳頂南側に孔                 

南側の孔             墳頂東望(右側=北側赤〇に開口部)  渓流対岸から北望  

北望

 

B-5支群 

林道から西側の緩斜面に密集する110~133号墳

 

110号墳 径10m、墳丘良好。露出天井部に隙間。玄室は完存してそう。

北西望見上げ                    墳頂から東望見下ろし(黄〇が踏切)

墳頂北望                      石材隙間

 

111・112号墳 『調査報告書』には、いずれもーー径5.5m、墳丘の流失が顕著。石材散在ーーとしかない。北側に浅い谷があり、林道に近く、位置的にはこの辺なのだが?

西望                        北西望

 

113号墳 径14m、天井石が一部露出。

北西望見上げ(黄〇は石材)              南東望見下ろし(黄〇が114号墳)

 

114号墳 径14.2m、南側が林道で削られている。

林道から北西望(右下の石室は118号墳)         118号墳頂辺りから西北西望

墳頂北西望                     西望

『調査報告書』ではーーー天井石が抜き取られ内部に土砂が堆積。奥壁と側壁の一部が確認できるーーとあるが・・?埋まっている。

 

115号墳 径11.5m。僅かな高まりがある程度。

『調査報告書』ではーーー丘陵緩斜面にあり石材等確認できないーーとある。113・114・116号墳との位置関係ではこの辺り。

北望                        北西望

 

116号墳 径13.5m、91号墳の東下。

北西望                       墳頂東望

 

117号墳 径11.5m。116号墳と墳裾を接するらしいが、墳丘そのものがハッキリしない。『調査報告書』ではーーー天井石が抜き取られ墳丘中央部が陥没するーーとある。

南望               墳頂南西望             陥没跡

 

118号墳 林道から南に渡るコンクリート橋の手前。林道に面して開口するので、B支群では一番分かり易い。径5.2m。羨道は林道で削られているが幅0.88m、右片袖式で穹窿式の玄室は完存し、長2.42m・幅1.5m・高1.95m。袖部は3段積み。

西望(左赤〇がコンクリート橋)

北望

                     右下隅のは石材でなく放置された発泡スチロール

 

119号墳 118号墳石室の北東斜め上。径10.5m、墳丘の流失が顕著。南向きの玄室奥壁と側壁一部残存、幅1.6m・高1.4m。

 

120号墳 径17m、B-5支群では最大級の大きさ。墳頂は削られているが、良好な墳丘。石材散在。北~東裾に幅2.5m・深さ0.8mの周濠跡。

南西望                       東望

 

121号墳 径11.8m、墳丘良好、墳頂僅かに陥没。

南西望                       東望

 

122号墳 127号墳の北西。径6.8m。ほぼ扁平。

西望                        北望

*122号墳の東側が深く陥没。ここ2~3日雨が降っていないのに、小さな池の様に水が溜まっていた。

 

123号墳 径9.5m、墳丘の流失で平坦。よく分からない・・・。

122号墳から北望                  南西望

 

124号墳 径8m、墳丘の流失で平坦。123号と墳裾が接する。

 

125号墳 径13m、北西裾に周濠跡、墳頂陥没部分に南東向きの石室露出。玄室長3m・幅1.75m・高1.5m。

南望                        墳頂南東望

奥壁側北西望                    側壁と奥壁接合部俯瞰

 

126号墳 径14m、西裾に浅い周濠跡。天井部分の滅失した、南向きの玄室が遺存、長3.45m・幅1.7m・高1.4m。

南望(羨道方面)                   北望(奥壁方面)

(奥壁から見て)右側壁奥壁側             右側壁羨道側

右側壁と奥壁接合部

 

127号墳 林道沿いで、径14m、南側が林道で削られ、削平面に石材遺存。

『調査報告書』ではーーー石室・石材は確認できないーーとあるが、経年で土砂が流されたのだろう。

 

128号墳 径12.8m。『調査報告書』にはーーー天井石が抜き取られ内部に土砂が堆積ーーーとあるが、墳頂が若干陥没する程度。

北西望見上げ                    墳頂北西望


129号墳 径12m、墳丘良好、墳頂に南向きの玄室長3.1m幅1.7m程の石室下部が遺存。

*『調査報告書』では石室実測値は128号墳の欄に記載されているが誤植だろう。

南東望                       北望

(奥壁から見て)右側壁南側              右側壁北側

右側壁と奥壁の接合部                奥壁

 

130号墳 径8.8m石室跡のみ。129号墳と墳裾が接する。

林道から西望見上げ        南東望              墳頂西望   

 

131号墳 林道のカーブ角。径10m、林道で墳丘東側削平。削平面に石材。

 

132号墳 林道カーブの北手前。径13.2m、林道で東側削平され、削平面に右側壁と奥壁の一部遺存。羨道長2.1m、玄室長2.8m・現高1.2m。

 

133号墳 径10.2m、林道で東側削平、側壁の一部遺存。

 

================B支群の探索経路===============

*あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

1日目 B-1→B-2→B-3支群(81~94号墳)(下図緑矢印)
2日目 B-3(95~99号墳)→B-5→B-4支群(下図青系矢印)

*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

 

1日目 12時~16時(上図緑矢印)
A-13支群の最低所58号墳から浅い谷を南進し74号墳へ(75号墳は2日目)。そして73号墳(墳頂に石室痕跡あり)から連続するB-1支群を、最高所の60号墳まで登る。(厳密には、61号墳はB-1支群の尾根筋から少し南にズレ、60号墳はより高所の別の尾根にある。) 61号墳に戻りB-2支群の76号墳(真北に61号墳開口部が見える)に移る。分かりにくいB-2支群を経由して林道を東に下って行く(77~80号墳は少し分かりにくい)。二股に分かれる林道沿いの82号墳(分かりにくい)→81号墳(石室奥壁が露出)からB-3支群の尾根筋を83~91号墳まで下る。92・93号墳は89・90号墳の北斜面途中にあるがチョット分かりにくい。ここで1日目終了。
2日目 7時半~12時(上図青系矢印)
JR草津線の小さな踏切を渡り酒入さこうど林道に入る。園養寺参道への分岐辺りから112・111号墳、そして75号墳に寄り、林道に戻る。林道を南進し、林道西上の130号墳、林道沿いの133→132→127→118号墳。林道を西進し、95号墳から99号墳、そしてB-5支群内をグルグルっと。また林道に戻り、南に渡るコンクリート橋の脇にある109号へ。B-4支群は林道と崖下の渓流との間にあり、急すぎて墳丘は辿れない。まずは109号墳から渓流に降り、対岸を西進しながら109~105号墳を北望する。また109号墳に戻り、今度は林道側から109~105号墳を確認。林道に近い103号墳(石室の一部露出)の墳頂から104・105号墳の墳頂を確認。103号墳頂に戻り西横の102号墳。最後に林道が二股に分かれた中洲のような尾根にある101・100号墳でB支群終了。

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全体および他支群は下記で。

園養山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary