OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

園養山古墳群D支群

園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。

 

D支群

A支群の西側、北向きの斜面に所在する162~190号墳

D支群の石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)と、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩く平天井のもの(畿内型A類)が混在する。2024年3月10日(日)訪問。

*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。

 

(上が北) 右下の🔴が園養寺本堂。本堂周辺にはA支群が分布する。

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工

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JR草津線三雲駅から約1km(園養寺の北650m)、プラスチックリサイクル工場の西側に林道への踏切があり、この林道を340m行くとD支群の北端190号墳に到る。

林道入口の踏切 南西望               林道起点(かなり整備されている)

*写真の日付が「2025.03.10」となっていますが設定ミス、2024年です。

季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。

*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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*『調査報告書』では小グループ分けはされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)

実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(巻末に記載)を辿っています

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D-1支群 

支群東側の尾根筋、162~164号墳

 

162号墳 径10m、墳丘は良好。墳頂に天井石が一つ露出。

東北東望                      西望

 

163号墳 径13m、封土の流失が顕著で石室が遺存。東向きの石室で、前壁部が開口。

西望

玄門~羨道は完全に埋まっている。玄室長3.05m・幅1.65m・高1.25m、持ち送りは急。『調査報告書』にーー羨道長3.4mーーとある。

 

164号墳 尾根筋の最下部(北端)。径12.5mで墳丘良好。「調査報告書」にはーーー

石室開口部が確認できるが、土砂が堆積し内部不明ーーーとあるが、それらしい痕跡がない。位置的には尾根筋最下部なのだが・・・?

南望見上げ                     北望

【番外】 163号墳~164号墳の間の尾根筋に、墳丘っぽい所が2ケ所あったが・・・?

163号墳のすぐ下                  その更に下(164号墳の上)

 

D-2支群

D-1支群から谷筋を挟んだ西側の幅広の尾根。ポツンと離れた最高所に位置する165号墳と中腹尾根筋に集まっている166~174号墳

 

165号墳 D-1支群の162号墳から谷筋を南西に越えた、崖のような急斜面にある。

径10.5m。東向きの石室が開口する。

*相当危険なのでパスしてもいいかも・・・。

開口部西望 見上げ                 開口部東側の急斜面

羨道長2.3m・幅0.96m、右片袖式の玄室長3m・幅1.85m・高1.85m。石材はかなり丁寧に表面加工されている。羨道から奥壁まで各側壁の横目地が整然と通る。それに比べ奥壁は小型~中型の石材の9~10段積みでやや雑然としている。

羨道

玄室                        開口部方面

 

166号墳 径8.5m、封土の流失が顕著。墳丘中央部が陥没。

南東望見上げ                    墳頂西望

 

167号墳 径9.5m、封土の流失が顕著。墳頂に石材散在。

南東望見上げ                    墳頂北東望

 

168号墳 径7.2m、封土の流失が顕著で石室が露出。天井部は滅失(内部に崩落)するが、羨道長2m・幅0.85m、右片袖式の玄室長2.35m・幅1.4m・高1.3m

北東望                       南西望

 

169号墳 径12.5m、墳丘は良好。北東向きの石室が開口。

東望                        南望

『調査報告書』ではーーー羨道長3.55m・幅1.13m。両袖式の玄室長3m・幅1.82m・高2m、天井は3石構成で水平に架構されている平天井、6世紀後葉築造と思われるーーーと、ある。両袖式園養山古墳群では珍しい。

 

170号墳 径8.5m、封土の流失が顕著。墳丘中央がやや陥没している。

東望                        北望

 

171号墳 径8.5m、封土流失が顕著で石室が露出。奥壁上部が崩壊し開口。

南西望見上げ                    現開口部

羨道長2.25m・幅1.1m、玄室長3.1m・幅1.6m・高2m程、唯一左片袖式で持送りが急。

羨道方面

奥壁                        羨道(羨道天井部が落ち込んでいる)

右側壁俯瞰                     左側壁俯瞰

 

172号墳 径8m、封土の流失が顕著。石室の側壁石材が遺存し露出している。

東望                        北望

 

173号墳 径10m、墳丘は良好。墳頂は陥没し、石材散在。

北望

 

174号墳 径8.5m、封土の流失が顕著で平らな感じ。

北西望見下ろし

 

D-3支群

南北に伸びる尾根に175~185号墳がほぼ一列に連続する。

175号墳 最高所。径7.2m、北側が削られている。墳頂陥没。

南望                        陥没部分



176号墳 径14m、墳丘は良好。天井石材が露出

南南西望。                     墳頂(石材隙間から内部が見えたかも?)

 

177号墳 径13m、封土流失が顕著で、南東向きの石室が露出。

北東望                       北西望(天井石が落ち込む)

羨道長1.2m・幅0.98m、右片袖式の玄室長3.07m・幅1.75m・高1.6m。奥壁は横長石材の2石構成で4段。大きな天井石が床面に落ち込んでいる。

奥壁                        開口部方向

右側壁(奥から見て)                 左側壁     



178号墳 177号墳のすぐ下。径7.2m、封土の流失が顕著。

墳頂北望

「調査報告書」にはーーー天井石が抜き取られ石室内に土砂が堆積するーーーとある。

【番外】この墳丘北東下斜面(下記179号墳の南西上方)に巨石があり、石室石材の様にも見えるが「調査報告書」にそれらしき情報はない。内部に扁平な石材が3個見えたが、楣石にしては大きすぎるし、位置と向きが・・・?

西南西望

 

179号墳 178号墳の北東下斜面にある。径10m、封土流失が顕著で高まりは僅か。天井石が露出する。

南東望

北西望

隙間から内部が見え、何とか石室が遺存しているようだ。

奥壁左半分            奥壁右半分             奥壁と左側壁接合部

 

180号墳 179号墳の南東すぐ。径5m、封土流失が顕著で僅かな高まりしかない。石材が散在する。

 

181号墳 径12.3m、墳丘は良好、天井石が滅失しているが東向きの石室が露出。

西望   東望

右側壁(奥から見て)                 左側壁

『調査報告書』ではーーー羨道3.8m・幅1.38m。右片袖式の玄室長3.2m・幅2.1m・高2.4m、穹窿式だが持ち送りは比較的緩く、平天井だった模様。6世紀末の築造と思われるーーーと、ある。

 

182号墳 径11.5m、墳頂部が削平されている。小さな石材が散在。

墳頂南望                      北望

 

183号墳 径10.5m、墳頂部が削平されている。石室石材が散在。

南望見上げ                     墳頂北望

 

184号墳 径10.8m、墳丘は良好。陥没跡があるが内部は埋没。

南西望見上げ                    墳頂

 

185号墳 D3支群の一番下、尾根の北端。径8.5m、墳丘は良好。

墳丘南望                      墳頂北望見下ろし(黄〇が露出天井石)

天井石が露出するが内部は埋没。

D-4支群

林道の南上斜面に散在する186~190号墳

 

186号墳 188号墳から185号墳に向かう浅い谷筋の中間地点から東上。周辺には墳丘っぽい高まりや石材がゴロゴロある。ポツンと離れた急斜面にあるようだが、墳丘のみで、墳丘状隆起の可能性もあるとのことなのでパス。「調査報告書」ではーーー径6.5m、墳丘は不明瞭、墳頂は陥没し石材散在ーーーとある。

 

187号墳 188号墳から浅い谷を西北西に渡った所。径9.3m、封土の流失が顕著。

188号から北西望                  北西望

南東向きの石室が露出する。玄室長2.85m・幅1.75m。

北西望                       現開口部南東望

 

188号墳 187号墳から30m程東南東。径8.5m、封土の流失が顕著で殆ど平らな感じ。墳頂に石材散在。

南東望                       南西望

 

189号墳 径5.5m、明確な特徴はなく、ここかどうかよく分からない。林道で東側が削平され、墳丘は不明瞭。

林道から南望。東側は大きな窪地。          墳頂東望

 

 

190号墳 林道の三叉路。径9.3m、林道で東側が削平されている。

右側が林道本線。左側は先で行き止まり。       開口部

北西向きの石室右側壁が崩落し僅かに開口している(上30㎝・下20㎝)

『調査報告書』ではーーー羨道幅0.8m、両袖式の玄室長3.4m・幅1.43m・高1.3mーーーと、ある。

 

===============D支群の探索経路================

*あくまで私の辿った経路で、色んな経路が考えられます。

林道(青矢印)→D-4支群→D-3支群→D-2支群→D-1支群

右が北



*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工

林道を340m行くと、林道脇にあるD支群の北端190号墳が、三叉路角にすぐ見つかる。更に少し林道を行くと大きな窪地の西側に隣接する(多分)189号墳がある。なんとかここを登り南に行くと、扁平ながら墳丘らしき188号墳がある。ここから浅い谷の西北西向こうに187号墳の石材が見える。ここで改めて先程の墳丘らしき所が188号墳と確信。(186号墳はパス) 続く尾根筋北端の185号墳はすぐ分かる。ここから連続するD-3支群。179・180号墳は少し分かりにくいが、D-3支群最高所の175号墳でUターンし、東側の幅広い谷筋を179号墳横まで下る。ここからD-2支群の171号墳に上がる。石室が露出するので正否が確認できる。

以下密集するので分かり易い=170号墳→172号墳(側壁石材露出)→173号墳→169号墳(石室完存)→174号墳→168号墳(天井滅失石室露出)→167・166号墳。次の165号墳は最難所。166号墳東側の分かり易い谷筋を登る(そこそこ急)。谷筋の最高所(東にD-1支群の尾根が見える)辺りで、西にあるはずの165号墳だが、尾根で見えない。その尾根を西に廻り込むと上方超急斜面に165号墳がある(危険なのでパスしてもいいかも)。谷筋の最高所から東にD-1支群の162号墳(天井石1個露出)がある。その下に163号墳(石室遺存)墳丘っぽい高まりを2つ越えてD-1支群最下所の164号墳で終了。なお、164号墳は最下所といっても、林道までは結構距離があり、目立った目印もない。とにかく北~北西方向を見失わず下って行くと林道のどこかに出るはず。私は幸いにも190号墳に出た。

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全体および他支群は下記で。

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