園養山おんようざん古墳群は、滋賀県湖南市三雲にある滋賀県下でも有数の古墳群。現在190基確認されている。
B支群は、A支群の南側で、中腹からJR草津線側の麓まで、東西350m程の範囲に密集する60~133号墳。
石室は、渡来系の持ち送りの急な穹窿きゅうりゅう式のもの(畿内型B類)と、(この地域では6世紀後葉以降造営された)持ち送りが緩い平天井のもの(畿内型A類)が混在する。
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B支群(前半)60~99号墳
2024年2月17日(土)・18日(日)訪問。
*山中の古墳散策は、草深く、蚊の多い時期は厳禁。軍手・コンパス・懐中電灯等必携です。
(上が北)
*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P158-図44を編集・加工
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分布図等詳細は、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。
全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは(調査当時の)土砂堆積床面からの高さです。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。
*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。
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*『調査報告書』では小グループ分けされていませんが、便宜上近接する2~数基ずつの小グループに分けて、号数順に掲載します(小支群分けは筆者の独断です)。
実際に散策した順番は、号数順ではなく、目印の明確な所を起点として、連続して巡れるルート(「B支群後半」の巻末に記載)を辿っています。
園養山古墳群B支群(後半) - OSAKA-TOM’s diary
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B-1支群
B支群の一番北、300m弱の長い尾根に一直線に並ぶ60~75号墳。
60号墳 B-1支群の尾根最高所。径13.5m、墳頂に開口部、天井石が落込む、南向きの玄室長3m程・幅2m・高1.5m程。
南望 北望
*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。
*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。
小振り石材5~6段積み、持ち送りが急な穹窿式。
(奥から見て)右側壁との接合部 奥壁 左側壁との接合部
61号墳 径8m、墳丘は不明瞭。羨道部はほぼ全壊(幅1.23m)、南向きの開口部高2m強。
西望 北望
「調査報告書」ではーーー右片袖式の玄室長3.6m・幅2.1m・高2.6m。持ち送りの緩い穹窿式で平天井に近い(天井は3石で奥壁側が1段高い)。6世紀末と思われるーーーとのこと。
62号墳 径11m、墳丘は緩やか。墳頂に玄室が露出。
西望見上げ 墳頂東望
南向きの右片袖式の玄室長3.1m・幅1.8m・高1.08m、穹窿式。幅1m程の羨道は大半埋没している。
奥壁方面北望 奥壁
羨道方面南望 前壁
63号墳 径6.5m、墳丘は封土の流失が顕著でほぼ平坦、石材散在。
64号墳 径8m、墳丘の封土の流失が顕著、石室天井石が滅失し、土砂で埋没するが、隙間から側壁・奥壁の一部が確認できる。
南西望(黄〇が石室痕跡) 隙間北望
65号墳 径10.5m、埋没石室跡が僅かに遺存。『調査報告書』ではーーー墳丘封土の流失が顕著。石室天井石が抜き取られ、土砂が堆積する。奥壁と側壁の一部が確認できるーーーとあるが・・・?。
西望 南西望
66号墳 径10.5m。南向きの埋没石室が遺存。奥壁・側壁の一部が確認できる。長3m・幅1.5m。
西望 墳頂南望
西望 北望
67号墳 径12mで墳丘良好。墳頂に10㎝程の隙間があるが、内部はよく分からなかった。
南西望 墳頂の隙間
『調査報告書』ではーーー南東向きの穹窿式・右片袖式の玄室が覗ける(長3.15m・幅1.98m・高1.7m)ーーーとあるので、南東側にもう一か所、覗ける隙間があるのだろう。
68号墳 径11m墳丘良好、石材散在。
南望 墳頂東望
69号墳 径10m、墳丘の封土の流失が顕著。天井石が滅失した南東向きの石室が遺存し奥壁部分が見えるが、かなり埋没。
遠景西望 墳頂西望
北西望(奥壁方面) 奥壁俯瞰
70号墳 径9m。墳頂に陥没跡、石材一部露出。
北西望 墳頂東望
71号墳 径10m。扁平墳丘、墳頂に陥没跡、石材散在。
西望 墳頂南西望
72号墳 径13m、緩やかな墳丘。
南西望 墳頂
73号墳 径11m、平坦な墳頂に石室痕跡が確認できる。
南西望 北望
内部は殆ど埋まっている。
74号墳 径7m、墳丘の封土の流失が顕著。石材脇が陥没。
遠景南西望(58号辺りから) 墳頂南東望
75号墳 73・74号墳とは少し離れており、B-1支群の東端。径9m、墳丘の封土の流失が顕著らしいがよく分からなかった。
位置的には、JR草津線の踏切を西に渡ってすぐの、酒人さこうど林道分岐辺りから西方向に緩やかな斜面を上がった所なのだが・・・?。
JR草津線の酒入林道への踏切 林道分岐(白矢印は園養寺参道へ)
B-2支群
B支群最高所辺りの緩斜面にある76~80号墳。明確な特徴のない支群なので、周辺との位置関係から類推するしかない。
(上が北)
*「調査報告書-」P158-図44を編集・加工
76号墳 径9m、真北に61号墳の開口部が見える。
76号から見た61号(黄〇) 東望 南西望
77号墳 径11m、『調査報告書』ではーーー墳頂が削平されているーーーとあるが、墳丘自体が削平されているような???位置的には西に76号墳が見えるのでこの辺りのはずだが・・・。
西望(右奥の高まりが76号墳) 南西望
78号墳 林道の終点(下記80号墳の先)。径10m。石室跡が陥没する。
【番外】
B-2支群78号墳から西に少し上がった緩斜面に墳丘っぽい高まりがあった。
西望
その北側に開口部らしき穴が見えた。近寄ってみるとまさに石室。墳丘は殆どない。
北望
「調査報告書」の古墳位置図には載っていない。「調査報告書」ではーーー
1971年(S46)滋賀県教育委員会の調査では121基が確認された。1986年(S61)、当時の甲西町教育委員会の調査では129基が確認され、それをもとに2005(H17)・2006年(H18)甲賀市教育委員会が調査の結果、新たにD支群等が発見され、190基確認されたーーとのこと。
今回も「これ古墳じゃないか?」と思われる所が数々あったが、このように明らかに石室と確認できる所は珍しい。おそらく周辺にも幾つかあるのだろう。
79号墳 径8m、墳丘は不明瞭(と、いうかほぼ平)で古墳状隆起の可能性もあるとのこと。
遠景西望 近景西望
80号墳 径11m、林道沿い(林道のほぼ終点)。ただ「調査報告書」にはーーー墳丘の保存状態は良好ーーーとあるので違うかも・・?しかし林道脇にはここしかないが・・。
南望(黄線が林道) 南西望
*黄線の林道は下記B-3支群南側にずっと繋がっている。
80号から東方向のB-3支群81号墳に下る林道(黄線)
*81号墳に至る林道の中間辺りに、「調査報告書」の古墳位置図には無い分岐?があった。ただ特徴のある81号墳や100号墳との位置関係からしてB支群との関連性はなさそうだ。
西望 北西望 上から北東望
B-3支群
81~99号墳。東西に通る林道の北側、緩やかな尾根筋に連続して密集する。
81号墳 径9.5m。墳丘封土の流失が顕著。墳頂に天井石の滅失した南東向きで右片袖式の石室下部が遺存(長3.16m・幅1.83m)。羨道は林道で削られている。
西望 北東望
82号墳 径7m、81号墳に接するが墳丘はほぼ全壊、墳頂部にあたる部分がやや陥没。
西望=水色〇82号(黄〇81号) 陥没(西望) 北望(桃〇83号・赤〇84号)
83号墳 径9m。すぐ東に84号墳がある。
北東望
84号墳 径10.8m、墳丘は良好。石室の上下が開口。上段の開口部から石室内が覗ける(下段の隙間はかなり狭い)。
東望 北西望
上段の開口部
右片袖式の玄室長2.92m・幅1.7m・高2m程、側壁がかなり持ち送る穹窿式、奥壁の石材表面加工が丁寧。
85号墳 径14m、墳丘は良好。天井石の滅失した石室が露出。
東望 北西望
羨道長3m・幅0.9m、右片袖式の玄室長3.56m・幅1.85m・高1.5m程で持ち送りが急。
86号墳 径9.2m。南側は削られているらしい。墳頂がやや陥没。
東望 墳頂
87号墳 86号墳の南に接する。径6.5m、墳丘封土の流失が顕著で、東側は削られている。墳頂に僅かに石室石材が遺存。
南西望
88号墳 径17mの大型墳丘は良好。天井部分に僅かな隙間。『調査報告書』ではーーー持ち送りが急な穹窿式ーーーとのことだが、内部は撮影できなかった。
89号墳 径12mで墳丘封土の流失が顕著。南東向きの玄室跡(幅1.6m)が遺存。
墳丘東望 石室部東望 石室跡南西望
北西望 玄室石材
90号墳 径15.5mと比較的大きいが、墳丘封土の流失が顕著。深く陥没した部分に玄室跡(幅1.5m)が露出。
東望 北西望
西望
91号墳 径15mと比較的大きく、墳丘良好。墳頂が陥没し僅かに石材が残る。
東望 西望
92号墳 径9.5m。89・90号墳の北斜面。墳丘封土の流失が顕著。石材散在。
90号墳から遠景望遠(北西望) 近景西望
93号墳 径8m、墳丘封土の流失が顕著。『調査報告書』の93号墳欄にはーーー天井石が露出、石室内に石材崩落ーーーとあるが、経年で埋まったのか?上記の92号墳の様子の方が、それっぽいが・・・。
北西望見下ろし
94号墳 88号墳の墳丘南面、元は径7mだったらしいが、墳丘は無く、南西向きの石室の後部のみ遺存。『調査報告書』ではーーー全長3.6mで無袖式の小型玄室は幅0.85m・高1.1m。確認できる天井石2石の内、前側は一段低い。7世紀に入ってからの築造と思われるーーーとのこと。
北望
95号墳 径8.2m、墳丘封土の流失が顕著。墳頂が陥没。
林道から北望(黄〇) 陥没(赤〇) *後方に88号墳
96号墳 径11m、墳頂の木の根元に石室の隙間がある。内部は完存の模様。
東望 南望(下に林道) 北望
97号墳 径6mで墳丘は不明瞭、石材が散乱。
北東望
98号墳 径8m、墳丘封土の流失が顕著。やや陥没している。
北東望 北望
99号墳 径8.8m、墳丘封土の流失が顕著。陥没部分に一部に石材が見える。
北東望
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全体および他支群は下記で。