田中山の西麓、野洲やす中学校の東側に福林寺跡磨崖仏があり、この辺りに10基以上の福林寺古墳群がある。6世紀後半~末頃の築造。2024年11月13日(水)訪問。
古墳群が福林寺跡磨崖仏周辺に分布するーーというか、古墳群の石材に室町時代初期に磨崖仏が彫られたと考えるべきだろう。
滋賀県野洲市マップ(以下『マップ』と略記する)に分布状況が掲載されている。
中学校の東側に遊歩道が南北に通る。福林寺跡磨崖仏への進入口が遊歩道途中にある。
*9月下旬〜11月上旬の松茸狩シーズンは入山禁止とのこと。
進入口東望(紐で結束されているだけ)
*写真は2024年11月。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。
進入口から60m地点の道標 90m地点の道標
この道標以外に特に目立った目印が殆どないので、位置関係がよく分からない。とりあえず古墳かな?と思えた所を掲載します。
福林寺-1号(見つかった順に「福林寺-〇号」と表記)
90m地点の道標から1分程右手(南)辺りだったかも・・・?(記憶が曖昧)
ピンクテープがあり、抉れた部分に僅かに石組みのようなものが・・・。
道標の左(北)側は石材が周辺にゴロゴロあって、石室石材の見分けがつかない。
福林寺-2号
道標の左(北)側には摩崖仏は無く、大きめの石材やマウンドが散在する。ここは斜面に石材があり、古墳かどうか判別できないが・・・。また、グルグル回っているので位置関係がよく分からない。
福林寺-3号
半分削平された石室跡に見えないでもないが・・・。
福林寺-4号
ここも削平された崩壊石室跡に見えないでもないが・・・。
福林寺-5号
ここだけは明らかに石室と断定できる(帰宅後4号墳と判明)。
崩壊した奥壁部分が開口している。玄室長4m・幅2m程。
羨道は完全に埋まっている。
開口部見返り
本来の開口部側。
福林寺-6号
5号のすぐ北側の墳丘。 (下の写真の黄〇が5号=正式には4号墳)
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帰宅後、古墳群の正式な号数が分かった。しかし「福林寺-5号が正式には4号墳」としか特定できなかった。福林寺-6号は位置関係からして正式には5号墳と思うが・・・?
なお、2021年11月に2号墳と3号墳の発掘調査説明会があったようだ。
福林寺古墳群(野洲市)地元説明会配布資料(2021.11.13) - 滋賀県文化財保護協会
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福林寺跡磨崖仏
60m地点の右(南)側。 小川を越えた所にある磨崖仏北面 西面
90m地点道標と案内。
野洲市観光物産協会の現地説明板には以下の通りある。
ーーーこの辺りは「堂山」といわれ、中でも入口より約50m進んだ右手奥には、岩に平肉彫りされた約45cmの地蔵立像が13体ある。また、一番見事な磨崖仏は如来像2体と観音立像1体が刻まれていて、特に観音立像は最も美しい姿をしているといわれ、室町時代初期の作品である。ほかにもたくさんの磨崖仏があったとされるが、大正9年の調査報告書に「近年コノ礎石ニ彫刻セル仏像ヲ割取ラントセルモノアリ」と書かれている。しかし当時すでに仏像の大部分は、大阪方面の富豪の庭に持ち去られたといわれ、いまに残る一番見事な磨崖仏もノミのあとが痛々しく残っているーーーーーーーーー云々
90m地点東上の小磨崖仏群