高山古墳群は滋賀県甲賀市水口みなくち町高山にある。200m程北西側には百合野古墳群、その400m程北側には岩坂南古墳、更にその300m程北側のJR草津線の線路すぐ西横に岩坂古墳群がある。2024年3月18日(月)訪問。
水口盆地南西麓の古墳群北側
*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P5-図4「水口盆地南西山麓の古墳群の位置」を編集・加工
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古墳群の分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。円墳墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお「調査報告書」は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしています。なお、同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。
*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。
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この「調査報告書」については、下記甲賀市HPを参照下さい。
また、この「調査報告書」を所蔵する大学の図書館は下記で検索下さい。
CiNii 図書 - 甲賀の横穴式石室 : 後期古墳群調査報告
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なお今回の訪問にあたり、高山古墳群の掲載されている下記のブログを参考にさせて頂いたが、結構以前の様で、2024年3月現在とは、かなり様相が異なりました。
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高山古墳群
県道4号線と住宅地に挟まれた東西600m、南北400mに位置し23基が確認されている。
*「調査報告書」P28-図22「高山古墳群 位置図」を編集・加工
県道4号線南沿いに「右笠山神社道」の石標が立つ。その脇道を南へ240m行くと、古墳群の所在する丘陵に登るつづら折りの道がある。上図の右下赤〇が進入口。
北西望(石標から南へ) 進入口南望
南西望(つづら折りの道へ) 北東望(ネットが張られているが持ち上げれば通れる)
*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。
*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。
以下号数順に掲載します。
*実際に巡ったのは進入口から隣接する所を辿っています(巻末に掲載)。
1号墳 つづら折りの道を登り切る手前のカーブ突き当りにある。径14m、墳丘南側がその道で削られている。
北望
奥の茂みの中に、南東向きの石室の前壁部分上部が開口。開口部は30㎝程しかない。
羨道は幅1.18mだがほぼ埋没する。玄室は完存。(右の写真の白い点は差し込んでいる光)
「調査報告書」ではーーー両袖式の玄室長3.32m・幅2.5m・高2.25m。側壁の持ち送りが急な穹窿式。天井は奥壁側の幅1.7m、天井石は3石構成で、水平に架構されており、奥壁側の1石目の長さは1m、2・3石目は各0.8mーーーとある。
2号墳 1号墳のすぐ北側の道沿い。径9.7m、林道で西側が削られ石室が露出。
北望
羨道側の石材 俯瞰(隙間内部は埋まっている)
天井部のアチコチに隙間がある。 ↓奥壁上部の隙間
南東向きの石室奥壁付近が遺存する。隙間から奥壁等が覗ける。寸法は不明。
3号墳 2号墳に向かう道の左側(西側)斜面にある。墳頂に小屋がある。径13.5m、道から開口部が見える。
北西望 南西望
石室は完存するらしいが、詳細不詳。現在は開口部自体が埋まっている。
4号墳 2・3号墳から林道を40~50m北方面に上がった空地に、もう一つ小屋がある。
林道分岐北望(左=青矢印は3号墳頂の小屋へ) もう一つの小屋(白矢印が4号墳方面)
その小屋の北東方面に小さな墳丘が見える。
径9.5m、墳丘は良好で、羨道は崩壊しているが、南東向きの玄室は完存する。
北西望(黄〇が開口部)
右側壁(赤線の左)と奥壁 左側壁
「調査報告書」ではーーー右片袖式の玄室長2.15m・幅1.95m・高さ1.58mで、側壁・奥壁は小型石材で、持ち送りが急な穹窿式。天井長1.84m・幅0.8mで、3石構成だが、前壁側の3石目が0.25m程低く架構されているーーーと、ある。
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*あるブログで4号墳が「東屋の奥の林の中・・」とあったので、小屋の奥=北の林の中を探したが(当然)見つからず、ウロウロしていてこの墳丘を見つけた。「調査報告書」の古墳位置図と違うので「おかしい?」と思いながらも、開口していたので5号墳と思い込み、次の5・6号墳を探し損ねた。
思うに、古墳位置図が間違っていたのでは??4号墳から北東下を眺めると、とても降りれそうにない急斜面だったし・・・。(後述するが19号墳の位置表示は明らかに違っていた)
私の考える位置図(赤▢が小屋) 4号墳付近から北東望見下ろし
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次の5・6号墳は上記の事情で探し損ねた。
5号墳 4号墳の北側にある斜面を降りた所に小さな墳丘があったらしい。径11.5m、墳頂部は削平されており、南東向きの石室が完存。羨道は埋没し、玄室の横断面は方形、縦断面は矩形。
「調査報告書」ではーーー右片袖式の玄室長3.35m・幅1.65m・高1.68m、側壁・奥壁は持ち送るが、特に奥壁の持送りが急。天井は長2.9m・幅1.2mで4石構成。平天井で、前壁に向かうほど、低く架構されているーーーと、ある。
6号墳 5号墳のすぐ上。墳丘は不明瞭で、古墳状隆起の可能性もあるとのこと。
また、次の7・8号墳も、上からはとても降りれそうにないのでパス。
あるブログに「県道4号線から丘陵東の農道を50m程南下し、東に向かう農道との分岐西側の竹林内に・・・」とあったが、現在は獣防護柵や草木の繁茂でとても登れない。
7号墳 5号墳から谷を挟んで80m程北東に下った竹林の中。径12.5m、墳頂が削られているが、南東向きの石室が完存。羨道幅1.05m、右片袖式の玄室長3.82m・幅1.66m・高さ1.8m、平天井。
8号墳 径12.5mだが墳丘は不明瞭。
9号墳 10号墳から山道に沿って北東の尾根を100m以上下った林の中。径12mで、封土の流失が顕著で墳頂が大きく陥没している。
9号墳も、10号墳からの林道(黄線)が倒木や笹藪で埋まっているのでパス。
10号墳 4号墳から緩斜面を北方面に100m程上がった頂上やや北東側、林道沿いにある。径15mで墳丘は良好で墳頂は陥没とあるが、叢で確認できない。
北望 西望
11号墳 10号墳下の林道を南西に少し行った辺りに分岐があり、そのすぐ北側。径15m、林道で東側が削られている。
10号墳からの林道(黄線)南西望 11号墳北西望(ピンク〇)
墳頂辺り?の石材の隙間から内部が少し覗けるらしく、大半埋没しているが玄室は完存の模様とのことだが確認せず。
11号墳から北西。西に伸びる尾根筋に12~15号墳が並ぶ。いずれも明瞭な特徴がなく、しかも草木で覆われていたのでハッキリ確信はないが・・・。
12号墳 径12mだが墳丘は不明瞭。
南東望(尾根筋見返り)
13号墳 径10mだが墳丘は不明瞭。
南東望(尾根筋見返り)
14号墳 珍しく方墳で、辺11m、墳丘は不明瞭。
15号墳 これも方墳で、辺8m。墳丘は不明瞭。
西望
次の16~18号墳が見つからずウロウロし、15号墳辺りに戻った時石材を見つけた。
墳頂(黄〇)辺りにも石材があり周辺が窪んでいる。隙間のある石材(ピンク〇)もあった。
15号墳は「調査報告書」にはーー石材などは確認できないーーとあるので・・・?
14・15号墳の南斜面30~40m下辺りに、幅1m程のテラス(林道の様な平坦地)が巡っており、そのすぐ南下沿いに16~18号墳が並ぶ。
16号墳 径7.5mの円墳、封土の流失が顕著で、石材散在。
テラス方面見上げ
上記写真の黄〇部分 ピンク〇部分
17号墳 辺6.5mの方墳で、封土の流失が顕著で、石材散在。
16号墳方面から遠景南西望 西望近景
18号墳 墳形は不詳。石材の隙間から、南向きで無袖式の小型横穴式石室の玄室奥壁が覗ける。
西望 北望
18号墳から南下の林道に降りる。途中に大きな石材があった。
北望(黄〇=石材 ピンク〇=林道のマーカー) 石材
この林道を少し西に行くと北に上がる道と西に向かう道(19号墳方面)に分岐する。
林道西望 北に上がる道 西(19号墳)に向かう道
西に向かう道を進むと分岐があるので左下に行く。
3分程で小さな廃屋があり、この北側が19号墳。
19号墳 径12mで墳丘は南側が削られ、南向きの石室が露出。
両袖式の玄室長3.75m・幅1.9m・高1.85m、群中では珍しく持ち送りが小さい。
なお、19号墳だけ見るなら、古墳群の西側を通る広域農道沿いの進入口から入り、林道を道なりに200m弱進むと、18号墳方面からの分岐に至る。
進入口東望(施錠されていない)
なお冒頭の「調査報告書」の19号墳の位置図は違っていると思う。
また16~18号墳も、少しズレているかも・・・? 位置図では19号墳が北側の道沿いにある(●)が、南側の道沿いの(🔴)が正しいと思う。
20墳 4号線のすぐ南側、尾根先端の高所にある。径13mで墳丘は良好とのこと。
北側の進入口からが近い。
多分20号墳
21~23号墳は古墳群の北東角、舗装道路沿いに点在する。
21・22号墳 いずれも封土の流失が顕著で、不明瞭。
23号墳 径10mで、墳丘は良好。大型石材が露出。
21号墳 22号墳? 23号墳?
============【実際に巡った順路】================
右下赤〇が今回の進入口。黄〇は古墳群へのその他進入口。
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