妙光寺古墳群は滋賀県野洲市妙光寺、妙光寺山(標高267m)の南麓にあり、宗泉寺・三上神社・東光寺支群等に約60〜70基分布する。2024年11月13日(水)訪問。
なお、下記ブログを参照させて頂きました(15年程前?の記事と思いますが・・・)。
宗泉寺支群
宗泉寺薬師堂周辺に15基程分布する。
8号線の妙光寺交差点から南東に進むと宗泉寺への分岐があり、宗泉寺本堂東横から階段を登った上に薬師堂がある。
宗泉寺への分岐北東望 左手が本堂 薬師堂へ
*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。
*滋賀県野洲市マップ(以下『マップ』と略記する)に分布状況が掲載されている。
滋賀県 滋賀県野洲市マップ | 利用許諾
*赤✙が薬師堂。青点線は害獣除けフェンス(イメージ)
見つかった順に「▢▢支群-〇号」と表記します。
宗泉寺支群-1号
薬師堂の西方向、害獣除けフェンス手前に接する。
薬師堂から西望(黄〇辺り) 1号前から薬師堂東望見返り
*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。
小石室が開口する。
石室奥側半分位が残る。現状幅3m・高さ1.5m程。
マップにはさらに西側に10基程あるようだが、フェンスで越えられない。
フェンスから西望 北望
宗泉寺支群-2号
マップには古墳表示はないが、薬師堂東側のフェンスの向こう斜面にもう1基あるとのことで行ってみた。
薬師堂から東望 フェンス越し東望
フェンスが開けられる部分が一ヶ所あり(針金で結束されている所)、そこからフェンス向こう側に。
墳頂まで登れば玄室が見れたかもしれないが、滑落危険もあり断念。
*玄室は前記ブログ参照下さい。
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宗泉寺
この地一帯に東光寺があった。7世紀末頃奈良元興寺道智法師が創建、平安時代には天台座主慈覚大師円仁による中興で、最盛期は大伽藍を擁したらしい。しかし比叡山との争い(1460)や戦国時代の兵火(1524)を経て廃絶となったが、仏像(薬師如来座像等=重文)が宗泉寺に残る。
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三上神社支群
三上神社周辺の山麓一帯に30基程分布する。
宗泉寺から下図の通り三上神社に向かう。(青点線ルートは溜池進入口が施錠されている)
*宗泉寺支群-2号から送水ビニールパイプに沿って下っても溜池北西端に出られるが、上記ルートがお薦め。
溜池(「御池おいけ」)の南側手前は施錠されていない。神社は御池北側にあるが、御池西側フェンスは施錠されているので、土手道を東に迂回路する。
御池東端に神社と東光寺支群(=出世不動尊)への分岐がある。
分岐北望=黄矢印が三上神社方面 分岐西望=すぐ右(北)側に三上神社支群-1号
見つかった順に「▢▢支群-〇号」と表記します。
三上神社支群-1号
分岐すぐ北側にある。巨大石室が開口。径12mの円墳だったらしいが墳丘は殆ど滅失。
北望
玄室推定長5m・幅2m・高2.5m、羨道部・前壁側は崩壊し天井石が落下している。
開口部方面
他の神社北側の古墳に比べ大きさが群を抜いている。
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以下、1号を起点に、参道に沿って山麓を東から西へ移動。
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三上神社支群-2号(参照ブログでの4号墳?)
1号の斜め後ろ(北西側)、ピンクテープが見える。石材が1個だけ露出。
北望 南東望
*写真は2024年11月。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意下さい。
三上神社支群-3号
参道から少し上がった所、天井石らしき石材が露出。
南西見下ろし
三上神社支群-4号(参照ブログでの7号墳)
3号の少し西側、石材が抜き取られた石室跡。僅かに側壁と奥壁のごく一部が遺存。
北東望
三上神社支群-5号
やや大きめの石材が2個上下に並ぶ。
北東見上げ 東望
三上神社支群-6号(参照ブログでの9号墳)
参道のすぐ上。陥没孔の南手前に石材が散乱。
1個の石材南側孔に石組み?。
参道から北望見上げ
三上神社支群-7号(参照ブログでの10号墳?)
参道で墳丘が半分削られ石材が1個崖面に露出。
三上神社支群-8号
神社敷地すぐ東側、参道南沿い。マップ位置に合致する辺りだが、低いマウンドのみ。
三上神社支群-9号
8号の更に東、参道南沿い。マップ位置に合致する辺りだが、よく分からない。
神社北側の山林内に上がってみた。神社敷地の東端にある建物北側上の斜面、木にピンクテープが巻かれており、「地籍調査」とある。
三上神社支群-10号
上記ピンクテープの東先辺りに、陥没孔と石材があったが、古墳なのかどうか?
三上神社支群-11号(参照ブログでの13号墳)
本堂(高台に並ぶ真ん中の祠)の真っすぐ北側上に、小さな石室が開口。
本堂北望 南望見下ろし(赤〇が本堂、黄〇が石室)
石室長1.5m程・幅1.2m・高さ1.3m程?
開口部北望
(奥から見て)右側壁 奥壁 左側壁
三上神社支群-12号
11号の少し西側に石材が2個並ぶ。
本来の神社参道を西に行くと、赤くマーカーされたところが2ヶ所。
三上神社支群-13号(参照ブログでの24号墳)
参道池沿いにマウンドがあり、池(南)側に開口部がある。
滑り落ちそうになりながらも開口部前面に回り込む。
玄室長4.3m・幅2m・高2.5m程。
この西先は御池の北西端、ゲートは施錠されている。太い送水ビニールパイプに沿って、道なりに西に300m程進むと宗泉寺支群-2号に行き着く。
ゲート南望 送水ビニールパイプ沿いの道見返り(西望)
マップの表示位置とかなり違ったが、時間と体力の関係で、ここで打ち切り。
以上13基をマップに落とし込むと下図のようになります。あくまでイメージですので違っていたらご容赦下さい。
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三上神社
御祭神は天之御影命。農業用水確保のため御池を築き、その守護のため1666年造営され産土神社となったらしい。
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東光寺支群
三上神社支群-1号の三叉路から道なりに600m行くと東光寺=出世不動尊があり、周辺に15基程分布する。
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マップでは三上神社支群-1号の分岐から出世不動尊に至る道沿いにも何基か点在する。
エリアその1
樹木が繁茂し確認できない。
エリアその2
北側の山裾がなだらかで、明確な墳丘は見当たらないが、石材が散在している。
北望 黄〇の石材
青〇=陥没 赤〇=大型石材
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上記「エリアその2」から7~8分で小さな鳥居(弘法大師様御行場)や石仏があり、その先が駐車スペースになっている。
見つかった順に「▢▢支群-〇号」と表記します。
東光寺支群-1号(参照ブログでの10号墳)
駐車スペースの下辺りから左(西)側に上っていくと大きな石室がある。
駐車スペース手前北望 駐車スペース南望見返り 進入口
西上に上がっていく。(ピンクテープが見える)
墳丘は殆ど流失し、大きな横穴式石室が露出。
羨道長約4m・幅約1.6mだが、幅の割に高さが現状0.9m程しかない(床面が少し土砂で埋まっている?)。
両袖式の玄室長5.1m、幅2.3m、高さ2.2m程。
前壁部分が崩れている。
玄室内から見た前壁滅失の様子 外側から見た前壁部分(西望)
東光寺支群-2号(参照ブログでの11号墳)
駐車スペースからお堂への階段を上がり、妙光寺山(磨崖仏)方面に進む。
少し上がるとしめ縄の架かった岩がある。
その先にある。
見上げ 見下ろし
ここから更に上がると妙光寺山(磨崖仏)に至るようだが、途中でUターン。
東光寺支群-3号
出世不動尊から下山する途中、東側に墳丘が見え、石室開口部らしきものがあった。
東望 黄〇望遠
以上3基をマップに落とし込むと下図のようになります。あくまでイメージですので違っていたらご容赦下さい。
*なお、3支群以外にマップには妙光寺山頂の西隣辺りに2基古墳表示がある。
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出世不動尊
弘法大師空海が巨岩に刻んだ「出世不動尊」が鎮座する。寺伝では815年空海が42歳の時に修業をし、その厄除として不動明王を刻んで祀ったのが始まりとされている。
巨岩を囲むように地蔵・役の行者・大日如来・八大龍王等の神様が祀られている。
巨岩南側 東(裏)側
巨岩西(表)側下の祠 祠内部