OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

岩坂古墳群

岩坂古墳群は滋賀県甲賀市水口みなくち町岩坂。JR草津線三雲駅と貴生川きぶかわ駅の丁度中間、線路のすぐ西側(20~30m北西は湖南市三雲になる)。2024年3月17日(日)訪問。

 

甲賀市の数ある古墳群の北端。

*甲賀市教育委員会2008年刊「甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-」P5-図4「水口盆地南西山麓の古墳群の位置」を編集・加工

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分布図等詳細については、甲賀市教育委員会 2008年発行 甲賀市史編纂叢書第四集ー『甲賀の横穴式石室-後期古墳群調査報告書-』(以下「調査報告書」と略記)に掲載されており、本ブログの各古墳規模・石室実測値等は、基本的にこの資料に準拠しています。

当古墳群は全て円墳で、墳丘規模の「径○m」は長軸方向の長さ、羨道は残存部分の値、玄室等の高さは土砂堆積床面からの高さです。なお同報告書は平成17(2005)・18年度(2006)調査を基にしており、現在とは様相を異にする所も多い点お含み置き下さい。
*露出石室跡が土砂で埋まっていたり、逆に土砂が雨で流されてかなり露わになっている等。

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この「調査報告書」については、下記甲賀市HPを参照下さい。

甲賀市史編纂叢書のごあんない/甲賀市

また、この「調査報告書」を所蔵する大学の図書館は下記で検索下さい。

CiNii 図書 - 甲賀の横穴式石室 : 後期古墳群調査報告

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岩坂古墳群詳細

現在、南北100m・東西50mの範囲に密集する20基が確認されている。1926年の『甲賀郡志』では35基が確認されていたらしく、江戸時代末期の弘化年間の山崩れ以前には、もっと多数存在してらしい。

*「調査報告書-」P9-図7「岩坂古墳群 位置図」を編集・加工

*「調査報告書-」P11-図8「岩坂古墳群 古墳位置図」を編集・加工

 

墳丘や主体部が良好に残るものは殆ど無く、8号墳のみ石室が残る。8号墳は「岩坂十三仏」(後記)に上がる道から入るのが分かり易い。

古墳群北東角の道標(右横に林道の名残が残る)      十三仏上り口北望

*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

8号墳

「岩坂十三仏」の裏側、すぐ西横にある。

南望(写真左横に十三仏がある)

径12.5m、封土の流失が顕著で、南東向の石室がほぼ露出する。天井部が開口。

北西望

羨道は幅1.12mらしいが埋没している。右片袖式の玄室長3.98m・幅1.6m・高1.75m。奥壁は現状5段確認でき、中型の横長石材を主体に水平に積み上げられている。

側壁も中型の横長石材を主体に水平に積み上げ、緩やかに持ち送る。

天井は平天井で本来3石構成と考えられ奥側2石が残る。

(奥から見て)右側壁                 左側壁

羨道(上の真ん中の写真矢印の隙間)          墳頂から俯瞰

以下8号墳以外。

1号墳 径15m、北側は道路で削られている。

2号墳 径10m、南東向きの石室は石材は抜かれ、墳頂が陥没(1.5×4m、深さ0.7m)

1号墳西望                     2号墳南西望

3号墳 径10m、南向きの石室の石材は抜かれ、墳頂が陥没(1×4m、深さ2.5m)

4号墳 径7m、南向きの石室痕跡。

3号墳東望                     4号墳南望

5号墳 径6m、不明瞭

6号墳 径9m、笹に覆われている。南向きの石室の石材が抜かれ陥没孔はあるが無数のペットボトルが捨てられており、やむなく笹だけ撮影。

5号墳                       6号墳は笹の中

7号墳 径13m、墳丘良好。南向きの石室の石材は抜かれ、墳頂陥没。

9号墳 径7m、墳丘東側が十三仏で削平され撮影せず。

7号墳西望                     7号墳墳頂陥没

10号墳 8号墳と接する、径10m、南向きの石室の石材は抜かれ、墳頂陥没。

11号墳 径8m、不明瞭。

10号墳南東望                    11号墳東望

12号墳 径7m、道路で東側は削平されている。側壁の一部露出。

13号墳 径11m、西側が削平され、南東向きの石室の石材が抜かれ、墳頂陥没。

12号墳南望                     13号墳北西望

14号墳 径13m、墳丘良好。南向き石室の天井・側壁石材が一部残る。

北望                        北東望

15号墳 径8.5m、南向きの石室の石材は抜かれ、墳頂陥没。

南東望

16号墳 径9m、南東向きの石室の石材が抜かれ、墳頂陥没。

17号墳 径9m、不明瞭。

16号墳北西望                    17号墳北東望

18号墳 径11.5m、南向きの石室の石材は抜かれ、墳頂陥没。

西望                        北望

19号墳 径9m、南向きの石室の石材は抜かれ、墳頂陥没(撮影失念)

20号墳 径10m、南向きの石室の石材は抜かれ、墳頂陥没(猛犬が繋がれており撮影できず)

 

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岩坂十三仏

滋賀県下では3例しかないとされる十三仏石の一つらしい。高さ3m・幅2m程の巨石に刻まれた石仏は上下2体ずつ、左右3体ずつ、中央に3体。亡き人の生前中に犯した罪の裁きを順番に行う十三人の裁判官の本地仏。この十三の仏は死後の世界の案内役をするという信仰もあり、十三回の追善供養(初七日〜三十三回忌)をそれぞれ司る仏で、描いた掛軸が法要等で飾られるとのこと。

北西望                       西望(この裏側、西横に8号墳)

十三仏は、不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来・阿閦如来・大日如来・虚空蔵菩薩。

【参考】

十三仏の功徳と効果、真言について | 高野山真言宗やすらか庵