OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

小野妹子墓

小野妹子の墓は、大阪府南河内郡太子町山田にある。2023年5月11日(木)訪問。

 

科長しなが神社南側の小高い丘の上にある塚。妹子を道祖に祀る華道家元=池坊により管理され、例年6月に墓前祭が行われている。

小野妹子墓/大阪府太子町

 

ご承知の通り小野妹子は、33代推古天皇期に派遣された遣隋使として著名。『随書』(卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國)には、607年「・・・日出處天子ひいずるところのてんし 致書日沒處天子無恙ひぼっするところのてんしにしょをいたす つつがなきや・・・」という国書を持参し、随の皇帝煬帝が激怒した・・・とある。『隋書』には国書を持参した者の名前の記載はなく、ただ『使者』とあるのみ。

『日本書紀』には「(推古)十五年・・・秋七月 戊申朔庚戌 大禮小野臣妹子遣於大唐・・・」とあり、607年大唐(当時は随)に派遣された。翌年4月に隋の使者「裴世清」を伴って帰国。同年9月に裴世清の帰国に合わせ再び隋に派遣され、今度は「東天皇敬白西皇帝・・」という国書を持参し、翌年の609年(推古17年)9月に帰国したとある。

800m程西に推古天皇陵がある。

 


なお、小野妹子墓については、生誕地とされる滋賀県大津市の小野妹子公園内にある唐臼山からうすやま古墳とする説があり、墳丘上に小野妹子神社が建つ。

曼陀羅山古墳群 - OSAKA-TOM’s diary

======================================

科長神社

小野妹子墓参道のすぐ東側。平安時代の『延喜式』に記録された、いわゆる式内社と呼ばれる神社。級長津彦命しながつひこのみこと、級長津姫命しながつひめのみこと等8柱を祀るので八社大明神とも呼ばれる。例年7月の例祭には、神輿と地車が出るとのこと。社宝には神功皇后が使用したと伝わる雛形の小さな兜があるらしい。