2022年3月11日(金)奈良県香芝市平野。西名阪道路の香芝ICの北側。
「平野塚穴山古墳史跡公園」として整備されてから改めて訪問。
平野古墳群の西端で、下段は一辺25m程・高さ約2.7m、上段は一辺約18m・高さ約3m。墳丘は粘質土・砂質土を交互に突き固める版築で造られ、墳丘表面には二上山凝灰岩の貼石を設置していた。
北西望 北東望 西側墳裾南望
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案内
主体部の埋葬施設は全長4.47mの横口式石槨で、南方向に開口する。玄室の長さ3.5m・幅1.5m・高さ1.75mで玄室の前に羨道を付ける横穴式石室の名残をとどめた石槨で、石槨内には夾紵棺*・漆塗籠棺かごかんが納められていた。石槨内は盗掘にあっていたが、副葬品として金環・中空玉・銅椀片等が見つかった。古墳時代終末期=7世紀後半~末頃の築造と推定される。横口式石槨としては初現期の凝灰岩製の組合式で、終末期古墳への転機・先駆として重要視される。
*夾紵棺=夾紵(きょうちょ=麻布)を漆で貼り重ねる技法で作られた最高級の棺。牽牛子塚古墳(けんごしづか=高市郡明日香村、真の37代斉明天皇陵説あり)、越塚御門古墳(こしづかごもん=明日香村、真の大田皇女陵説あり・38代天智天皇皇女で、斉明天皇の孫、40代天武天皇の妃)、野口王墓(明日香村、40代天武天皇・41代持統天皇合葬陵)や彩色壁画で著名な高松塚古墳等で見つかっている。
開口部 石槨全景
床面 天井部 側壁
被葬者は明らかでないが、古墳の様相が王族級であるため、茅渟王(ちぬのおおきみ=35代皇極・36代孝徳天皇の父)とする説がある。