OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

平野塚穴山古墳

2022年3月11日(金)奈良県香芝市平野。西名阪道路の香芝ICの北側。

「平野塚穴山古墳史跡公園」として整備されてから改めて訪問。

f:id:OSAKA-TOM:20220312141530j:plain

平野古墳群の西端で、下段は一辺25m程・高さ約2.7m、上段は一辺約18m・高さ約3m。墳丘は粘質土・砂質土を交互に突き固める版築で造られ、墳丘表面には二上山凝灰岩の貼石を設置していた。

北西望                       北東望          西側墳裾南望

f:id:OSAKA-TOM:20220312142435j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312142439j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312142505j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312142507j:plain

*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

案内

f:id:OSAKA-TOM:20220312142626j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312142632j:plain

主体部の埋葬施設は全長4.47mの横口式石槨で、南方向に開口する。玄室の長さ3.5m・幅1.5m・高さ1.75mで玄室の前に羨道を付ける横穴式石室の名残をとどめた石槨で、石槨内には夾紵棺・漆塗籠棺かごかんが納められていた。石槨内は盗掘にあっていたが、副葬品として金環・中空玉・銅椀片等が見つかった。古墳時代終末期=7世紀後半~末頃の築造と推定される。横口式石槨としては初現期の凝灰岩製の組合式で、終末期古墳への転機・先駆として重要視される。
夾紵棺=夾紵(きょうちょ=麻布)を漆で貼り重ねる技法で作られた最高級の棺。牽牛子塚古墳(けんごしづか高市郡明日香村、真の37代斉明天皇陵説あり)、越塚御門古墳(こしづかごもん=明日香村、真の大田皇女陵説あり・38代天智天皇皇女で、斉明天皇の孫、40代天武天皇の妃)、野口王墓(明日香村、40代天武天皇・41代持統天皇合葬陵)や彩色壁画で著名な高松塚古墳等で見つかっている。

開口部               石槨全景 

f:id:OSAKA-TOM:20220312142832j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312142836j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312142849j:plain

床面           天井部          側壁

f:id:OSAKA-TOM:20220312143016j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312143024j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312143025j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20220312143029j:plain

被葬者は明らかでないが、古墳の様相が王族級であるため、茅渟王(ちぬのおおきみ=35代皇極・36代孝徳天皇の父)とする説がある。