OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

愛宕塚古墳

愛宕塚古墳

2019年5月13日大阪府八尾市の愛宕塚古墳、向山古墳、心合寺山古墳、鏡塚古墳、西の山古墳

【散策行程】

近鉄信貴線服部川」駅→700m→①歴史民俗資料館→1km→②愛宕塚古墳→100m→③向山古墳→700m→④心合寺山古墳→300m→⑤鏡塚古墳→(④心合寺山古墳)→600m→⑥西の山古墳→2.9km→近鉄奈良線瓢箪山」駅

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

①八尾市立歴史民俗資料館 

近鉄服部川」駅から徒歩約8分。午前9時から午後5時(入館は4時半まで)。休業日=毎週火曜日(祝日にあたる場合は開館)

八尾市立歴史民俗資料館

 

愛宕あたご塚古墳(河内愛宕塚古墳) 

八尾市神立4丁目。6世紀頃の円墳で横穴式石室が開口している。かつては楽音寺・大竹古墳群を構成する古墳とされていたが、現在は楽音寺・大竹古墳群の範囲からは外されている。1967年(S42)に調査され、多数の遺物が発見されている。周辺には500基以上(現存100基以上)の後期群集墳(高安古墳群)が分布する。

径25m・高さ6.5m。主体部の埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方に開口する。羨道長8.7m・幅2m前後・高さ2.2m、玄室長7m・幅2.5~3.1m・高さ4.1m。石室は、一帯に分布する高安古墳群の他の古墳とは隔絶した大きさ。羨道・玄室とも基本的に2段積み。7世紀頃の新しい石室様式とされるが、出土須恵器(6世紀前半~末)や周辺古墳の様相と比較して時期差に問題点が指摘される。石室内には2基の組合式石棺があったとされるが、現在は破壊されている。この石室内からは多数の副葬品が出土。

進入路           開口部                      石碑

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*写真は2019年5月。季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意ください。

出土品は、須恵器(有蓋高坏及び同蓋23、無蓋高坏15、𤭯3、広口壺・蓋3、台付長頸壺3、器台4、甕 1)。馬具・帯金具・飾金具類(金銅製麦わら帽子形飾金具5、同勾玉形飾金具8、同長方形有孔飾金具7、鉄地金銅貼垂飾大2、同小2、鉄地金銅貼鞍金具片3、鞖金具同残片3、鉄地金銅貼f字形鏡板片6、轡鉄製環状鏡板付二連式銜1、同破片1、手引金具同残片2、鉄地金銅貼子持剣菱形杏葉大4、同小4、同辻金具7以上、雲珠残欠1、鉄地金銅貼革帯飾金具20以上、同釣金具13、鉄製鉸具類4、尾錠類6、障泥釣金具 1、鉄地菱形飾金具2、木心鉄板貼壺鐙残欠5、銅製尾錠金具2、金銅製長方形飾金具2)。武器類(大刀片1、刀子片2、龍文銀象嵌鞘口金具捩り、環頭大刀飾金具、水晶製三輪玉1、鉾4、石突3、弓飾金具2、鉄鏃多数、ガラス製小玉152)とのこと。
出土品のうち龍文銀象嵌鞘口金具は、捩りねじり環頭大刀(柄頭に鉄棒を螺旋状に捩り銀箔を張った大刀)の鞘の金具で、龍2頭と蕨手文が銀象嵌で描かれている。龍文銀象嵌の大刀は各地域で見つかる一方、捩り環頭大刀は畿内周辺で多く見つかるため、龍文銀象嵌鞘金具付捩り環頭大刀は畿内と各地域との関係性を表す資料とされる。また馬具類のうち、垂飾板の文様には朝鮮半島の金銅冠製品等の文様との一致が認められる。土器類には須恵器・土師器があり、須恵器は6世紀前半~末頃のもので、特に6世紀後半のものが多いとのこと。

羨道西側      東側         玄室         (鞄は30㎝四方)    天井部

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羨道            楣石           左袖          右袖

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*楽音寺がくおんじ・大竹古墳群

八尾市北東部、生駒山地西側の麓に分布する4世紀~5世紀の古墳群。現在の八尾市高安地区北部(楽音寺・大竹・神立地区あたり)に巨大な勢力を持った部族が造ったとされる。その多くが数十mから百数十m程度の中規模の前方後円墳。現在ではその多くが農地の開墾や住宅地・学校の造成等で削り取られて、現存しないものも多い。最大規模のものは「心合寺山しおんじやま古墳」。③向山古墳・⑥西の山古墳は古墳時代前期、④心合寺山古墳・⑤鏡塚古墳は古墳時代中期に区分される。

③向山古墳

八尾市大竹8丁目。古墳時代前期に属し、独立丘陵を利用して設けられた西向きの前方後円墳。墳丘は早くから開墾され植木畑となり、後円部は大半が採土されている。向山瓦窯址が併存しており、後円部南側の池の斜面を利用して窯を作り、焼かれた瓦は、宇治平等院、京都醍醐寺や近畿各地に運ばれていた。当地西方約1kmの池島・福万寺遺跡周辺は、摂関家の荘園で、のちに平等院領であった「玉櫛庄たまくしのしょう」があり、平等院等の維持管理に必要な瓦を供給したらしい。

古墳周辺         石碑            前方部         後円部

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④心合寺山しおんじやま古墳

八尾市大竹5丁目。当時この周辺を支配していた豪族の墓と考えられている。古墳時代の中期、5世紀初頭の前方後円墳で、全長約160m、後円部径92m・高さ13m、前方部幅90m・高さ12m。前方部を南方に向け、墳丘は3段築成。 生駒山地の麓に等高線に沿うように築かれ、周濠は南側と北側の2か所で堤で区切られているため、東西で水位の異なるつくりとなっている。「囲形埴輪」が出土し、類似した構造の板塀跡が奈良県御所市の秋津遺跡から発見されている。また導水施設と見做される「家形埴輪」も出土。墳丘各段の平坦部に約3116本の円筒埴輪が並べられていた。並べ方に規則性があり、円筒埴輪、器財埴輪、形象埴輪を規則正しく組み合わせて並べられていた。墳丘部の斜面は全面に葺石が葺かれていた。前方部墳頂部の中央に「方形壇」が確認された。その下に埋葬施設1基があった。後円部墳頂部に長さの異なる粘土槨の埋葬施設が3基あり、そのうち西側の「西槨」で木棺が確認された。周囲から、夔鳳きほう鏡・甲冑・大刀・鉄剣等の副葬品が発掘された。西側くびれ部には「造り出し」があり、さまざまな埴輪が置かれていたと考えられている。史跡公園として整備され、復元墳丘の平坦部にはレプリカの円筒埴輪が並ぶ。また、墳丘西側には「しおんじやま古墳学習館」がある。

公園南東入口        案内                        墳丘模型

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前方部北望        前方部2段目        前方部墳頂方形基壇     解説

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後円部北望        後円部墳頂         解説           墳頂南望

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西側くびれ部俯瞰      墳丘西面北望       造出し          解説

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前方部西側南東望      くびれ部東望       後円部北東望       古墳学習館

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⑤鏡塚古墳

八尾市大竹5丁目182。標高17m、俗に松山とか腹痛山という。墳丘の上部には粘土郭が残り、また火葬跡が二ヵ所発見され、石櫃の蓋の破片も出土。古噴時代の中期末の環濠式前方後円墳で、数年前に採土され、その跡に小神祠をまつる。入口に宝山神社の碑がある。周辺から出土した円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋埴輪から5世紀末頃と考えられるとのこと。

遠景南西望      進入路       墳裾         墳頂        墳頂東望

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⑥西の山古墳

八尾市楽音寺7丁目。大阪経済法科大学の北東側、熊野神社の裏手にあり、古墳時代前期の全長55mの前方後円墳とのこと。昔、楽音寺の村落がこの地の東の山麓にあった当時に、古墳のある丘は「西ノ山」と呼ばれており、それが古墳名の由来らしい。1881年(M14)開墾中に後円部から石棺が発見され、中から人骨・勾玉・刀剣等が出土したとのこと。現在、前方部は植木畑となっており、古墳と言うイメージはない。南の谷をへだて、同時期の前方後円墳の花岡山古墳があったとも言われる。

進入路           熊野神社                     神社裏(東側)

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