OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

西殿塚古墳

2017年8月8日(火)、天理市萱生町の西山塚古墳・西殿塚古墳(衾田陵)と中山町の燈籠山古墳・中山大塚古墳を訪問。

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西山塚古墳

天理市萱生かよう町。6世紀前半(古墳時代後期前半)築造と推定される前方後円墳。26代継体天皇皇后の手白香皇女たしらかのひめみこの真陵との説がある。墳丘長114m、後円部3段築成・径65m・高さ13m、前方部2段築成・幅70m・高さ8mで前方部を北方に向ける。墳丘表面では葺石・埴輪が検出されているが、26代継体天皇自身の真陵とされる今城塚古墳(高槻市)の埴輪と同じ新池窯製とも言われる。主体部の埋葬施設は不詳。墳丘周囲には周濠が巡らされ、現在もその名残は周囲4ヶ所の溜池として見られるほか、周濠外側には外堤の遺構も認められている。(詳細は下記解説参照ください。)

後円部南西望            西望               解説

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*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

 

西殿塚古墳

天理市中山町。26代継体天皇(*)皇后の手白香皇女の『衾田陵ふすまだのみささぎに治定されている。出土した特殊器台形埴輪から3世紀後半(古墳時代前期前半)の築造と推定され、6世紀初頭の継体天皇皇后である手白香皇女陵にしては築造が早すぎるため、古墳時代最初期の箸墓古墳に後続する大王墓とする説が主流となっている。

前方後円墳で、墳丘長約230mは全国第24位の規模。傾斜地に築造されたため左右対称にはなっていない。後円部(東側3段築成、西側4段築成)径約145m・高さ約16m(東側)。前方部(東側1段築成、西側2段築成)幅約130m・高さ約12m(東側)。後円部・前方部各々の上部に方形壇がある。後円部の方形壇は、東西25m・南北26m・高さ3m。前方部のは東西13m・南北14m・高さ1.8m。墳丘各所から宮山型特殊器台と、箸墓古墳類似の都月型埴輪等が出土。東側くびれ部に口縁部に段差のある円筒埴輪があり、場所による埴輪の使い分けが想定されるとの説もある。

墳丘のテラスは後円部と前方部は直結せず、テラス段のズレはくびれ部で解消されている(前方部上段の斜道が後円部4段目に続く)。墳丘西側には西殿塚古墳特有の幅広の平坦面(エプロン)が最下段として形成されている。墳丘東側には陸橋状施設が後円部中央・前方部南側の2ヶ所に設けられ、いずれも隣接する東殿塚古墳に接続していたと思われる。西殿塚古墳が先行し、続いて東殿塚古墳が連続的に築造されたとのこと。(詳細は下記写真の解説を参照下さい)

山の辺の道沿いにある小さな五社神社から東に入り、田畑と果樹園の間の農道を南に行けば拝所まで楽に行ける。*なお農道途中の西側沿いに火矢塚古墳がある。

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五社神社         東に墳丘が見える     後円部北東望       前方部南東望

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拝所遠景東望       制札           拝所           解説

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(*)継体天皇については下記を参照下さい。

天皇陵 その五 - OSAKA-TOM’s diary

燈籠山とうろうやま古墳

天理市中山町。山の辺の道沿いにある。4世紀前半の前方後円墳だが、現在前方部分は念仏寺の境内で墓地として利用されており、後円部墳裾は果樹園?になっている。全長110m、後円部径55m・高さ約6.4m、前方部幅41mで、前方部を西に向ける。葺石・ 埴輪が確認され、 墳丘東側に張り出し部がある。埋葬施設は後円部から板石が多く採集されており、竪穴式石室と思われる。出土遺物は埴製枕、円筒埴輪、朝顔形埴輪、勾玉、管玉、石釧等。(詳細は下記写真の解説を参照下さい)

(2021.10撮影)前方部東望               赤○が後円部        解説

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2022.10.6(木)再訪時の写真。

案内           前方部東望        北面南東望        墳後円部北東望

前方部南西角から     前方部南面北望       後円部北東望       後円部北東望

 

中山大塚古墳

天理市中山町。大和おおやまと古墳群の枝群である萱生古墳群に属する。古墳時代前期前半=4世紀前半の前方後円墳で、全長約130m、後円部径約67m・高さ約15m・2段築成で、前方部を南西に向ける。後円部北側の墳裾に三角形の張り出し部分が付属することが確認された。後円部に張り出しが付くということは、双方中円墳の櫛山古墳の墳形に繋がるかもしれないが、通路的施設とされている。西側くびれ部にも三角形の張り出しが付けられている。前方部は大和神社の御旅所のため削平されているが、後円部より前方部が低く、前方部前面が緩やかに曲線を描いており、出現期前方後円墳の特徴を備えている。また、後円部の張り出し付近等から宮山型特殊器台の破片が見つかり、箸墓古墳に次ぐ最古級の前方後円墳であると推定されている。南側に延びた尾根を切取り、その土を後円部の上に積み、前方部も尾根を低く細く削って形を整えたと考えられている。後円部の墳頂部の4m以上は盛り土で、盛り土の仕方は、粘土と砂利を互層に堅く積み上げる工夫がなされていたとのこと。後円部墳頂からも宮山型・都月型の特殊器台、壺形埴輪が出土し、それらの埴輪が囲む中央に合掌式の竪穴式石室(長さ7.5m・深さ約2m)があった。石室内から銅鏡片2点、鉄槍や鉄鏃等の鉄器36点が出土。(詳細は下記写真解説を参照下さい)

御旅所全景北望          案内

墳丘へは大和神社御旅所南側の東奥、前方部の南東の角辺りから登る道がある。墳頂には墓壙・石室部分を示す植込みがある。

2022.10.6(木)再訪時の写真。

墳頂への進入口と登り道                        

後円部墳頂北望                    西望           南望