赤坂天王山古墳群
本ブログの趣旨は、もちろん散策記録ではあるが、「古墳への行き方」を詳述することでもある。私は、先人の古墳に関するブログ等を参考にマニアックな処を散策しているが、5・6年前とか、もっと古いものも多く、周辺や古墳の状況が変わっているケースがあり、迷うことも多い。そこで、最新の情報を提供したいと思っている。
もっとも、このブログも1年以上経てば、同じ羽目になるわけだが・・・・・。
2020年6月9日(火)
今回は奈良県桜井市~宇陀市のマニアックな古墳・石室をグルっと一周。
遠距離なので車で回った。
*なお、掲載画像はクリックすると拡大されます。
今回のルート
(国道166号線)→赤坂天王山古墳=桜井市倉橋→《女寄みよりトンネル》→(農免農道)→松源院香久山古墳=大宇陀迫間はさま→(国道166号)→《拾生交差点》→(国道370号)→(県道219号)→(農道)→アカサカ古墳・ニコ塚古墳=大宇陀守道もち→谷脇古墳=大宇陀守道→(農道)→(県道219号)→(県道135号)→(農道)→稲戸宮山古墳=菟田野稲戸→不動塚古墳群=菟田野稲戸→(農道?)→古市場古宮谷1号墳=菟田野町古市場ふるいちば→(農道?)→(国道166号)→(県道218号)→見田・大沢古墳群→(県道218号)→(国道369号)→檜牧石風呂古墳=榛原町檜牧ひのまき→(国道369号)→北谷古墳群=榛原町福地→(国道369号)→(農道?)→赤瀬古墳群=榛原赤瀬あかぜ→(国道369号)→(県道31号)→(国道370号)→(県道198号)→心境荘苑古墳=榛原笠間→(国道166号線)
Yahoo!地図を編集・加工しています。
場所的には分かりやすい。2018年4月にも一度来たが、当時に比べかなり整備されていた。国の史跡に指定されており、指定名称は「天王山古墳」とのこと。ただあちこちに同名の古墳があるので、調べるときは「赤坂」を付けた方がいい。
登坂道沿い右=西の解説板 古墳入口 アクセス道 白矢印が1号墳 黄矢印が2・3号墳
1号墳
1号墳は3段築成の方墳。北辺約50m、南辺約43m、東辺約46m、西辺約47m、南がやや狭いらしい。石室や石棺の形式などから築造時期は6世紀末から7世紀初頭と見られているとのこと。
石室は、上の右端写真の白矢印を登ってすぐ木の後。前回2018年4月に来た時は、開口部に土砂が埋まっており、入室を断念したが、今回は入室できた。最初、開口部を見ると、上部にカマドウマ(バッタの一種)がビッシリ=下の真ん中の写真。木の枝で追い払い、さらに入室前に羨道部を木の枝で何度かパンパン叩くと、全く居なくなった。
開口部前 1号墳全景 開口部のカマドウマ 大きさ比較(私は170cm)
羨道から入ると、向こうにうっすら石棺が見える。懐中電灯は必携。四つん這いや、仰向けで入室するため、汚れてもいい服装で、軍手もはめた方がよい。(軍手は人差し指第一関節分を切り取っておけば、携帯操作も可能)
南に開口する両袖式の横穴式石室。全長17mとかなり大きい。羨道の長さ8.5m、幅1.8m、高さ約2m、玄門(玄室入口部分)以外は1m程の花崗岩を使っているようだ。羨道を入ってすぐ右側に閉塞石らしき石が転がっている。玄室は長さ6.3m、幅約3m、高さ約4m。奥壁は高さ2mを超える巨石と1m前後の巨石2枚を用いた三段積。左右の側壁も花崗岩の自然石が三段に積まれ、その隙間に小石を詰めてある。側壁は持ち送り(上に行くほど狭くなる終末期古墳の特徴)が見られる。床面には礫石が敷かれている。
羨道入口 開口部見返り 玄門部 玄室全景
玄室中央に二上山産白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺が主軸に平行に置かれ、蓋と身を別個に作って組み合わせてある。長さ約2.4m、幅約1.7m、高さ1.1m。蓋の前後(狭い辺=小口)には一個ずつ、側面(長い辺=長手)に二個ずつ(残存は1個ずつ)「縄掛け突起」が蓋斜面に付いている。
石棺全景 前方(南小口)の縄掛け突起 後方(北小口) 東側 西側
石棺の南小口部(手前側)は、蓋から身にかけて50cm弱の四角い彫込みがあり、そこに盗掘孔がある。奥壁側=北小口にも、小さな孔が開いている。前の盗掘孔から石棺内が見られる。当然今は空っぽだが、なぜか落書が一杯。蓋裏にも落書が一杯。こんな狭い孔から入れるはずもないし、棒状のものを突っ込んで書くにしても、右下の赤枠内の「参上」は書けない。つまり、蓋が外されて置かれていた時期があるのだろう。出土遺物はないとのこと。なお石棺と東側壁の間に結構大きな石が落ちている。側壁とかの楔石が落ちたのかも・・・・。
南小口部(手前側) 奥壁側=北小口 石棺内
奥壁(上半分は天井部) 東側壁 石棺東側 東側床上の石材(奥から)
西側壁 石棺西側 奥壁最下段 奥壁東角中段
玄門 楣(まぐさ)石 楣石上部と天井石 天井石前方部
(奥から見て)玄門左袖部 右袖部 羨道左側壁 羨道右側壁
墳頂は10m前後四方の平坦地となっている。各段の斜面には葺き石が施されていたが、埴輪は知られていないらしい。
墳頂北望 北面見下ろし 東面見下ろし 南面見下ろし 西面見下ろし=2号墳
2号墳
2号墳へは1号墳の南側から西へ回る。1号墳の西側墳裾にある。1辺25mの方墳とのことだが、墳丘はかなり崩れて、方墳とはわからない。南側の石室も埋まっている。
黄矢印が2・3号墳方面 2号墳石室
3号墳
3号墳は1号墳のすぐ北側。フェンスで囲まれているが、1号墳側の一角は紐で閉じてあるだけなので、開閉可能。径約11m、高さ約4.5mの円墳で二段築成。墳丘はきれいに残っており、石室は南に開口している。
フェンス開閉可能部 3号墳全景
開口部 大きさ比較
両袖式の横穴式石室で全長10m程、羨道は長さ6mで幅1.7mとのこと。羨道入口には閉塞石(何個かの自然石)が転がっている。玄室の長さ4.3m、幅2.5m、高さ約2.6m。玄室の床石も残っている 。出土品については知られていないらしいが、築造年代については横穴式石室の特徴から6世紀末~7世紀初頭らしい。
羨道 玄室全景 玄室西=左壁 東=右壁 奥壁
↑ 白煙様のものは土埃等のフラッシュ反射
玄門部 東=奥から見て左袖部 西=右袖部 楣石 楣石上部
天井南=前方部 羨道開口部方面 閉塞石 脱出風景
3号墳から帰る時、1号墳の北側・東側を回った。方墳ということがよく分かる。
なお、古墳前の道幅は結構広く、車も停められる。
1号墳北側墳裾 東側墳裾 古墳入口前
ここから国道166号線の女寄トンネルを抜け、大宇陀麻生田に入る。
続きは「松源院香久山古墳」へ。