大屋戸古墳群周辺
2021年5月11日(火) (平岩古墳)→塚穴山古墳群→(塚原古墳群・遺跡)→大屋戸古墳群→小谷古墳群→上山古墳群
(平岩古墳)
奈良県山添村岩屋。ある古墳専門ブログの位置情報(緯度経度)辺り(上図①)を探したが、全く気配がなく断念。
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塚穴山古墳群
名張市蔦生こもお(上図②)。1号・2号墳の2基があるとのこと。東洋ハトメ工業・クラウン工業敷地から782号線を西に140m程。道沿い北側にある小屋の東40mに尾根に上がる小道があり、上がると小さな椎茸栽培場がある。その上方に点在石材が見える(1号墳?)。最高所=獣除けフェンス手前に、陥没壙がある(2号墳石室跡?)。どれか区別はつかないが、この辺りが群集墳だったことは想像できる。
石材 1号墳? 尾根最高所 2号墳?
塚原古墳群・遺跡
名張市蔵持町里。武道交流館の北側一帯。古墳時代後期の横穴式石室の古墳群(30基)。H12年(2000)市道新設工事で発見。弥生時代後期を中心とする集落跡でもある。石室がわずかに残る程度だし、見つけられそうもないので、パスし名張川対岸から遠景東望。
大屋戸古墳群
名張市大屋戸、杉谷神社本殿(上図③)の裏。4基の古墳が残存。拝殿の右側に回り、塀沿いに登る。(左側は薮がひどかった)
1号墳
本殿すぐ裏の1号墳は完存石室が開口。開口部は縦50cm・横90cm程。右片袖横穴式石室、全長5.4m、玄室長約3m・幅約1.5m・高さ約2m。
玄室全景 奥壁上部 天井奥側 北側壁
玄門 玄門上部 天井前側
2号墳
大きな陥没壙を挟み、すぐ上隣に2号墳石室。天井部が一部開口し、穴の深さは70cm程なので入室できる。羨道は崩壊している。玄室長約3m・幅約1m・高約1.5m。
奥壁中段 奥壁上段 羨道方面
3号墳・4号墳
2号墳から尾根を北西へ登る。石室は埋没し、羨道部の石材1個と天井石1個が露出しているらしいが、石材が2ヶ所程あり、よく分からない。尾根はかなり高い所まで登っており、4号墳もよく分からない。
小谷古墳群
名張市蔵持町芝出、稲荷大神のある小丘陵。古墳群は円墳7基と方墳1基で、S59年(1984)区画整理事業に伴い1~5号墳を発掘調査。いずれも横穴式石室で、最大規模で径約20mの小谷3号墳を中心に6世紀末頃築造。丘陵南西角から、階段を登った中腹に1号墳石室の基底部が、移築保存されている。右片袖式で全長約6m、羨道長約2.7m・幅約90cm。
上山古墳群
名張市春日丘1番町、上図④。本来14基からなる群集墳だが団地建設でいくつか消滅。団地入口にあるファミリーマート東横の竹林内に1~4号墳があるらしい。小さなマウンドが並んでいる程度とのことでパス。団地内春日丘4号公園に13号墳が移築保存されている。公園西側斜面にも5・6・15・16号墳が保存されているらしいが、頑丈なフェンスで囲まれている。 13号墳丘背後にも石室石材が組まれている。
ファミマ横竹藪 4号公園 案内 公園西側斜面 墳丘背後石組
13号墳は、東西径12mの楕円形墳で、馬蹄形周溝が巡っていたとのこと。右片袖式の石室は全長約6m。石室内には組合せ式箱型石棺も復元されている。須恵器・耳管・土師器・棒状かんざし・金銅製花形飾りが出土。
13号墳東望 玄室全景 箱型石棺 奥壁
北側壁 南側壁
続いて、名張市百合ヶ丘の芝出古墳群・中村古墳群へ向かう。