OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

室宮山古墳

 天皇陵を含めた「おすすめコース」=近鉄(またはJR)御所駅24号線①鴨都波神社→②第5代孝昭陵室宮山古墳・ネコ塚古墳309号線巨勢山古墳群(条池支郡)日本武尊白鳥陵⑤第6代孝安陵御所まち御所駅 =約11Km+α。

本記事は室宮山古墳のみを掲載していますが、①鴨都波神社→②第5代孝昭陵③ネコ塚古墳巨勢山古墳群(条池支郡)日本武尊白鳥陵⑤第6代孝安陵は、以下を参照下さい。

なお掲載写真は2018年6月1日の散策分です。

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                       *Yahoo!地図を編集加工しています

室宮山古墳むろみややまこふんは別称「室大墓むろのおおはか」とも呼ばれる。 

・御所市大字室。5世紀初頭の前方後円墳で組合式長持形石棺の一部が露出。国の史跡

・古くから後円部に八幡神社が祀られことが「宮山」の由来。

 「室=むろ」は古地名で、『和名抄』にも大和国葛上郡に「牟婁郷」とある。

蛇穴交差点        道標          室宮山古墳へ      前方部西側の寶國寺

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            *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

・南側墳裾の八幡神社の拝殿西隣に古墳への登り口がある。

・被葬者は、武内宿禰とする説がある。武内宿禰は『記紀』によれば12代景行~16代仁徳天皇に仕えたという伝説上の忠臣。記紀ではその墓に関する記載はないが、中世の『帝王編年記』仁徳78年条の一説では、「大和国葛下郡で薨じ死所は「室破賀墓」である」とあり、同記編纂当時(南北朝時代頃)には本古墳に関して武内宿禰被葬者説が存在したことが知られる。武内宿禰は7世紀頃の創出と見られ、史実性は薄いかも。
最近では被葬者を葛城襲津彦かずらきのそつひことする説が有力。襲津彦は『記』で武内宿禰の子に位置づけられ、記紀以前の『百済記』にも類似名称の記載があるので、4世紀末~5世紀前半頃の実在性が有力。襲津彦の活動時期は本古墳の築造時期とも一致し、朝鮮半島に派遣された点は、北石室出土の船形陶質土器とも関連づけられるとのこと。ただ襲津彦に比定する場合でも、彼のモデル人物が複数存在する可能性がある。

*かつては孝昭や孝安天皇陵説もあった。孝安天皇の宮が、室の「秋津島宮(葛城室之秋津島宮)」で、その宮を当地とする説が古くからあり、八幡神社境内に「室秋津島宮阯」碑が立つ。

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・墳丘全長238m。後円部は3段築成で直径105m(推定復元148m)、高さ25m。前方部 は3段築成で、幅110m(推定復元152m)、高さ22mで西南西を向く。  

葛城地方では古墳時代前期に大型古墳はなく、中期に入り室宮山古墳が突如出現する。室宮山古墳に次ぐ葛城地方の首長墓は掖上鑵子塚古墳(御所市柏原、墳丘長149m、5世紀中葉)だが、その規模は室宮山古墳に比べかなり小さい。なお、御所市域では室宮山古墳を契機とする遺跡として、5世紀中頃-後半に最盛期を迎えた広域集落の南郷遺跡群や、5世紀末から営まれた巨勢山古墳群が知られる。

 登り口見返り      登り道         後円部墳頂見上げ    後円部墳頂東望

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埋葬施設は、後円部に2ヶ所、前方部に2ヶ所(推定)、北張出部に1ヶ所、南張出部に1ヶ所(推定)の計6ヶ所。主体となる後円部の2ヶ所は、墳丘中軸線(東西)を挟み南北に平行に並ぶ。

・後円部南石室

1950年(S25年)に盗掘を受け、同年緊急発掘調査を実施したとのこと。天井石の西端1枚が欠損し、その欠損部分から長持形石棺の小口面が見られる。石室は、緑泥片岩・石墨片岩など結晶片岩紀の川産)製の割石を積んだ竪穴式石室で、長さ5.5m、幅1.9m(東側)・1.7m(西側)、高さ約1.1m。天井石は凝灰岩(流紋岩質溶結凝灰岩:加古川市付近の姫路酸性岩)製の切石で、西端1枚を除く5枚が残る。石棺内から玉類=管玉など(棺外からの流入かも)、石室内からは玉類=勾玉・管玉など、琴柱形石製品、刀剣 11口、革綴短甲残片、鏡破片=唐草文帯二神二獣鏡。石室の封土からは、(天井石閉塞後の祭祀によるものか)滑石製の石製模造品、土師器片、鉄剣などの鉄製品が出土したらしい。

天井石欠損部                         石室西望(木枝で石室外形を再現)

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石棺は、凝灰岩製の竜山石(加古川流域産)の組合式長持形石棺。全面に朱を塗り、長さ3.5m(縄掛突起を含め3.8m)、幅約1.4m。蓋石には格子亀甲文が有るほか、縄掛突起が4面各2個の計8個有る。被葬者は東枕で、石室は石棺を据えた後に築かれたと見られる。石棺は現在も石室に納めた状態で遺存。長持形石棺は「王者の石棺」とも称される王墓に特有の棺であるが、本古墳の棺はその中でも大規模な部類。

天井石欠損部    石棺の縄掛突起  石棺盗掘跡?(足は大きさ比較)       石棺内

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石室上部周囲には、2重の埴輪列が長方形に巡らされていた。外側列は甲冑形埴輪(冑は革製)・靫(ゆぎ=矢を入れて背負う)形埴輪・盾形埴輪など高さ約1.5mの埴輪40体前後から成る大規模な武器形埴輪列。内側列は円筒埴輪・朝顔形埴輪列。武器形埴輪は正面を外側に向け被葬者を守る意味で、そのうち冑形埴輪が当時一般的な鉄製冑形でなく革製冑形であることから、被葬者を守護する親衛隊の象徴と見られる。また2重埴輪列のさらに南側には、大型の家形埴輪5体以上が置かれていた。以上の埴輪の一部や埴輪列の復元模型は橿原考古学研究所付属博物館に展示。

靫形埴輪レプリカ           埴輪列解説           天井石欠損部南西望

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後円部北石室

後円部の北石室は、発掘調査されず詳細不明。ただ1998年(H10)台風7号に伴う倒木被害の際、倒木の根跡調査から若干様子が分かっている。南石室同様に緑石片岩を積み上げた竪穴式石室。内部に竜山石製の長持形石棺が安置され、石棺は閃緑岩で根固めされていた。石室周囲にも同様に埴輪列が巡らされていたが、元の位置から大きく動いており、乱掘により多くが破壊されたと見られる。また副葬品のうちには、加耶朝鮮半島南部)産の陶質土器4点以上があり、中でも精巧な船形陶質土器1点が注目されている。陶質土器の副葬はあまり類例がなく、土器自体も一般的な日本の須恵器と色調が異なることから、朝鮮半島からの伝世品と推測されるとのこと。

北石室辺り南東望        北西望               天井石?

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・その他、前方部墳丘上に推定2基。1基は1908年(M41)耕作に伴い発掘され、木片(木棺材か)・鏡・玉・石製品が出土。鏡は11面(うち絵模様神獣鏡2面・三角縁神獣鏡1面・獣首鏡1面)、滑石製勾玉・管玉・棗玉・玻璃玉など4種170余個、石製刀子1個。鏡には鉄錆があり鉄器類の可能性もあるとのこと。北張出部には粘土槨1基。内部の木棺が、推定長8.6mという長大な埋葬施設。1971年(S46)の発掘調査で漆塗製品(革製冑か)・鉄鏃・短甲片・鉄刀片が出土。鉄製冑でなく革製冑が出土したことから、この被葬者は後円部被葬者の親衛隊長と推測されているらしい。

 

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