2022年3月11日(金)訪問。達磨寺古墳群。
奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1。『日本書紀』推古天皇即位21年条の聖徳太子「飢人伝説*」と結びついた片岡山と号する臨済宗南禅寺派の「達磨寺」と古墳。本堂下にある3号墳、本堂の北東の小規模な1・2号墳との3基。
*推古即位21年12月、皇太子(=聖徳太子)は片岡(かたおか=現北葛城郡香芝町今泉)に行った時、飢えた人が道に伏せていた。皇太子は飲食物を与え、衣裳(みけし=衣服)を彼に与えた。翌日、彼を見に行かせると、「既に亡くなっていた」とのことで、そこに葬らせた。数日後、皇太子は「この前倒れていた人は、真人(=聖者)だろう」と言い、改めて見に行かせると、「墓の屍骨は既に空で、衣服を畳んで上に置いてあった」という。皇太子は、その衣服を持ち帰らせ以前の様に着た。
後世の太子伝説の中で、その真人(=聖者)が達摩大師とされ、3号墳はその墓ということで鎌倉時代初めに堂が建てられたという。1・2号墳は本堂の北東脇にある。1号墳は本来径15m・高さ4m以上の円墳で、東に開口する全長約6mの両袖型横穴式石室があり、入室可能。
達磨寺本堂遠景 案内 本堂近景 埋納石塔
右=1号墳 左=2号墳 2号墳北東望 南東望
1号墳石室
奥壁下部の石棺石材 左袖部 右袖部 楣石
古墳以外に、本堂裏から西側→南側にかけて10カ所のスポットが博物館の展示のように置かれている。(巻頭図参照)
スポット例 ④九重達摩塔 ⑦松永久秀墓