前塚・桐ノ木古墳群
2021年4月20日(火)。名阪国道=中瀬IC→前塚・桐ノ木古墳群→鳴塚古墳→鳳凰寺古墳群→辻堂古墳→(安部山・墓の谷・神林・下中島・向山・前山古墳群)→中切古墳→(阿弥陀寺山古墳)→(猪田神社古墳)→(吉田谷古墳群)→(石山古墳)→王塚古墳→天童山古墳群
*()内は、墳丘の明確な確認に至らなかった所です。
伊賀市寺田。上図⑨。南宮山(349m別名伊賀小富士=頂上が浅間社)の南に位置する岡山の南斜面。広範囲に分布する古墳群。A~H支群と3基の単独墳。上野市史には計39基とあるらしいが、なんかもっと多そう・・・・・。
―念のための注意事項です―
・記事・写真は2021年4月です。月・季節が違うと見え方や様子がかなり異なる場合が多いです。また年数がたつと更に・・です。
・長袖・軍手必須(笹や小枝から防御。スマホ操作のため、軍手は人差し指先を切っておく)。石室見学時は懐中電灯・大きなナイロン袋必携(狭い開口部の腹這い入室時使用)。春~秋は虫除けスプレーも。
・スマホ・自撮り棒(入室できない石室撮影用)。晴れた日は影で大体の方角が分かりますが、コンパスもあった方が良いでしょう。
・一般的に山中の古墳は、笹・草・蚊・蛇等の大敵が多い夏場は、避けるべきです。
【豆知識その11】
蚊:活動温度は20度位以上。夕方~夜間に活動する家蚊と違い、藪蚊は昼間が主な活動相時間帯。
蛇:冬眠は10度以下。逆に10度を超えると活動し出す。マムシは子を産む時期=8月~10月は攻撃的。
笹:成長し皮が剥がれていくのが竹、成長しても皮が残るのが笹。まー、大きいのが竹、小さいのが笹ぐらいの感覚で良いらしい。ともに地下茎により横方向に伸び、そこから何本も芽を出す。4月位に芽を出し、5~6月急成長する。クマザサとよぶ種類は、高さが1-2mになる大型の笹で、葉の長さが20cmを越え、幅は4-5cm。葉に隈取りがあるのが名前の由来。隈取りは若葉にはなく、葉が越冬するときに縁が枯れて隈取りになる。なお稲・竹などの中空になっている茎の事を稈(かん)と呼ぶらしい。
*支群の位置や各墳丘の位置(数字)はあくまでイメージです。特にA・F支群の位置は自信がありません。
案内図→行者堂→北向地蔵→A支群→27号墳→B支群→C支群→D支群→E支群→H支群→参道→39号墳(発見できず)→4号墳→(B支群を再び南下)→F支群→G支群と、巡った順に記載します。
私の場合2021年4月11日に2/3程回り、その続きを4月20日に回りましたが、大体の位置がわかっていても全行程10時間程掛かりました。この記事はそれらをまとめて掲載しています。
なお上図の太い点線は山道なんでしょうが、あまり笹が茂っていない4月でも殆ど見分けがつかないので、アテになりません。
A支群
毘沙門寺南側分岐(岡山遊園地の案内図)から東へ、大光寺へ向け参道(=山道)を登る。行者堂を過ぎ、北向地蔵から1~2分程、「右だいし道」の石道標から左(=北)の獣道へ向かう。
*画像をクリックすると拡大します。
暫くは割と判り易い山道を道なり。上に登る道から道なき道を水場近くまで行く。
ここで斜面を駆け上がる3匹の鹿を見ました。また「ケーン」という雉の鳴き声と、母衣打(ほろうち)と呼ばれる両翼を胴体に打ちつけて鳴らすブルブルという羽音を聞きました。
石道標分岐から1分程 更に2~3分後 更に1分程で北に登る道 4~5分で水場手前 水場
水場のやや手前から、真上=北東へ真っ直ぐ登って行く。尾根上の杉林に3・2号墳。3号墳は径16m、すぐ上の2号墳は径12m、いずれも墳丘が良く残るらしいが、中級者には微妙。急斜面を更に1~2分程登ると1号墳。径13mで、南向き石室の欠損穴が先ず見える。
2~3分で左に石材 1号墳見上げ 欠損穴 墳頂
左へ回ると、奧壁側=北側が開口。羨道幅約1m、玄室長さ4m弱・幅2m・高さ1mの左片袖式。
欠損穴内部 奥壁側の開口部 埋まっている羨道方面
27号墳
元の分岐に戻り、参道を東に行ってすぐの、もう一つの石道標から南西側に少し登ると27号墳。径16mらしいが詳細は不明。
分岐を東方面 進入路 石道標 南望 南東望
B支群
A支群への分岐から東へ100m程、参道左脇に5号墳(石材を抜いた跡だけ)がある。B支群はそこから南側真下にあるが木々が茂るので、5号墳少し手前の比較的降り易い所から、南東に斜面を下りきると、唯一の目印の溜池がある。この溜池が見つかればB支群以降のメドが立つ。
5号墳石室跡 少し手前の境界標 降り口 9号墳東望 青〇が溜池
池のすぐ上=北に径14mの9号墳、池側に石室が開口、狭いが奥は見れる。その東横に11号墳があり、石材が露出。9号墳すぐ上に7号墳、石室内部は埋没している。その西側すぐに8号墳=径13mで入室可能な横穴式石室(全長6m、玄室は長さ約3m・幅1.9m・高さ1.4mとのこと)。更にその少し北東に6号墳があるが、石室は埋没。その北に10号墳、開口部は狭いが奥壁は見れる。
9号墳近景東望 ピンク〇は7号墳 開口部 石室内
11号墳北東望=ピンク〇9号墳 墳頂南西望 7号墳 開口部 石室内
8号墳 開口部 石室内
6号墳開口部 石室内 10号墳開口部 石室内
C支群
B支群11号墳から、池の北側を東へ横切り、細い水路を越え尾根の上に登る。
11号墳から 青線が水路 13号墳方面 13号墳頂西望 南望
13号墳はC支群の最北(上)部にあり径13mで、崩壊した石室が露出。14号墳は径12m。15号墳は径9mで石材が少し露出。
13号墳頂の石材 矢印から内部 14号墳方面 14号墳 15号墳
15号墳から南東に少し下った所に12号墳、径13mで、横穴式石室の玄室奧側が残存露出。現存長1.6m、幅1.8m、高さ1.8m程。
12号墳方面 12号墳東望 残存石室 高さ比較
12号墳から西、池の南端辺りの16号墳は径18m、墳丘がよく分かる。墳頂窪みが少し開口しているが、薄っすら側壁が見える程度。12号墳との間位に、径12m程の17号墳があり石材が散乱。18号墳は、更にその南に下った所に、少し離島の様な感じ。
16号墳 墳頂の窪み 開口部 17号墳(ピンク〇16号墳) 18号墳
D支群
C支群12号墳辺りから南東、谷へ降りる。19号墳は一番南端で径16m、163号線が窺える。20号墳は径10m、崩れかかった石室壁の一部が露出し、少し中が見える程度(現存長1.3m・幅1m・高さ1m程)。21号墳は径14mだが、崖っぷちに石材が露出。中が見える。現存長8mとのこと。
19号墳方面見上げ 20号墳開口部 内部 21号墳西望 石室内部
E支群
D支群21号墳から緩やかな斜面を北へ登る。22号墳は径14mで、横穴式石室の両側壁奥側と奥壁が完全に露出。幅1.5m・高さ1.2m程。墳裾に大きな石材が残る。23号墳も径14m程で墳頂がやや陥没。24号墳は径9mで、H支群側に、幅1m程の小型石室が開口し、奧側が見える。
22号墳北望 石室残存部 23号墳窪み西望 24号墳北東望 開口部
H支群
E支群23号墳辺りから東隣りの尾根に登ると37号墳。径16.5mで両袖式の横穴式石室が完存。全長8.3m、羨道幅1.8m・高さ1.2m、玄室長4.5m・幅2m・高さ2.3mとのこと。
37号墳北東望 開口部 石室内
南東隣の38号墳は径20mと大きいが埋葬施設は不詳。その南東下の36号墳も径20m。南側に開口するが、天井石が落ちかかっている。
38号墳北東望 36号墳南望 36号開口部 石室内
35号墳は径13mで、横穴式石室は全長6.7m、羨道幅1.25m・高さ1.15m、玄室長4.2m・幅1.9m・高さ2.3mの右片袖式とのことで、西に開口する。
35号墳開口部 石室内
34号墳は径7.5mで、石材が散乱。33号墳は径13.5mで。全長4.9m、玄室長3.6m・幅1.3m・高さ1.4m、無袖式の横穴式石室が西に開口。尾根南端の32号墳は径9.5mで石材が散乱。
34号墳北東望 33号墳開口部 A4ファイルとの比較 石室内 32号墳
なお、37号の北東に割と大きな墳丘があった。ここから、勘で尾根をひたすら北上したら、大光寺への参道に出た。
?号墳北東望 墳丘の穴 H支群真北の参道脇石仏
39号墳・4号墳
参道脇の石仏から東に進み、参道が北西に急カーブする分岐からやや南東に下って行き、竹林手前まで行ったが、39号は断念。参道をB支群まで戻る途中、参道南脇に4号墳があった。
参道分岐 39号方面? 4号墳見上げ 東望
F支群・G支群
B支群を再び下り、9号墳辺りから笹・倒木・沢を越え、更に南西へ下る。本来なら、行者堂からG支群→F支群と行く方が判り易いはずなので、このルートはお勧めできない。案の定F支群では25号墳か26号墳か確信が持てない。
更に西に行くとG支群。上方崖っぷちに開口した石室が見えた。どなたかが発見したG支群の号数の付されていない墳丘だ(地図上にはNで表示)。羨道も2m程残り、玄室はキレイに持ち送り、高さも2mを越えそうな感じ。
25号墳?北望 26号墳? N号墳開口部 玄室
28号墳は径13mで墳頂は長方形に陥没している。29号墳はその南西下で、径12mで墳丘は判り易い。30号墳はその南東下で径10m、横穴式石室がわずかに開口。南西下の竹がはえている辺りの31号墳は径10mで石室跡が陥没。ここから行者堂方面に戻る際、獣除けの紐製の網が何カ所か進路を阻んでいるが、何とかクリアして戻れた。
28号墳頂 29号墳 30号墳見下ろし 北東見上げ 31号墳方面
前塚・桐ノ木古墳群は、まさに古墳散策上級者の領域です。私が思う上級者とは、笹や地形に惑わされず墳丘を探し当て、開口部の狭い石室でも躊躇なく入室できる方です。
という意味では、私はまだまだ中級者。
ここから、有名な鳴塚古墳(鳳凰寺古墳群)へ向かいました。