大仙陵 陪塚
大仙陵(伝16代仁徳天皇陵)外堤周囲に15基ある古墳のうち、陪塚として宮内庁が管理するは下線の12基。長塚古墳、収塚古墳、坊主山古墳、鏡塚古墳、源右衛門山古墳、塚廻古墳、大安寺山古墳、茶山古墳、永山古墳、丸保山古墳、菰山古墳、樋の谷古墳、銅亀山古墳、狐山古墳、竜佐山古墳、孫太夫山古墳
【古墳豆知識その4 陪塚】
大規模古墳の周囲に、くっつくようにある小規模古墳。陪塚=正式には「ばいちょう」、「ばいづか」と呼ぶことも=大きな古墳の被葬者の、殉葬家臣とかなんらかの関係者の古墳とされる。武器等の物だけを埋納したものもある。 なお宮内庁管理の陵・陵墓参考地・陪塚等は、宮内庁によりキッチリ管理されているので、文化財を守るための「文化財保護法」の史跡や国宝には指定されないらしい。
【散策の様子】
宮内庁が大仙陵の陪塚として管理する内、永山古墳は規模がデカすぎない?まーそれを認めるなら、陵を挟んで真反対にある同規模の長塚古墳を陪塚管理していないのは・・・?。それと坊主山古墳は三重濠外縁から260m位も離れているが、それより近い収塚古墳、鏡塚古墳、塚廻古墳は陪塚管理されていない・・・?
やや疑問を感じつつも、大仙陵(伝16代仁徳天皇陵)外濠周囲をグルっと巡る。
車でも行けるが、健康のため歩きか自転車がお勧め。下図の( )内の番号は、今回の散策順。黒●印は写真撮影ポイント等。(車で行くなら赤矢印のルートだが、道が狭く一方通行が多いので要注意。)
*「Yahoo!地図」を加工編集。
*坊主山古墳は陵の東260mにある。元は径40m程の円墳とされるが、かなり古い段階に大規模に削られ、現在は辺10m前後、高さ2.8m程の三角形の墳丘が残るだけ。
(1)長塚古墳
大阪府堺市堺区(以下同じ)百舌鳥夕雲町2丁。
後円部西望 後円部北西望
*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。
*「〇望」=撮影方向は厳密な方角でなく「〇方面」程度の感覚で理解下さい。また勘違いの可能性も・・。
(2)収塚おさめづか古墳
百舌鳥夕雲町2丁149。
北東望 西望
(3)鏡かがみ塚古墳
百舌鳥赤畑町2丁。
南東望 南西望
(4)源右衛門山古墳-ち号
向陵西町4丁。
南東望 北東望
(5)塚廻つかまわり古墳
百舌鳥夕雲町1丁27。
南西望 南東望
(6)大安寺山だいあんじやま古墳-乙号
大仙町7。
西望 東望
径62m・高さ9.7mの円墳。名前は古くは大安寺の所有地であったことに由来、別名寺山とも呼ばれた。
(7)茶山ちゃやま古墳-甲号
大仙町7。
外堤北東端南西望 茶山古墳西望
(8)永山古墳-と号飛地
東永山園41。
前方部北東望 後円部北東望 後円部北端西望
前方部西望 前方部東望
(9)丸保山古墳-へ号飛地
北丸保園5。
後円部北端南望 後円部南面北望
前方部南東角北西望 前方部正面北東望
全長87m、後円部径60m、前方部幅40m。前方部がほぼ南向きの帆立貝形前方後円墳。幅10m程の濠が巡る。後円部は宮内庁が陪塚管理し、よく残るが、前方部は道路等で削平されている。なお、前方部と周濠はS47年国史跡に指定。
(10)菰山こもやま塚古墳
南丸保園2。
(11)樋の谷ひのたに古墳-丙号
大仙町7。
遠景南望 近景東望
(12)銅亀どうがめ山古墳-に号
大仙町7。
東面西望
南面北望
(13)狐山古墳-は号
大仙中町18。
南望 南東望
(14)竜佐山たつさやま古墳-ろ号
大仙中町18。
前方部北東望 前方部南西角 南面北望
後円部南面北東望
(15)孫太夫山まごだゆうやま古墳-い号
夕雲町2丁。
前方部 墳丘南面北望
後円部北望
墳丘長56m、後円部径48m、前方部幅30m。前方部が西を向く東西主軸の帆立貝形の前方後円墳。古墳の名は所有者であった中筋村庄屋の南孫太夫に由来。今ある周濠と前方部の一部は大仙公園の整備に先立ち実施された試掘調査の成果に基づき復元されたもの。
百舌鳥古墳群は以下を参照ください。