高井田横穴群
平尾山古墳群平尾山支群
2019年11月8日(金)高井田横穴群・平尾山古墳群平尾山支群-67支群(大阪府柏原市高井田)、安福寺横穴群(大阪府柏原市玉手町)
高井田横穴群
国豊橋北詰交差点を東へ。一つ目の信号を左折(北へ)、JR関西本線の高井田駅を越えればすぐ高井田横穴公園がある。青矢印は公園入口。公園入口付近には駐車場は無い。公園入口を通りすぎ、T字路(信号)を右(北北東)へ。150m先で、小さな橋を右(南東)へ100m行くと、突き当りに歴史資料館の駐車場があるが、駐車場は7台分しかない。開館・休館日をよく確かめて!!
歴史資料館入口左手のらせん階段等からも公園に入れる。見学できる横穴は20個ちょっと。鉄柵があるが、自撮り棒外撮りで、そこそこOK。事前申し込みした団体(5名以上)なら横穴内部に入れるらしい。資料館と合わせキッチリ見るなら2~3時間は必要だが、今回は15時半頃からなので、かなり足早に回ったが全部見るのに小1時間かかった。
*Yahoo地図を編集加工しています。
*国豊橋南詰交差点から右に行くと松岳山古墳・国分神社へ行ける。
【高井田横穴墓 受け売り情報】
横穴墓は総数200基以上あったそうで、多くに線刻画を伴う。丘陵崖(軟弱な凝灰岩層)を掘削して横穴式石室に似た構造に造る。横穴墓群として最大級。T6年に発見。線刻画は人物、船、鳥、馬、魚、樹木、花、渦巻文、太陽、家屋等で、人物の服装、船体のゴンドラ風の形から、古墳時代造作は明らか。6C前半~7Cまで。雑然と掘削しているようだが、2-4基を単位として小群を構成し、凡そ10-15の小群で一大群を構成する。7Cの氏族構成を考えると、大群は氏族集団の現われで、小群は集団を構成する世帯と推測される。さらに小群の2-4基は世代ごとに掘られた模様。これらの群構成は近隣の平尾山古墳群などの群集墳で見られるとのこと。
資料館パンフレットの公園案内
以下巡った順に写真を掲載します。*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。
第3支群10~12号墳 第3支群6号墳 第3支群7号墳
第3支群18号墳 第3支群19号墳 第3支群28号墳
第3支群21号墳 第3支群22号墳 第3支群23号墳
第3支群24号墳 第3支群5号墳 線刻画解説 線刻画レプリカ
第3支群3号墳 第2支群方面 第2支群58・59号案内 第2支群59号墳
第2支群11号方面 第2支群11号墳 第2支群13号墳 第2支群号案内
第2支群17号墳 第2支群14号墳 第2支群6号墳
第2支群5号墳 第2支群3号墳 第2支群4号墳 第2支群2号墳
公園奥に、第2支群56号墳=高井田山古墳があり、プラスチック板越しではあるが石室が見れる。本格的な石組横穴式石室の前身で、横穴墓群に先行するとのこと。
全景 石室南望 北望
詳しくは柏原市HP参照。(文化財課ページの中ほどに)
平尾山古墳群平尾山支群 (平尾山千塚古墳群とも)-67支群2号墳
歴史資料館から出て、北東へ住宅街を真っすぐ170m。突き当りを右へ道沿いに行くとフェンスがあり、「かしわらウォーキングコース」の小さな看板がある。ウォーキングコースというが、フェンス沿いの進入口はかなり笹だらけだった。しばらく行くと細いがちゃんとした道になり、5分くらい登ると、67支群2号石室がある。斜面上の横口式石槨墳で殆ど石室が露出。側壁は右2枚、左1枚、天井石は大きな(今にも崩れそうな)巨石1枚。その奥に石槨がある。
資料館見返り(南西望) 進入口 - 67支群へ
この日は京都府相楽郡和束からずっと車で巡ってきたし、高井田横穴墓群で時間をとったので、16時過ぎから登り始めたが、早い時間帯でないと2号石室から先は難しい。
なお平尾山古墳群は、とてつもなく大きく、推定2000基とも言われます。地域的に安堂、高井田、平尾山、雁多尾畑、本堂、太平寺、平野・大県、青谷の8支群に区分されるそうです。下記を参照ください。
安福寺横穴群
高井田横穴群の比較的近く、大阪府柏原市玉手町。国豊橋南詰交差点→国分交差点から近鉄大阪線を西に越え、原川東交差点から南東に進み、河内国分駅を過ぎた辺りから住宅街を西に入っていく。左下の青枠に横穴群がある。
安福寺参道両側に分布する横穴墓群。凝灰岩層の斜面に30数基が開口、木棺や造付けの石棺、棺台を備えたものや壁面に騎馬人物が線刻されたものも確認された。6世紀中頃~7世紀初頭。府指定史跡。
安福寺横穴群北側 東端の横穴 西端の横穴 西端の横穴内部
安福寺横穴群南側 同左写真右端の横穴 同左写真真ん中の横穴
観音像と祠 祠西側の横穴 全景見返り
安福寺横穴群に着いたのが17時近くて、あまり写真映りがよくないですが・・・。