OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

滋賀県大津市南部 古墳巡り

膳所茶臼山古墳・小茶臼山古墳、国分大塚古墳、横尾山1号墳、久保江古墳(若松神社境内古墳)。2023年11月8日(水)訪問。

膳所茶臼山古墳・小茶臼山古墳

大津市秋葉台。4世紀末~5世紀初頭の前方後円墳。

 

徒歩なら京阪石山坂本線の「膳所ぜぜ本町」駅から東海道本線を越えて行く(約860m)。いずれも茶臼山公園にある。

老人ホーム付近からJR東海道本線の高架下をくぐる。

*画像は、(スマホでも)PC版ならクリック(タップ)すると拡大されます。スマホ版ならピンチ拡大下さい。

膳所茶臼山古墳

グラウンド北東側が膳所ぜぜ茶臼山古墳(上図①)。

公園方面へ上って行くと大きな古墳標式が見える。その後方の林が茶臼山古墳。その標式まで上がらず、手前を公園駐車場方面に行くと進入口がある。

進入口と案内

全長122m、後円部径約70m・高さ約13m、前方部長さ60m・幅22.5m。(上記案内には近江で第2位とあるが)滋賀県下で第3位、湖南地方では最大規模。

県下1位は近江八幡市の安土瓢箪山古墳=墳長134m、2位は彦根市の荒神山古墳=墳長124m

              前方部西望             見返り

前方部と後円部のつなぎ部分はゆるやかな斜面で、前方後円墳本来の姿をとどめている。墳丘斜面には葺石、後円部墳頂には円筒・形象埴輪が並べられていたとのこと。墳形が奈良市の佐紀陵山古墳と相似形であるため、築造当時には畿内からの領域支配があったとする説もある。

後円部方面

後円部墳頂には「葬り塚」とされる、四角い石囲いの塚がある。

東望                        北東望

小茶臼山古墳

グラウンド南西側の林内にある(上図②)。公園周回道の南端から進入口に繋がる。

径20m程・高さ2.5mの円墳で、位置関係から茶臼山古墳の陪塚説がある。

国分大塚古墳

大津市国分こくぶ1丁目3。6世紀中葉の前方後円墳。大津市内にある8基の前方後円墳の中では最南端で、最も新しい古墳。

 

前記「膳所茶臼山古墳」から徒歩で向かうには、国道1号線(東海道)の「秋葉台」交差点から南下し、東レ工場群の南側に回り込む(約2.7㎞)。東海道新幹線と名神高速道路に挟まれた住宅地内にある(下図③)。

 

金網フェンスで囲まれ、施錠されている。

西望                北望

前方部を南西に向ける全長45mの前方後円墳。後円部径32m・くびれ部幅19m・前方部幅28m。周囲に周濠があったらしい。後円部と前方部にそれぞれ1基づつ横穴式石室がある。

後円部石室開口部 北望                前方部方面 南西望

西側の児童公園に回り込むと、後円部石室・前方部石室が見れる。

後円部東望                      前方部南望

後円部の横穴式石室は全長6.6m、羨道長さ2.2m以上・幅1.5m、玄室長さ4.4m・奥壁幅2.1m・羨道寄りの幅2.15m・高さ1.6m以上。
北東望              南西望               近景

奥壁側が崩壊している模様で、向こう側に本来の開口部が見える。

奥から見て左側壁          本来の開口部

前方部の横穴式石室は、玄室の長さ2.9m・幅1.2~1.6m・高さ0.9m以上(羨道は不明)とのこと。

前方部石室 南望                   後円部方面 北東望

 

*園山古墳群 大津市園山二丁目。東レ工場群西側の東レ社宅のある丘陵上、園山稲荷境内にある群集墳。径10m以下の小円墳11基からなり、いずれも主体部は横穴式石室らしいが遺存状態は不明瞭で、小さな墳丘周囲を石垣と柵で囲んで保存されている程度とのこと(今回はパス)。

横尾山1号墳

大津市神領じんりょう1丁目1、檜山神社境内。前記東レの工場群から真っすぐ東へ、県道782号線(醍醐大津線)~104号線~2号線を通り、瀬田の唐橋を越えて行けば、2㎞程の所にある。

瀬田の唐橋             俵藤太伝説            瀬田川北望

 

7世紀前半代、瀬田唐橋(瀬田川)東岸の丘陵上には30基以上からなる横尾山古墳群があったが、京滋バイパス建設に伴い調査後消滅したらしい。最大の横尾山1号墳だけは、檜山神社境内に移築保存された。

檜山神社参道から脇道を北方向へ20m程行った右手(東側)にある。フェンスで囲われているが施錠されていない。

檜山神社              参道脇道             横尾山1号墳

フェンス扉がやや変形しているせいで、閂が固くて開けるのに一苦労。また石室横の案内も殆ど読めない。

一辺11m程の方墳(前面部が後面部 より長く平面は台形状)。横穴式石室は、羨道部長さ約 1,4m・幅1.2m、玄室長さ約 2.6m・幅1.2m程・現高0.8m程。奥壁・両側壁とも切石石材1段で、上 に天丼石が乗る。奥壁は一枚岩 。石室と言うより、7世紀代=終末期の横口式石槨と言う方が妥当かもしれない。須恵器・鉄釘・円盤状飾り金具・刀子・耳環等が出土したらしい。

                           天井部

 

久保江(若松神社境内)古墳

大津市大江2丁目9。7世紀初頭の古墳と考えられている。

 

前記「横尾山1号墳(④)」から700m程北東、若松神社境内にある(下図⑤)。

進入口                        遺存石室

墳丘は消失しているが、横穴式石室の基底部のみ残存。現在は陶棺の複製が置かれている。羨道部長さ5.7m程・幅1.3m程。両袖式の玄室長さ3m・幅1.8m程。残存奥壁高さ1m程。県内でも珍しい土師質の亀甲形陶棺をはじめ、金環等の金属製品や土師器・須恵器が出土。

陶質石棺レプリカ                   残存奥壁

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京阪石山坂本線の「膳所ぜぜ本町」駅から各古墳を経て、JR瀬田駅まで約10kmなので歩いても廻れると思います。