OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

別所大塚古墳

天理市豊田とよだ町・別所町。別所大塚古墳、豊田トンド山古墳、豊田狐塚古墳、別所鑵子塚古墳。2022.10.6(木)。

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石上大塚古墳方面から。

別所大塚古墳

天理市別所。6世紀代の前方後円墳。前方部を北東方向に向け、全長約125m、後円部は 2段築成で、径85m・高さ14m、前方部も2段築成で、幅105m・高さ15m。墳丘の北側半分のみ周濠を築く。石室は破壊されているが、石室内部に石棺が存在しており、内部から金銅製の鈴や鏃、鎧、大刀、土器、人骨などが出土したと言われる。
写真は2019年7月のもので、季節や経過年数により周辺の様子や目印が変わることが多いので注意ください。

進入口西望                北東へUターン  

      *PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。

後円部西望        前方部南東角        前方部北西望

後円部方面                     後円部周濠・外提北望   墳丘北西側北東望

 

豊田トンド山・豊田狐塚古墳は特定できませんでしたが、一応情報のみ掲載します。

豊田トンド山古墳

天理市豊田町。7世紀前半の円墳。豊田町集落北側=別所丹波市線の道路延伸工事区域の北側、集落を見下ろす丘陵頂上辺り(標高114m)。径30m程度。両袖式の横穴式石室で、天井石と側壁一部は滅失し、全長約9.4m、羨道長約4.5m・玄門幅約1.7m、玄室長約4.9m・奥壁幅約2m・高さ2.6m。床面には長径30㎝程度の床石が敷き詰められていた。調査時、玄室内を中心に二上山凝灰岩片が多数見つかった。羨道床面にはベンガラで赤く変色した部分があり、付近から鉄釘が多数見つかっているため、羨道部には木棺が追葬されていた可能性がある。盗掘を受けていたが土師器・須恵器のほか鉄製品(鉄鏃、太刀の破片)等が出土した。立地条件や石室規模から見て布留遺跡に関わる有力な首長墓とみられる。調査後埋め戻されている。

詳しくは下記を参照下さい。

豊田トンド山古墳現地説明会資料(平成27年5月2日開催)/天理市

豊田神社前から東へ   フェンス端から北東に登って行く

分岐         目印の少し先から南東に登る        墳丘?

豊田狐塚古墳

天理市豊田町。6世紀中頃の円墳。豊田トンド山古墳の南東約100mにあり、径20m程度。両袖式の横穴式石室が南方向に開口しており、調査区内に玄室全体と羨道の一部が含まれていた。両袖式の横穴式石室で、玄室は全長約4.4m・奥壁幅約2.2m・高さ約2.2m。羨道は玄門の幅約0.8mで、調査区内では長さ約1mのみを確認した(本来はもっと長い)。盗掘を受けているものの、鏡・馬具・玉類等多数の副葬品が出土。床面には木質が残存する箇所があり、少なくとも3基の木棺(推定)が安置されていた可能性があるとのこと。豊田集落の家並みを抜け(巻頭図参照)、豊田狐塚古墳の南側に回り込むが、墳丘への道は施錠されており、先には行けず、墳丘方面を眺めるだけだった。

詳しくは下記を参照下さい。

豊田狐塚古墳現地説明会資料(平成28年4月9日開催)/天理市

墳丘南側から北望     施錠された鉄柵      墳丘方面

別所鑵子塚古墳

天理市別所。6世紀前半の前方後円墳。前方部をほぼ北に向け、全長57m、後円部径31m・現状高5.5m、前方幅43.5m・高さ5.5m。周濠痕跡あり。葺石、埴輪あり。造出しの痕跡もあり。埋葬施設は未調査で詳細不明。2015年発行の「天理の古墳100(天理市教育委員会)」には、「後円部は板石を組合せた組合式石棺らしく、前方部にも石棺の長測板と思われる2枚の板石が確認されている」とある。円筒埴輪片が出土。駐車場内なので墳丘はよく確認できるが・・・。

遠景北望         後円部近景北望       西望           前方部西望