2022.11.4(金)。百穴古墳群。大津市滋賀里しがさと町甲。
百欠ひゃっけつ古墳群は、6世紀後半~7世紀にかけて造営され、山林の南斜面一帯に分布する。60基程が確認されており、殆ど径10m程の円墳だが、大半は封土が滅失し、石室が露出している。埋没したものを含めると100基位になるらしい。ドーム状の石室やミニチュアの炊飯土器等の副葬品から渡来人系の墓域とされる。国指定史跡。すぐ東側には熊ケ谷(桐畑)古墳群がある。
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進入口の道標 案内板
*PCなら画像をクリックすると拡大されます(スマホならピンチ拡大して下さい)。
古墳号数は不明なので、案内板設置場所を起点に、廻った順に付番したのが下図。
明確ではないが道らしきところを巡ったルート順に、3グループに分けて掲載します。なお、石室は基本的に南方面に開口しています。また、石室開口部写真にある四角いクリアファイルはA5サイズ=15.5cm×22㎝で、大きさ比較のためです(各石室等に案内はありません)。
①~⑭(古墳群南側=下側)
①開口部遠景 ①開口部近景 ①奥壁(奥から見て)左隅
①(奥から見て)右側壁 ①奥壁 ①左側壁(ドーム状がよく分かる)
②開口部遠景 ②開口部近景 ②奥壁
③石材 ③石材の隙間内部 ④東望
④内部北東望 ⑤北東望(立入禁止) ⑥北東望(立入禁止)
⑦開口部遠景 ⑦近景 ⑦残存石棺
⑧開口部北西望 ⑧奥壁 ⑨開口部 ⑨奥壁
⑩墳丘北東望 ⑩石材 ⑪墳丘西望 ⑫墳丘
⑬開口部遠景 ⑬内部 ⑬奥壁
*⑭は通り過ぎてしまったようだ。
⑮~㉒(古墳群中央)
⑮東望 ⑮北東望 ⑮奥壁
⑯は群中最大規模で、奥壁と側壁の奥側半分がよく残っている。
⑯遠景 ⑯近景 ⑯奥壁下部
⑯(奥から見て)右側壁 ⑯奥壁 ⑯左側壁
⑰開口部 ⑰内部はかなり土砂が流入
⑰開口部俯瞰南望 ⑰奥壁側北西望 ⑰隙間から右側壁と奥壁接合部
⑱北望 ⑱下の隙間から ⑱上の隙間から奥壁方面
⑱南望 ⑱コンパスで方向確認 ⑱コンパス
⑲石材南西望 ⑲北望(上の赤線がルート)
⑳遠景東望 ⑳近景 ⑳北望
⑳隙間内部 ㉑石材北西望 ㉒石材東望
㉓~㉛(古墳群北側=上側)
㉓北望 ㉓東望 ㉔北望
㉕西望 ㉕北望 ㉖石材
㉗北東望 ㉘北望 ㉘上(北)側の石材
㉙玄室天井崩壊部西望 ㉙方位確認 ㉙コンパス
㉙西側壁 ㉙奥壁 ㉙羨道側
㉙開口部 ㉙上記玄室崩壊部側が見える
㉚西望 ㉚北望 ㉛石材北望
探して、撮影して、場所等の記録を取って約2時間半。ただ見て歩くだけなら、1時間掛からないかも?
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百穴古墳群への道標から、150m西に進むと左手に磨崖仏がある。更にそこから西に70m程に御堂があり、志賀大仏が安置されている。
見世・阿弥陀磨崖仏
志賀の大仏
高さ約3.5m・幅約2.7mの花崗岩を彫り出した、高さ3.1mの阿弥陀如来坐像で、13世紀頃につくられたと考えられている。御堂の横を通る道は、崇福寺(大津宮遷都翌年=668年、天智天皇建立)跡を経て、京都(左京区)北白川へ抜ける「旧山中越」とのこと。