OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

鳳凰寺古墳群

鳳凰寺古墳群

2021年4月20日(火)。名阪国道=中瀬IC→前塚・桐ノ木古墳群→鳴塚古墳→鳳凰寺古墳群→辻堂古墳→(安部山・墓の谷・神林・下中島・向山・前山古墳群)→中切古墳→(阿弥陀寺山古墳)→猪田神社古墳→(吉田谷古墳群)→(石山古墳)→王塚古墳→天童山古墳群

 

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鳴塚古墳

上図⑩。鳳凰寺の集落を抜け、農道を東方面に進むと、鳴塚古墳が田んぼの中にポツンと佇む。すごく狭いが、古墳下まで舗装道路が続き、古墳西側に小さな原っぱがある。Uターンできそうでもあるが、念のためバックで進入。

伊賀市鳳凰ぼおじ鳳凰寺古墳群のA支群でもある。6世紀前半、37mの前方後円墳。後円部径21m・高さ4.8m、前方部長さ16m・高さ2.85mとのこと。天皇のご譲位がある度に塚が鳴る」という伝説が由来で、小さいが割と著名。乳文鏡・玉類・須恵器等多くの副葬品が出土。他に類のないものもあり、文化の高さを示すという。墳丘前の石碑には、38代天智天皇の伊賀の采女うねめ「宅子やかこ」の墓とも、その子(=大友皇子)の墓とも伝わるという内容が書かれている。

天智天皇と宅子の子=大友皇子は、明治3年に39代弘文天皇追号されているが、壬申の乱(672年)で敗れ自決したとされる。大津に陵がある。

全景               石碑               南面前方部方面

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*画像をクリックすると拡大します。

後円部南側に開口部がある。片袖型の横穴式石室で全長約9.2m、羨道長4.4m・最大幅1m・最大高1.4m、玄室長4.5m・最大幅1.6m・最大高1.9mらしい。開口部さえクリアすれば、這ってそこそこの所まで行けるかもしれないが・・・・・。

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前方部から後円部     後円部墳頂から西望   南側見下ろし       後円部から前方部

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鳳凰寺古墳群

当古墳群については、殆ど資料が無く、大半「大和國古墳墓取調室」さんの記事を参考にさせていただいています。

大和國古墳墓取調室

鳳凰寺集落の東に分布する。76基あり、A~Kの11支群に分かれ、A支群は、唯一の前方後円墳である鳴塚古墳とのこと。

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B支群はパスし、C支群→E支群→F支群と巡ったので、巡った順に記載します。

*B支群 北側尾根に10基。4号墳のみ方墳(消滅)で他は円墳。西端から3~5号墳が並び、尾根中央に6~9号墳が並ぶらしい。

C支群

鳴塚古墳から東の森に500m進むと、割と広い市道との三差路に出る。そこから更に400m程行き、道が北西にカーブしてすぐ左=西側に車1台置けるほどスペースがある。ここがC支群の進入路。そこから西に小道が続き、道沿いに分布するので、かなり分かり易く、30~40分で回れた。
進入路すぐ西の大きな墳丘がC18号墳。径20m程で、墳頂は大きく陥没。西側の17号墳は低い墳丘のみ。

進入路       18号墳裾東望    全景        墳頂の陥没     17号墳

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西隣の16号墳は径18mで周溝が残る。小道の反対側に、右片袖式の横穴式石室が開口。元は羨道長5m・幅1.5m・高さ2m、玄室長4.6m・幅2.1m・高さ2.5mらしいが羨道は殆ど破壊されている。側壁はかなり持ち送っている。なお玄室床は水没していている。

16号墳(青矢印が周溝) 墳頂南東望     開口部                 大きさ比較

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羨道        玄門部        玄室                  入室装備

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         *上の写真右端は、私の装備=軍手・自撮り棒・ランタン・懐中電灯(指さし式)

更に、少し西にある15号墳は、墳頂がやや陥没。14号墳は南側に横穴式石室が開口し、大きな羨道天井石が目立つ。羨道部はかなり残っているが、玄門辺りから土砂で埋まっている。墳頂北側が陥没し、そこに15~20cmの穴が3ケ所開いており、ここから盛土が流入したのだろう。

15号墳西望     墳頂        14号墳西望     開口部       石室内

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13号墳は墳頂が大きく陥没。13号墳から西はかなり下っており、墳丘らしきものが見える。

13号墳西望      墳頂        西側見下ろし    北西側        13号墳以西

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E支群

C支群とは谷間を挟んで南側。市道北側の杉林内に2基並ぶ。6号墳は径10mで、墳頂は陥没し、石材が散乱。

6・5号墳      6号墳北西望     墳頂         A4ファイルと比較   散乱石材 

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西側の5号墳は横穴式石室の天井石が露出しているが内部は埋没。少し下ると1号墳で径10m。石材が散乱。

5号墳北西望        5号墳から1号墳方面西望  1号墳         墳頂

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市道南側の『斜面を100m程登ると、林の中に3号墳、墳丘はなく石材が散乱。その50m上方の4号墳は径10mの円墳、石材が一部露出。少し南の道沿いに2号墳、径20mで墳頂に石材が散乱』とのことだが、墳丘らしいものが多すぎて、中級者にはよく分からなかった。

市道南側の林道   林道見返り      林道東側  

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F支群

林道に入ってすぐ東脇に、低い墳丘らしきものがあり、石材が転がっているのが5号墳??。その南東すぐに明らかな墳丘=7号墳があり、天井石の隙間が少し開いているが、内部は土砂で埋まっている。8号墳は見過ごしてしまった。

F支群方面      林道東脇の石材   7号墳遠景      近景        天井石露出部分

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林道を更に進み、北へ急カーブする内側辺りに9~12号墳があるとのこと。林道東側、やや奥の9号墳は分り易いが、10~12号墳らしき墳丘は??? 下の右端写真(=林道が北にカーブしきった所で振り返った写真)に写っているのが12号墳かも

7号天井石の隙間   隙間内部              9号墳遠景        12号墳?  

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7号墳と林道を挟んだすぐ西側にF18号墳。F支群で唯一横穴式石室が開口し、玄室奥側が残存。元は全長6.4m、羨道長1.8m・幅1m、玄室長4.5m・幅1.5m・高さ1.5mとのこと。北西に市道側へ少し下った所に17号墳。石室石材が露出するが内部は埋没。

18号墳北西望    南側開口部      石室内            17号墳露出石材 

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17号墳の北西、市道を西に越えたすぐに13号墳。西に隣接して12号墳の石材が露出。更に西に11号墳。墳丘がよく残り、石室入口の天井石が露出するが内部は埋没。

13号墳       12号墳       11号墳        開口部        内部

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三差路の北脇に20号墳、墳頂が陥没し石材が散乱。

三差路北西望       20号墳         墳頂の陥没        鳴塚に戻る

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時間の都合で、その他パスし辻堂古墳から最後の行程へ向かう。

辻堂古墳周辺 - OSAKA-TOM’s diary