OSAKA-TOM’s diary

古墳散策

塚穴古墳周辺

塚穴古墳周辺

2020年8月4日。塚穴古墳・大畑古墳・雷塚古墳(森1号墳)・鍋塚古墳(森6号墳)

大阪府交野市→寝屋川市大東市東大阪市の各古墳巡り。

塚穴古墳(交野市)の概要

大阪府交野市寺」にある6~7世紀初頭の方墳とのこと。横穴式石室が西向きに開口し、入室可能。電車で行くなら、最寄り駅はJR片町線の「河内磐船駅」か京阪交野線の「河内森駅」。古墳まで2km弱。

行き方

駅周辺からの経路

f:id:OSAKA-TOM:20200805175139j:plain

           ↑*Yahoo!地図を編集・加工しています。

塚穴古墳麓の「住吉神社」が一つの目安です。車で行く場合は、住吉神社の駐車場が起点になります。ただ、神社西側のアクセス道は、舗装されていますが、教習所のS字クランク並の狭さですから、ご注意を!
要は、神社北側の農道を東へ登っていきます。神社駐車場からの道順を説明します。写真をクリックすると少し拡大できます。

住吉神社      神社右手の駐車場  駐車場から農道への順路

f:id:OSAKA-TOM:20200805175401j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805175431j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805175458j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805175526j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805175551j:plain

*黄色〇の表示を右へ行くと「かいがけの道」。古代の河内と大和を結ぶ道の一つで、奈良・平安時代紀州熊野神社への熊野街道として人々が往来したそうです。

道なりに小さな池の縁を通り、小さな石橋を右へ渡ると農道に出る。作業小屋を過ぎて、更に登る。

f:id:OSAKA-TOM:20200805180057j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180126j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180154j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180236j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180308j:plain

暫く登ると、猪除けの防護柵(赤〇)がある。紐で括ってあるだけなので開けられる。小さな畑の左を抜けると、ごく狭い沢。

f:id:OSAKA-TOM:20200805180455j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180525j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180554j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180622j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180651j:plain

狭い沢に沿って少し登ると、Y字路があるので、ここを右へ行く。

f:id:OSAKA-TOM:20200805180817j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180846j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180917j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805180943j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181129j:plain

狭い沢の中に、トビトビでブロックが置かれているので、それを登ると樋があるので道なりに。

f:id:OSAKA-TOM:20200805181259j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181329j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181400j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181439j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181538j:plain

少し行くと、左手に朽ちた倒木が何本か折り重なっている。これを越えると開口部がある。

f:id:OSAKA-TOM:20200805181741j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181812j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181854j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181925j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805181957j:plain

倒木を越えるのが一苦労。軍手をお忘れなく!上の右端の写真は開口部の大きさ比較。四つん這いで入れますが、汚れてもいい服装で!!でなければ、コンビニレジ袋を膝に巻き付けるのも一法。羨道部中程からはかがめるし、玄室内は2m弱ある。当然懐中電灯、夏場なら虫除け必携。なお景色は冬場とかなり違うので要注意!

石室

一帯は寺古墳群で、広範囲にわたり、14基がいくつかの尾根に2~3基ずつ点在する。

6~7世紀初頭の築造とされ、東西12m、南西11mの方墳で、西に開口するとのこと。玄室は奥行き3.3mで高さ2m弱。横穴式石室なので6世紀以降だろうが、まずまずの規模の玄室である。石棺や副葬品は不明らしい。

羨道入口      羨道中程      玄門部       開口部見返り

f:id:OSAKA-TOM:20200805182604j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805182630j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805182717j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805182753j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805182827j:plain

北側側壁と奥壁      南側側壁と奥壁     奥壁           奥壁上部と天井部

f:id:OSAKA-TOM:20200805183023j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805183052j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805183124j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805183152j:plain

楣(まぐさ)石       楣石上部         玄門部南側       玄門部北側(右片袖)

f:id:OSAKA-TOM:20200805183332j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805183403j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805183441j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805183511j:plain

大畑古墳

塚穴古墳へ向かう途中の住宅街にある。知らなければ、全く古墳と分からない。

JRの高架をくぐり住宅街に入る所で、弥生後期の住居跡が見つかり、それに伴い発見された。当初後期古墳とみられていたが、その後出土した埴輪片などから、古墳時代中期(5世紀初頭頃)と判明。車塚古墳(現交野高校敷地、5~6世紀)を含む古墳群を構成し、車塚古墳群第6号古墳とされている。古墳群中では最大。墳丘上には住宅が建ち、くびれ部を道路が走る。円筒埴輪が出土し、その後の調査で葺石も発見された。墳長90~95m、東側前方部幅約50m・高さ4m、西側の後円部径約50m・高さ3m程と確認された。副葬品などは住宅の敷地下にある。寺古墳群にも属するとのこと。

前方部(道路がくびれ部)    後円部=赤○が遺跡碑      後円部北西望    後円部北望 

f:id:OSAKA-TOM:20200805184020j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805184054j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805184416j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805184313j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805184341j:plain

雷塚古墳(森1号墳)

交野市森。尾根を利用した4世紀の前方後円墳。全長106m。後円部3段・径56m・高さ9.5m。前方部2段・最大幅32m・高さ4.1m。くびれ部幅22m。後円部に比べ前方部の幅が狭く、高さも極端に低い点(高低差10m程)や、前方部が三味線のバチ形、 墳丘部に埴輪や葺き石などが見られない点などが、古墳時代前期古墳の中でも古い築造と見られる。なお、森古墳群は前方後円墳4基、円墳1基等から構成される。古墳発見のキッカケは、化石探しの小学生3 人が森地区山中で土器片を発見したこと。S57年に向井山、卵塔、 大知谷、ゴミケ谷にかけ五つの前方後円墳が確認された。その中でも最大の規模が当古墳で、周囲に陪塚と見 られる円墳も見つかっているらしい。

鍋塚古墳(森6号墳)

南山弥生遺跡のすぐ北西、交野市最古級の古墳ともされる。南山弥生遺跡は古くから知られていたが、防災施設の無線基地設置の際、事前発掘調査で、遺跡西に位置する古墳時代後期の群集墳の一つと考えられていた鍋塚古墳が、実は全長67m、後方部幅34m、前方部幅28m、くびれ部幅16mの前方後方墳であると判明した。墳丘の埴輪も見あたらず、主体部と思われる位置に露出していた板状割石から、竪穴式石室を持った古墳と推定され、森古墳群のなかで雷塚古墳よりも古いのではないかと考えられるらしい。

f:id:OSAKA-TOM:20200805185444j:plain

    *Yahoo!地図を編集・加工しています。

 

河内森駅から車道(傍示街道)で、雷塚古墳は1km程、鍋塚古墳は雷塚から0.6km程。結構キツい登りだが、車なら鍋塚古墳迄でも10分くらい。舗装道路だが、「ポツンと・・・」というテレビ番組に出てきそうな、車幅ギリギリの道。所々に離合帯はあるが、Uターンできる場所がない。私は鍋塚古墳南東の「南山弥生時代住居跡」の石碑の処で何回か切り返して、やっとUターンしました。鍋塚古墳は道沿いなので場所は分かりましたが、ハッキリした墳丘は確認できませんでした。雷塚古墳にいたっては傍示街道からの登り道が分からずパス。

麓下から尾根を歩いて登るルート交野集会所前の道の一本東奥の道から民家を抜けて山へ登る。少し行くと右手に農業用水池が二つ。この辺りを卵塔(らんとう)と言い、この道を卵塔の道と呼ぶらしい。尾根を登りきる手前辺りの左手にまず古墳がある(森2号墳)、その上の大きな前方後円墳が雷塚古墳。

 

鍋塚古墳前方部東端    鍋塚古墳前方部墳頂?  南山弥生遺跡碑     雷塚古墳への徒歩ルート

f:id:OSAKA-TOM:20200805185842j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805185913j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805185944j:plain
f:id:OSAKA-TOM:20200805190017j:plain

                            *Yahoo!地図を編集・加工しています。

 

ここから、府道736号→府道20号線で6km程先の、寝屋川市の石宝殿に向かう。 

osaka-tom.hatenablog.com